閑話:第二王子の帰還
「よく、生きて戻ってきた……! ユースタス!」
「ありがとうございます、兄上」
アリアン王国、王都ユーザリア。
ウルーシュ大森林から馬車で一日ほどの距離を走り、ようやくユースタスは王宮へ戻ることができた。既に大森林近くの駐屯地では、兵士たちにユースタスの捜索命令も出されていたらしく、自己紹介と共に王家の証である剣を見せるまでは、なかなか信じてもらえなかったものだ。
そして護衛の兵士と共に王宮に戻ってきたユースタスを迎えてくれたのは、第一王子でありユースタスの兄であるアドルフ・ベルンヘイム・アリアンだった。
「どれだけ心配したか分かっているのか!? お前が一人で先走り、急流に流されたと聞いたとき……私は本当に、生きた心地がしなかった……!」
「申し訳ありません……兄上」
「……重臣の中には、あのような事件があったがゆえに、ユースタスは自ら死を選んだなどと宣う者もいた。だが、お前がそんな人間でないことは、私がよく知っている」
「勿論です、兄上。あれは……本当に、ただ迂闊だっただけです」
アドルフの言葉に、ユースタスは頷く。
婚約者であるベアトリーチェが、ユースタスの親友と駆け落ちをしたのは、既に一月も前のことだ。
初めて聞いたときには、信じていたものがガラガラと崩れていくような喪失感に襲われた。婚約者と親友の両方を一気に失って、まるで世界が色を失ったかのように感じたものだ。
そんな気落ちしたユースタスを、アドルフの方が気遣って、ウルーシュ大森林での魔物狩りを提案してきたのが先日のこと。
「魔物を追い詰めた先に急流があったとは思わず、流されてしまったのは僕の過失です。そのせいで、大森林の奥まで流されてしまいました」
「すぐに戻り、近くの駐屯地に捜索命令を出したが……まさか、自力で戻ってくるとは思わなかったぞ」
「ええ……とても、幸運に恵まれました。偶然、助けてくれる人物と出会いまして」
ユースタスは、改めて思う。
本当に、自分は幸運だったと。
入り口付近はさほどでもないが、奥に行けば行くほど凶悪な魔物が跳梁跋扈している危険な場所――それがウルーシュ大森林だ。様々な冒険者や騎士団が魔物を討伐し続けてこそいるが、現在に至っても街道の一つも作ることができていない。そのせいで、森を挟んだ隣国であるハロルド王国に向かうためには、森を大きく迂回しなければならないほどだ。
そして同時に、そんな凶悪な環境であるがゆえに、流刑地として使われている側面もある。
「私からも、その人物に礼を言いたいものだが……大森林の奥で会ったということは、流刑者か?」
「……それは、分かりません。ただその人物は僕を助け、食事を与えていただき、森の奥から入り口まで案内してくださいました。その方がいなければ、僕は大森林の奥で亡き者となっていたでしょう」
「むぅ……流刑者とは思えぬ親切だな……」
「僕のことを知っていたようですから、元はアリアン王国の出身なのかもしれません」
ユースタスの言葉に、アドルフは眉を寄せる。
元々流刑は、死刑にするほどではない凶悪犯罪者に対して処されるものだ。騎士団によってウルーシュ大森林まで連れて行かれ、その後決して森から出てはならない――そんな、過酷な刑である。
少なくとも、流刑に処された者は二度と故郷の土を踏むことができない。
「なるほどな。では、私の方から陛下に奏上しよう」
「えっ……」
「当然だろう。他でもないユースタスの命を救った相手だ。恩赦を与えるには十分すぎる」
「ありがとうございます……兄上」
アドルフは、快活に笑みを浮かべる。
そして同じく、ユースタスも安堵した。
あんなにも若く可憐な少女――セリアが、これからの人生を大森林で生きていくと考えると、哀れに思えたからだ。彼女が何の罪を犯したかは分からないが、それでもユースタスに対して行ってくれた親切を考えれば、セリアを救いたいと考えるのも当然の理である。
だが、そこでふとユースタスは首を傾げた。
「……ですが、その方は僕を入り口まで送り届けると同時に、近くの村……ティガスの村というところまで向かうと言っていました」
「なんだと? では、流刑者ではないのか?」
「いえ、それは分かりませんが……」
「少なくとも近隣の村で、流刑者は決して受け入れないように言ってある。大森林から村へやってきた者は、各村に駐在している兵士に流刑者でない証明をする必要があるのだ」
「……」
アドルフの言っていることは、正しい。
流刑者は両肩に、流刑者の証明である焼き印が押される。そして大森林から他の村へ行くにあたっては、憲兵へと両肩を見せることが潔白の証明となるのだ。
仮に焼き印の押されている部分の皮を剥いだとしても、両肩ともに皮を剥いでいる場合、隠蔽と見做して再度焼き印が押されることになる。それだけ厳しく、憲兵は流刑者の違反に対処しているはずだ。
だというのに、当然のように森から村へ向かっている――。
「ふむ……分からんが、もしかすると流刑者の親族なのかもしれんな」
「……親族、ですか?」
「父が流刑に処され、家族で共に大森林に向かうという話も聞いたことがある。この場合、流刑に処されたのは父だけだからな。他の家族に焼き印は押されない」
「なるほど……」
セリアの家族。
しかし、その相手として知っているのは凶悪な風貌をしたミノタウロスだけである。
愛する旦那様、と言っていたセリアに対して、ユースタスは何度疑問を抱いたか分からない。何故アレを旦那様と呼べるのだろう、と。
「お前を助けてくれた相手は、何という名だ?」
「はい。セリア……セリア・アウゼンバッハと名乗りました」
「女性か。アウゼンバッハ……ふむ、聞いたことのない家名だな。今度、目録を探ってみることとしよう」
「ありがとうございます、兄上。どうか、良き計らいを」
「勿論だ」
頭を下げるユースタスの肩に、ぽん、とアドルフの手が置かれる。
「だが、本当に……よく、生きて戻ってきた。お前の気分転換になればと思い、大森林の魔物退治に誘ったのは私だからな。ようやく、今夜からぐっすり眠れる気がするよ」
「ええ……ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「ベアトリーチェ嬢のことは、もう忘れるといい。クオンタム公爵家にはもう伝えたが、仮に戻ってきたとしても、彼女は死罪だ。デビッドも同じくな」
「……」
デビッド――かつてユースタスの親友であった騎士の顔を思い出し、小さく嘆息。
彼らが愛に狂って全てを捨て、ユースタスの前から姿を消した日から、まるで世界が色を失ったかのように思えた。
少し前は、彼女らの名前を聞くだけで、狂いそうなほどに憎悪が煮えたぎったものだ。
だが今――ユースタスのそんな色褪せた世界にも、それを彩る光がある。
「本当ならば、クオンタム公爵家にも何らかの処分を下したかったところだが……」
「兄上」
「うん?」
「参考までに、伺いたいのですが」
セリア。
命を救ってくれた彼女が、ユースタスの中で――まるで、輝く女神のように。
「騎士団でミノタウロスを討伐することは、可能ですか?」