プロローグ
「うぅっ……」
「……」
困りました。
今日はいいお天気でしたので、お洗濯をしようと近くの川へ向かったのですが。
家を出てすぐのところで、何故か行き倒れている殿方がおられました。
身分は、かなり良い方なのだと思います。着られている服は高級そうですし、腰に差した剣も安物ではありませんね。ですが、何故このような森の中で、供も連れずに行き倒れられているのでしょう。
どうしましょう。
困りました。
「あの、もし」
「うっ……き、君は……?」
「はぁ。通りすがりなのですが」
行き倒れの殿方が、わたしの言葉に対して顔を上げられました。
整っている、美形の殿方です。ですが、顔中が泥で汚れていますし、小さな傷が幾つもあります。あとは、生まれつき色白な方なのか顔色が悪いのか分かりませんね。少なくとも、体調はあまりよろしくなさそうです。
殿方は、まるで希望に出会った、とばかりに小さく笑みを浮かべられました。
「す、すまない、お嬢さん……頼みが、あるんだ……」
「何でしょうか?」
「何か……食べるものを、いただけないだろうか……もう、三日も、何も口に、していない……」
「そうでしたか。でしたら、何かご馳走いたしましょう」
なるほど、思っていたよりもスタンダードな行き倒れ理由だったのですね。
高級そうな服を着られていますし、何か厄介ごとかと思ったのですけど、問題ないようです。
このウルーシュ大森林は魔物が多く出現しますから、重罪人の流刑の地とされているのです。ここよりももう少し奥に行くと、流刑に処された罪人たちによって作られた集落もあったりします。
それと同時に、魔物が多く出没するので、貴重な魔物の部位を求めて冒険者が入ってくることも多々あります。どうやら、この方はただの迷い人のようですが。
「す、すまない……」
「わたしの家はすぐそこですが、歩くことはできますか?」
「あ、ああ……こ、ここに、住んでいるのか……?」
「はい。こちらへどうぞ」
仕方ありません、お洗濯はまた後ほどやることにしましょう。まずは困っている人を助けることからですね。
別に聖人君子というわけではありませんよ。ただ、どれほどの極悪人でも、目の前で行き倒れていたらちょっと助けようと思うのが当然ですよね。
あとは見返りも多そうですし。こういうとき、恩を売っておけば後で何かあったりするのです。
何せこの方、この森から最も近い王国――アリアン王国の第二王子様ですから。
ユースタス・ベルンハイム・アリアン様ですか。きっと森の中で道に迷われたということで、王国は混乱していることでしょうね。もしかすると、捜索隊など出ているかもしれません。
あ、申し遅れましたが、わたしはセリア・アウゼンバッハと申します。
まぁ、今はただのセリアですけど。今のわたしに、実家との繋がりは全くありませんし。
「こちらです。ユースタス様」
「あ、ああ……ここ、が……?」
川から少し離れた掘っ建て小屋――そこがわたしの家です。
まぁ、あまり外観の良い家ではありませんけどね。知らない人が見たら廃墟に見えるかもしれません。
普通よりも大きく作っている扉を開いて、ユースタス様を招きます。
「あ、あれ……? 僕の名前を……?」
「おっと」
「僕は、名乗った覚えが……」
「失礼しました。いつだったか、お顔を拝見したことがありましたので」
「そ、そうだったのか。いや、すまない……」
少々ミスをしてしまいました。ですが、まぁ誤魔化せたようで何よりです。
名前を聞いたのも初めてですし、お顔を拝見したのも初めてです。わたしにしてみれば王族なんて天上人ですから。
だからこそ、ちゃんと親切にした見返りは期待していますよ。
「どうぞ。余り物で恐縮ですが」
「おお……!」
昨夜作った、お野菜の煮物です。味付けは塩だけですので、王族の舌には合わないでしょうね。
まぁ、旦那様は何を作っても喜んでくださいますから。わたしの旦那様は王族ではありませんし。
とはいえ、そのような懸念もよそに。
ユースタス様は、がつがつと貪るようにわたしの作った煮物を召し上がられていました。よほど空腹だったのですね。
おかわりを要求されましたので、差し出します。
「ああ……うまい……」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、本当にありがとう……あのまま、飢えて死ぬかと思っていた。まるで、きみは女神のようだ……まさしく、天上の美味とはこういうものを指すのだろう……」
「言い方が大袈裟ですよ」
ちょっと照れます。
空腹は最高の調味料ともいいますが、そう言ってもらえると嬉しいものです。
ユースタス様はおかわりの煮物も全部召し上がられて、横のグラスに注いだ水を飲み干されて、大きく息をつかれました。
「あ……そういえばお嬢さん、きみの名を聞いていなかった。僕はユースタス・ベルンハイム・アリアンだ。今回は、兄と共に魔物狩りに来ていたのだが……途中で護衛とはぐれてしまい、道に迷ってしまったんだ」
「はい。わたしはセリア・アウゼンバッハと申します」
「アウゼンバッハ? 聞いたことがないけれど、貴族家なのだろうか?」
「まぁ、そのようなものです」
ええ、聞いたことないでしょうね。
何せわたし、森を挟んだ隣の国――ハロルド王国の下級貴族の出自ですから。なるべく国から離れたかったので、このあたりに住んでいるんですよ。
とはいえ、隣国の貴族家がユースタス様の名前を知っているというのも違和感があるでしょうし、誤魔化しておきます。
「いや、とはいえ……本当にありがとう。僕は、きみに命を救われたようなものだ」
「いえいえ。たまたま通りがかっただけですから」
「きみは、ここで一人で暮らしているのか?」
「あ、いえ。既婚者です」
ちゃんと愛する旦那様がいますよ。
ここはわたしと旦那様の愛の巣ですから。この小屋も旦那様のお手製なのですよ。
「あ、ああ……そ、そうだったのか。それはすまない」
「いえいえ」
「ならば、こうやって入り込んでいる僕は間男に間違われるかもしれないな。どうか、ご主人にも挨拶をさせてほしい」
「ええ、それは構いませんけど……」
まぁ、もうそろそろお戻りになられる頃だとは思いますけど。
ですが、驚きはしないでしょうか。まぁ、本人が挨拶をしたいと言っているわけですから、別にいいですよね。
と、話している間にどうやら戻られたみたいです。足音が聞こえてきました。
「あ、お戻りになられたみたいですね」
「そうか、なら……」
ぎぃっ、と小屋のサイズに見合わない、大きな扉が開かれます。
それと共にぬっ、と顔を出してきたのは、巨大な牛の頭でした。
「ひぃっ――!?」
「お帰りなさいませ、旦那様」
ユースタス様が、思い切りひっくり返って驚かれています。
はい、ご紹介いたします。わたしの愛する旦那様です。
今日も精悍なお顔をなされております。わたしの倍以上もある体つきに、男らしい毛並みの綺麗なお方です。お仕事が終わったからでしょうか。少しばかりお疲れのようです。
「……」
「まぁ。お花を摘んできてくださったのですか。ありがとうございます」
「……」
「あ、はい。あちらの方は森で行き倒れていらっしゃったので、お食事の方を提供いたしました。間男に間違われても困るからと、旦那様にご挨拶をなさりたいそうです」
「……」
「まぁ……旦那様はお優しいですね。承知いたしました。すぐにお食事にいたしますので、座って待っていてくださいませ」
「……」
旦那様は何も仰いませんが、わたしには分かります。
わざわざユースタス様がご挨拶をなさる必要はないとのことですし、わたしもいつも通り旦那様のお食事を用意するといたしましょう。
「え!? え!? どういうことなんだ!? きみは一体!?」
「え?」
「ど、どういう……!」
「ご紹介いたします。わたしの旦那様です」
「……」
「はぁぁぁぁっ!?」
はい。
わたしの愛する旦那様は、牛頭人身の巨人。
ミノタウロスです。




