追放という名の自由
「この家を出ていけ」
父親に淡々とそう言われた少女がいた。
その少女は輝く様な金髪を、少し肩に掛かる程度に短く切っている。顔の彫りは深く、眼つきは鋭い。
それでも、誰が見ても美少女と呼ぶことだろう。
「何故?」
とくに表情を変えずに少女は尋ねた。
それに対して、父親は軽く溜息をつく。
「礼儀作法、言葉使い、日常の言動、目上の人に対する態度、貞操観念、何もかもが、この家の人間として不適切だからだ」
父親は落ち着いた声で答える。
ところが、その言葉に少女は笑いだした。
「あははは。むしろ私は適切だわ。敬うべき相手がどこにも居ないもの」
傲慢ともとれる少女の態度。
それを間近で見る父親は、軽く瞼を閉じながら首をふる。
「ローラ。お前がワシを敬わないのは構わない。だが、なにゆえ神様すら敬わないのだ?」
「決まってるわ。見た事も話した事もないのに、敬うのは可笑しいからよ」
まるで、それが当たり前の事だと話すローラに、父親は頭を抱える。
王国の内務大臣を務めるローラの父親。そしてローラの叔父は現王国宰相である。それどころかローラの祖父もまた、かつて王国宰相を務めた由緒ある家柄。
それが、ローラの生家である。
にも関わらず、ローラがこのように育ったのは、産まれてすぐに母親を病気で亡くしているからだ。
愛する妻を喪う悲しみから逃れるように、ローラの父親は家庭を顧みず、ひたすら仕事に励んでいたことこそが原因である。
父親がローラの異変に気付いたのは、ローラが14歳の時だった。
選ばれた良家の子供だけが通うことが出来る共学の学園にて、前代未聞の不祥事が発覚する。
それはローラが僅か10歳で、男子生徒と肉体関係を結ぶ事から始まる。その後は4年間で数十人と。
事件発覚時、ローラは常に数人の男子生徒を逆ハーレム状態で侍らせていた。その事を不審に思った教師が調べて、初めて気付けたらしい。
当然の事だが、学園はローラを退学処分にした。
そして父親は、ローラを男子が居ない全寮制の教会系女学院に放り込んだ。これで、悪評のほとぼりが冷めるまで待つつもりだった。
だが、僅か1年足らずで、ローラはその女学院から退学処分を受けた。
その理由を聞いた父親は卒倒したくなる。なんとローラは、女学院の女生徒すら食べていた。それもまたしても複数人をだ。今回、それが発覚したのは、食べられた女生徒の嫉妬心から教師に密告されたからであった。まあ、そのお陰で男子に比べて発覚が早いのは、ある意味で皮肉だったが。
「そうか。随分と立派な考え方だ。それだけ立派なら、この家を出ても問題無く生活出来ることだろう。ワシとしても、神様ですらお前を導けないのなら、この家から追い出すのも仕方ないと言うものだ」
その父親の言葉に、ローラは「どうぞご勝手に」とでも言うようなジェスチャーで答えた。
そして踵を返し部屋から出ようとするローラを、父親は呼びとめる。
「何処へ行く? まだ話は終わってないぞ」
「私には話す事などありませんわ。それより、直ぐにも荷造りを始めた方がお互いの為かと思いますが……」
「それならば問題ない。既に馬車を用意してある。あとはお前が乗るだけだ」
「それはそれは……準備のよろしい事で。行き先はどこかしら?」
慇懃無礼なローラに対して、父親は一言。「聖都だ」とだけ答えた。
こうしてローラは15歳にして、家どころか国からも追放される事になった。
玄関先に用意してある馬車に、ローラは手荷物一つで乗り込む。
馬車に乗るなり荷物からタバコと酒を取り出し、手慣れた感じでタバコに火をつけた。そして、タバコの煙を車内に充満させながら、持ってきたタバコの本数を数えだす。
「たった15本か……これじゃ店までもたないわ」
そう呟き、思いっきりタバコを吸い込むと、ふうっと溜息のように煙を吐き出した。
そして、馭者に急いでタバコが売ってる店に行くように、と命令した。
聖都。そこは大陸でも有数の超巨大都市だ。その都市にある普通の宿屋にローラは宿泊手続きをする。馭者は宿屋の部屋まで荷物を運び入れると、ローラにお金を渡して帰って行った。
ローラの父親からローラへ渡す様に言われていたお金だ。本来なら1年くらいは宿屋に泊まれる金額だったが、道中に酒やタバコなどで大量に消費した結果、一か月分程度まで減っていた。
もっとも、そんな事はローラにしてみればどうでもいい事だった。
部屋に荷物を置いたまま、ローラはタバコと酒だけ小さな鞄に入れると、それだけ持って出掛ける。
宿屋の主人と世間話をしてる時に聞いた、聖都にある舞台が気になっていた。
大都会の舞台だ、きっと素晴らしいものに違いない。そうローラは思うと、ワクワクしてたまらなかった。
せっかくの自由、1分1秒だって無駄にしたく無かった。
宿屋の主人に聞いた劇場まで行くと、すぐにチケットを購入した。宿代に換算すると、2泊分を超える金額だったが、当然の如くローラは何も気にせずに支払う。
そこは、ローラにしてみればまるで別世界だった。
劇場内の壁には巨大なポスターが幾つも貼られ、どれも美男美女が描かれている。建物は神殿の厳かさと、宮殿の豪華さを合わせた独特な雰囲気がある。観客席も3階に渡っており、1度に大量の客を収容することが出来た。しかも、左右の壁や3階はVIP専用のボックス席になっている。
「凄い……」
思わず感嘆の声をもらす。
席に座るとローラは周囲を見回した。誰もがオペラグラスのような、小型の双眼鏡みたいな魔法道具を取り出していた。
「ん……!」
自分の失敗に気付いて、つい声が出てしまう。
浮かれていたせいで、すっかり忘れていた。
確かにこの位置からでは、巨大な舞台は兎も角、役者の表情までは見えないかも知れなかった。
ま、どうとでもなるでしょ。
そんなお気楽に考えるローラをよそに、舞台の幕が上がる。
舞台の幕が下り、観客達が出ていっても、ローラは熱に浮かれていた。
「こんな世界があるなんて……」
話には聞いていた。
だから、知識としては知っていた。
それでも、此れほどとは思わなかった。
まさしく、見ると聞くとでは大違いとはこの事だ。
舞台劇。それは物語の世界に入り込む感覚だ。役者の演技が、場の空気を変える。それを直に肌で感じるが故、悲しいときは涙が流れ、可笑しいときは笑い声が自然と出てくる。
何より自分が物語の世界の住人になっている。そんな気分にさせてくれた。
劇を大絶賛するローラだったが、だからこそ余計に気になる部分があった。
それは登場人物の一人。
悪役令嬢だ。
ローラには、劇中に登場する悪役令嬢が嘘臭くて気持ち悪かった。
突然、婚約破棄されるとか不自然な位にありえない。そもそも、悪女に婚約者がいる時点で奇跡だ。しかも、その後の対応に至っては、あまりにも女々しい。
だいたい男に復讐するなんて発想自体が、自分に自信が無いと言ってるようなものだ。
何故なら、価値のある女は婚約破棄なんて、そもそもされない。
それに悪女を自覚するローラにしてみれば、復讐はするよりされる側だった。
ましてライバルにいたっては、ローラの経験上存在すらしていない。
狙った獲物に恋人がいるかなど、全くもって気にした事すら無かった。
存在自体気にしていないものを、ライバルとは呼べないだろう。
劇中に出てくるライバルにいたっては、どちらかと言うと、女学院時代に散々毒牙にかけた女生徒たちにそっくりだと思えた。純粋培養され、ろくに経験がないからこそ、矢鱈と好奇心旺盛な可愛いらしい少女たちを、ローラはふと思い出す。
「悪女役がこの程度なら、私の方が遥かに上手く演じられるわ」
一言そうこぼすと、ローラは動き出す。
勝手に舞台まで行くと、舞台裏で大道具を片付けている男性に声を掛けた。
「ねえ、貴方は此処で一番偉い人かしら?」
その言葉に男性は顔をヒクつかせる。
「嫌味か? どっから見てもただの大道具係だろうが。それより部外者が勝手に入ってくんな! ほら、さっさとアッチ行け!」
男性はローラを邪険に扱う。
だが、ローラはそれを気にする事もなく話し続ける。
「嫌よ。だってここは私が立つべき場所だもの」
ローラのそれは、まるで主演女優のような態度だ。
その言葉に男性は呆れる。
そして、察した。
「あー、あれか。嬢ちゃんは役者希望なのか?」
「ええ。そうね」
「だったら、そういう態度はせめてオーディションに合格してからするんだな」
「オーディション?」
「チッ。そんな事も知らねーのかよ。劇場の入り口近くの掲示板に貼ってあるから、勝手に確認しろ。おら、邪魔だからさっさと出てけ!」
男性はしっしっと手でローラを追い出す仕草をする。
「そうね。私がここに立つなら、やっぱり満員の観客がいる時よね」
それだけ言うと、ローラは舞台から降りて出て行った。
その後ろ姿を、男性は呆れながら眺めていた。
どこか言動がおかしく、それでいて強烈な迄に、印象に残る少女。
「案外、あっさりオーディションに合格したりしてな……ははは」
男性は苦笑しながら、また片付けをしていた。