美少女零細悪魔と1000分の1の魂
「悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。悪魔」
俺が出勤カードに記録されない幽霊社員としてメーカーの呼び出しに応えている時の休み時間に、あの忌々しい事件は起きた。お互い傷を舐め合ってきてはや8年、俺が会社で唯一オタク趣味を公開している同僚から、ソシャゲのオフ会で意気投合した女性と遂に付き合えるようになったとの勝利報告が届いたのだ。
金は払わんくせに文句だけは一丁前の30歳独身冴えない社畜メガネの自分と、日本の経済を支えるタイプのオタクの違いをまざまざと見せつけられ、心臓の鼓動が速くなる。
「悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。悪魔」
無心で「悪魔」と唱え続けること。これは俺オリジナルの何かあった時の応急処置方法だ。いつからか自然に発現した。
もはや何回目かもわからぬほど私の口から名前を呼ばれた時に、彼女はやってきた、モクモクと上がる謎の煙と共に。
「気合だけで悪魔を呼び出したのはお前が初めてだな。本来は」
「おい悪魔! 御託はいい! とびきり可愛い彼女をくれ! 死んだ後の魂はくれてやる!」
悪魔の話を遮り俺は叫ぶ。
「いや、驚かないんかい!」
売れないお笑い芸人みたいなツッコミをかましてきた悪魔の声は、無駄にアニメ声だった。
煙が上がるとそこにはスーツをきた美少女がそこには立っている。
もしやこいつ悪魔じゃない? むむむ、でもよく見ると角がある。耳も尖っている。やっぱり悪魔じゃないか(納得)。
「人間の魂の価値をみくびるなよ! 今を生きてる奇跡をもっと噛み締めろ!」
突然悪魔から説教をくらう。
「いや、どの口がいってるんだ! お前悪魔だろ! ほら早く何か力を示せ!」
「こいつ目がきまってるな。やばい奴のとこに召喚されたのか。まあいい、これも仕事だ」
悪魔は俺の机の上から安っぽいボールペンを持ち上げ、謎の呪文を唱えだす。その言語は分からないが、本格的な詠唱がアニメ声と絶望的に合ってなくて不愉快だ。
「ほら。書いてみろ」
「何をしたんだ? 何も変わってないぞ」
「ええい、書けば分かる。ぐちぐちうるさいぞ、早く書け!」
俺は乱雑に置かれた机の上の裏紙に、使う機会のないオリジナルのサインを書き殴った。
「だから何も変わってないぞ!」
「鈍感な奴め。今はその苗字のアルファベットを適当に崩しただけのサインのダサさは置いておく。いつもと違って滑りがよかっただろ。それによくみろ! 書いた線が均等でムラがないぞ」
「そんなの誰がわかるんだよ」
「感謝しろ。今のは特別にモニター品としてお前の魂は取らないでおいた」
「???」
目の前で行われている些細すぎる出来事に私の理解が追いつかない。
「これで分かったな。私は1番オーソドックスな『物心二元論』タイプで営業している悪魔だ」
「なんだそれ? 物心? 悪魔のくせに難しい言葉使うなよ」
「学のない奴め。物心二元論とは、……まあいいか。簡単に結果だけ言うと、死んだ時に体は土に帰り、魂は天国か地獄に行くことになる。だから魂は悪魔との交渉に使えるんだよ」
「なんだ、イメージ通りじゃねーか。最初からそう言えよ。さっきも言ったが、死後に地獄に落ちても構わない、魂でもなんでもくれてやる。だから、だから彼女くれって!」
私が再び自分の欲望を叫んだ時、悪魔の肩が少し震えた。
「そんな大層な案件なら私を呼び出すな。サターンとかの名の通った悪魔にするんだな。私は細々と営業している零細悪魔だ。まるでお前の会社のようだな」
「悪魔と社会人の苦労を分かち合う気はないぞ。こちとらこの生活に嫌気がさしてるから悪魔にだって頼るんだろ。ちゃんと考えろよ」
「うるさい。悪魔に幻想を持つな。悪魔業だって辛いんだ。若者の悪魔離れが指摘され何百年と経ったが、旧約聖書に登場するような大物に年々減少するキャパのほとんどを取られているんだぞ。先行者利益って奴だ」
「知らねーよ。頑張れよ。なんか超常現象とか起こせよ。お前は努力しなくても凄くあれ」
「む、無責任なことを言うな。投資すべき魂が集まらないのに、どうやって拡大戦略を取るんだ!」
「だから悪魔の口から御託は聞きたくないっね。なんでもいいから早く願いを叶えてくれ。それとも何かー。やっぱりお前にはなんの力もないんだろ!」
私に煽られると、悪魔はおもむろに私の机に置かれている即効性カロリー摂取食料のメロンパンを持ち上げ自分の口元に当てた。
そして先程の呪文を唱える。その光景を見て、この悪魔は角と耳さえ隠せば声優の深夜ラジオで信者を獲得できそうな見た目だなと思った。
「はっ! よし、これを食え」
何かが完了した合図と共に悪魔がドヤ顔で私にメロンパンを差し出す。
「嫌だよ、なんか怖い。それお前の口元にがっつり当たってだぞ。弁償しろ、弁償」
アニメ声の美少女とはいえ、悪魔は悪魔である。衛生面で問題が多そうだ。
「うるさい!」
私が頑なに拒むので、悪魔は実力行使に乗り出し、私の口元にメロンパンを押し付けた。その華奢な見た目以上に力は強かった。
「なんだこれ、レーズンが入ってる」
「これこそが私の能力だ。魂と交換でモノのレベルを上げることができる」
断定形の悪魔の口調と反対に、私の頭は疑問系ばかりで溢れている。
「今回はお前の魂の1000分の1を使って、メロンパンをレーズンメロンパンにしたぞ。サービスでレーズンは全てパンの中に入れておいた。レーズンパンは見た目で損しているからな」
「いやメロンパンは単体の方がうまいだろ! 何がレベルアップだ、これは改悪だ!」
まず初めに口に押し込まれたパンの感想が出た。
「いや、待てよ。お前なんて言った? 俺の魂と引き換えに? はーーー! そんなしょうもないことに人様の魂使ってるんじゃねーよ! ていうかなんだそのしょぼい能力。それに俺の魂の価値低すぎだろ」
その後、事の重大さが押し寄せてくる。
「ええい喚くな。みっともない。所詮魂の物質的価値なんてそんなもんだ」
くどくどと悪魔の魂に関する講義が続く。
「………」
「だからどうしようもなく強欲な人間は、自分の魂だけじゃなく家族や未来の子孫の魂まで差し出すんだ。まさに呪われた一族だ」
「………」
その長ったらしい話を聞いて段々と冷静になってくる。すると魂の価値などのスピリチュアルに疎い俺は、悪魔の話を黙って聞いているしかなかった。
「……まあだけど、人を呪い殺すとか、そんな大きな仕事は私には無縁なものだけどな」
途中から話がおかしな方向に向かい始め、悪魔の最後の言葉は弱々しく取ってつけたようなものだった。
まるで大事なプレゼンで失敗した後に1人で公園のブランコに座っている時の自分を見ているような既視感があった。
最初の威勢の良さとの差に、私が新しい性癖の扉を開きそうになるほど悪魔は意気消沈している。
「……なんか悪魔の社会も人間社会と変わらないんだな」
自分の魂の1000分の1が浪費された憤りよりも、同情が勝った。
「……そりゃ私だって、私だってなー! 本当は私だってこんなチンケな仕事じゃなくて、最も大きな仕事をしてみたいよ。悪魔として生まれたからにはな。そりゃ漠然と思ってたさ、いつかは恐れられる大悪魔になれると。でも気づいたらこの様だ。たまに呼び出されると人間ごときに舐められる日々。それでもやるしかない。悪魔にも生活があるんだ。だいたい人間のくせに、」
「分かった。分かった。お前の気持ちは俺には分かっているぞ」
いつの間にか俺が悪魔の愚痴を聞く羽目になっていた。悪魔の目から大粒の涙が溢れ出している。その時、もし自分がイケメンならそっと抱きしめられるのに、と思った。
等身大の悪魔の告白を聞いてるうちに、すっかり俺の心は落ち着いてきた。
「まあこれ食べて元気出せよ。お前の能力だろ。立派なものじゃないか」
俺は先程のメロンパンを半分に割り、自分がかじっていない部分を悪魔に渡した。
悪魔はそのメロンパンを受け取ると「うん、おいしい」とだけ口にして、一心不乱に食べている。
俺は悪魔の肩を叩きながら、お互いの健闘を誓い合う。そこには形容し難い結束が生まれていた。
さて仕事するか。
地獄への帰路につく悪魔を見送った俺は、本来休日であるはずの日に、再び冴えない社畜メガネへと戻る。
そこにはもう淀みきった絶望はなく、1000分の1の魂の犠牲の代わりに、俺の心は晴れやかだった。