閑話:第一王子の賛同
「うむ」
ユースタスの言葉に対して、兄アドルフは笑みを浮かべた。
どこの誰とも分からない、ただ名前しか知らない女性――セリアを、妻として迎えたいと言い出したユースタスに対して。
「俺は応援するよ、ユースタス」
「本当ですか、兄上」
「お前の窮地を、救ってくれた女性だ。反対などするはずがないだろう」
「ありがとうございます」
優しいアドルフの言葉に、ユースタスは笑顔を浮かべる。
しかし、アドルフは眉を寄せて僅かに考え込んだ。
「だが……父上はあまり良い顔はしないだろうな。やはり、王子という立場がある。言い方は悪いが……どこの出自かも分からない女性を妻に迎えるというのは、抵抗があるだろう」
「はい……」
「それに、お前の方が次代の王に相応しいと言っている重臣もいる」
ユースタスは、第二王子だ。
今のところ壮健ではあるものの、兄アドルフに何かあったとき、国王という重責をその身に担う必要がある。
さらに、これはユースタスも耳に挟んでいたことではあるが、宮廷は二つの意見で割れている状態だ。
次の王に相応しいのはアドルフか、はたまたユースタスか。
その理由として、アドルフは側室の子、ユースタスは正妃の子という立場の違いがある。基本的には年長者であるアドルフが第一王位継承者となっているが、重臣の中には「正妃の血を引くユースタス様こそが次代の王に相応しい!」と言っている者も、少なからずいるのだ。
「正直……僕はそんな意見、頷いた覚えもありませんよ」
「そうなのか?」
「過ぎた話ではありますが、ベアトリーチェの両親……クオンタム公爵家からも、よくそんな話が出ました。彼らは自分の娘を王妃にしたかったのだと思いますが、割としつこかったですよ。僕が王になるためなら、どんな援助でも行う、なんて言ってましたからね。結果は、僕が婚約者に逃げられたわけですけど」
ふっ、とユースタスは悲しげに笑みを浮かべる。
クオンタム公爵家とは、今後関わることもないだろう。何せ婚約者であるベアトリーチェが、ユースタスの親友と共に逃げてしまったのだ。
もし、今ベアトリーチェが戻ってきたとしても、ユースタスは決してよりを戻そうなどとは思うまい。
「重臣の娘を妻に迎えようとして、逃げられた男ですよ。これから、僕に良縁など来るはずもありません」
「ユースタス……」
「むしろ内部分裂を防ぐためには、僕の結婚相手を重臣の関係者から選ばない方がいいでしょう。そういった点もあって、僕は彼女を……セリアを、妻に迎えたいと考えたのです」
「なるほど……すまないな、お前には心労ばかりかけてしまっている」
アドルフが、沈痛そうな面持ちでユースタスを見る。
だがユースタスとしては、むしろ晴れ晴れする気持ちだった。森の奥で出会った、自分を助けてくれた少女を妻に迎える――その事実は、恐らく美談として取り上げられるだろう。さらに政治に関係のない娘とユースタスが結婚することで、重臣たちもアドルフこそが次代の王に相応しいと理解してくれるはずだ。
その後は、アドルフの子が育つまでは名前だけの第一王位継承者となり、王となったアドルフを支えていけばいい。
「ですが、先も言ったようにセリアは……彼女は、ミノタウロスに囚われています。彼女を助けるために、騎士団を動かしていただきたいのです」
「うむ。では、俺の方から話を通しておこう。俺もその少女には興味がある」
「ありがとうございます」
「だが……その救出が成ったならば、それこそ観劇の脚本にでもなりそうだな。王道のヒロイックサーガだ」
「はは……」
アドルフの言葉に、ユースタスは微笑みだけで返す。
確かに、急流に流された王子を善意で助けてくれた女性。その女性を相手に恋に落ちた王子が、悪の存在――ミノタウロスに囚われた女性を助けに向かい、救い出して自分の妻に迎える。
それだけ聞けば、確かによく出来た英雄譚だ。
「しかし俺は、安心しているよ」
「安心、ですか?」
「ああ。勿論、お前にそんなつもりはなかっただろうが……俺の周りでは、ユースタスを警戒しろ、と言ってくる連中が多くてな。ユースタスはクオンタム公爵家と共謀して、王位を簒奪しようとしている、とかな」
「兄上の方にもですか……」
はぁ、と大きく溜息を吐く。
側室の子と正妃の子――その立場もあろうが、互いの婚約者もその理由の一つだ。
ユースタスはアリアン王国でも一位二位を争う大貴族、クオンタム公爵家の一人娘だったベアトリーチェと婚約した。比べてアドルフの婚約者はというと、宰相の娘ではあるものの家格としては侯爵家である。
実家の力を比べれば、一目瞭然というほどだ。
「ああ。だが、お前がそうやって身を引いてくれることを、平民の女性を妻に迎える形で示すことができるならば、今後はそう言い出す者もいるまい」
「そうですね。僕としては、兄上にも反対されると思っていました」
「反対する必要もないさ。ただ……もしかすると、未婚の娘が大森林の奥に住もうとするかもしれないな、と危惧しているくらいだよ」
「ははっ」
アドルフのジョークに、ユースタスは思わず笑ってしまった。
平民が王族と結婚するなど、本来ならばありえない。今回については、セリアがユースタスの命を救ったことこそが、その最大の理由となるのだ。
アドルフの危惧も、分からないでもない。
「ただ、懸念は一つあるんです」
「懸念か?」
「ええ。恐らく洗脳魔術なのだと思いますが……セリアは、まるでミノタウロスのことを、自分の夫だと考えている様子なのです」
「なんだと……?」
「もしもその洗脳が解けない場合、僕は彼女の夫を殺したことになるのかな、と……」
「むぅ……」
アドルフは、少し考えてから大きく溜息を吐いた。
「許しがたいな、そのミノタウロスは」
「兄上……」
「今まで、恐らくその娘はミノタウロスに虐げられてきたのだろう。なるべく早く、騎士団を動かすよう要請しておく。また、その際には俺も同行しよう」
「えっ……兄上もですか?」
「無論だ」
アドルフは、笑顔で大きく頷いた。
「俺の可愛い弟の、妻になる女性だ。挨拶をしておくのは当然だろう」
「兄上……ありがとうございます」