おうちに帰ります。旦那様の夕食を作らないと。
ほくほく。
荷車いっぱいの食材を引きながら、わたしは鼻歌交じりにウルーシュ大森林へ向けて歩いています。
もう夕刻も近くなって、日も傾いています。まだ夕焼けというほどではありませんが、このまま家に帰るともう夜になってしまいますね。思ったより買い物に時間が掛かってしまいました。
「うーん。良いものが買えました」
何気なく、そう呟きます。
週に一度、炭を売って銀貨四枚が我が家の稼ぎです。炭の材料となる木材は森の中に大量にありますし、サラマンダーのペスさんが火を吐いて作ってくださっているらしいので、原価は全く掛かっていません。
そしてわたしの買い物は、銀貨四枚を超えることなど滅多にありません。一応、毎回銀貨二枚くらいは余分に持ってきているのですが、買うのもお野菜やお肉くらいですからね。
旦那様はたくさん召し上がりますが、わたしは小食ですから、それほど材料費も掛からないのですよ。
ですが残念ながら、ユースタス様から貰った指輪は買い取ってもらえませんでした。
クラークさんは、「いやこんな高級なもん買い取れないよ!」と仰いました。王家の紋章が入っている時点で、王族が所有しているものだというのが分かるそうです。それを下手に買い取って売ってしまうと、クラークさんが盗品を販売していると思われるのだとか。
盗品というわけではなく、あくまでユースタス様からお礼として貰ったものなのですが、それを証明する手段もありませんからね。
仕方がありませんので、わたしが装着しておくことにします。ウルーシュ大森林にやってきて以来、装飾品の類は全く身につけていなかったので、指輪をするのは違和感がありますけど。
お洗濯のときとかは邪魔ですが、そのときは紐に通して首から下げておくことにしましょうか。
「あ……」
「……」
「旦那様、お待たせしました」
考え事をしているうちに、大森林の前に到着したようです。
荷車いっぱいにお野菜やお肉を乗せていますが、行きに比べれば軽いものです。炭って割と重いですからね。
そして大森林の入り口にある巨木の影から、ぬっと旦那様が顔を覗かせました。
「……」
「はい、旦那様。お野菜やお肉をいっぱい買ってきましたよ」
「……」
「ああ、これですか。いえ、売ろうと思ったのですが、買い取りを拒否されまして」
旦那様が、ユースタス様から貰った指輪に対してちょっとむっとしています。
わたしとしても、さすがに左手の薬指に嵌めてくださるのはどうかと思いましたが、残念ながら、旦那様にはそういう習慣がない様子ですので、左手薬指は空いていました。ですから、サイズも丁度良かった薬指に嵌めてくださったのでしょう。
ただ、わたし、『左手薬指の指輪』の意味が分からないほど子供ではありませんよ。
「丁度いいので、このままつけて過ごそうと思っています。いただいた相手はユースタス様ですが、わたしが既婚者である証がなかったと思いましたから」
「……」
「ええ、旦那様。以前も話しましたが、左手の薬指に指輪をしているかどうかで、相手が既婚かどうか判断するのが人間の風習なのですよ」
「……」
旦那様が首を傾げておられます。
実際、わたしの左手薬指が空いていたから、ユースタス様も初めて会ったとき、わたしのことを『お嬢さん』と呼んだのだと思いますし。
左手薬指の指輪というのは、それだけで既婚者の証になるのですよ。
「えっ……」
「……」
「旦那様が、くださるのですか? でも、旦那様にはそういう習慣がないと……」
「……」
もっといいものを用意してやる、とか。
旦那様、もしかして嫉妬してくださってます? 別にわたし、ユースタス様に対して何の感情も持ち合わせていないのですが。
あー……まぁ、確かにわたしが以前、旦那様に「結婚するのなら、互いの左手の薬指に揃いの指輪をつけるのが風習なのですよ」と言ったことがあります。ですが旦那様はそのとき、そんな風習など知らん、と仰ったはずなのですが。
何故、旦那様がご用意してくださる話に――。
「……」
「うふふ……旦那様、ありがとうございます」
ああ、なるほど。
なんだか、とても旦那様が可愛らしく思えました。
自分から贈ったものではなく、知らない男が贈ったものを、わたしが左手の薬指に嵌めているのが、どうも気にくわない様子です。
わたし、丁度いいから男除けにと考えていただけなのですが。
「では旦那様、おうちに帰ったら夕食を作りますね」
「……」
「そ、そんなぁ。確かに、少し長く待たせてしまったとは思いますけど……」
帰ってすぐ寝るだなんて、つれないですよ旦那様。
確かに、旦那様はお休みになるのが早いですけど。夜になるとすぐに寝てしまいますし。
わたしとしては、暗い部屋でランプの灯りの下、身を寄せ合って何かお話をしたりとか、そういうの憧れているんですけど。
「おうちに帰ったら、ささっと作れるもので夕食にしますね。パスタもいっぱい買ってきましたよ」
「……」
「あ、そうだ。旦那様のお好きな、茸のクリームソースパスタにしましょうか」
「……」
ごくり、と旦那様の喉が鳴りました。
ふふふ。旦那様、わたしのクリームソースパスタ好きですものね。毎回、割とたくさんパスタは買って帰るのですけど、三日くらいで全部旦那様が食べてしまうんですよ。
お食事を一緒にしていても、クリームソースパスタのときはずっと心の中で「うまい! うまい! うまい!」って叫んでますものね。
「では、旦那様。帰り道よろしくお願いします」
「……」
旦那様がこくりと頷いて、わたしを左肩に乗せてくださいます。
そして空いている右手で、そのまま大量の食材が乗せられた荷車をひょいっと抱えました。わたしだと、車輪がないととても動かせない重さなのですけど。
「……」
「だ、旦那様!?」
「……」
「そ、そんな、まさか! べ、別にそんな……旦那様が、わたしを肩に乗せただけで分かるほどなのですか!?」
わたしは、旦那様の心の声が聞こえます。
言葉を発さない旦那様のお気持ちも、仰りたいことも、全部分かります。それと同時に、旦那様が少しだけ考えたことも、全部分かってしまうのです。
旦那様はわたしのこの能力に対して、便利だな、くらいしか仰いませんでしたが。
ただ――。
「うぅっ……パスタは控えます……」
「……」
あれ、セリアちょっと太ったか?
そう、旦那様が僅かに考えてしまったことも、全部聞こえてしまうのが難点です。




