第一話
「まぁ! お目覚めになられましたか?」
その言葉とともに、明るい栗色の髪の、年の頃はまだ十代の女性が視界に入ってくる。
「ご気分はいかがです? リリー様」
リリー? それは私の名前ではないわ。えっ、でも、そういえば、リリーは私だわ。
「至急、フィリップ先生をお呼びしますね。このまま、お待ちくださいませ」
栗色の髪の女性は視界から消えた。
声を出そうとしても出せない。身体も動かない。いったい、どうしたのだろうか。瞼が重い…。
「リリー様、フィリップ先生がいらっしゃいましたわ」
視界に初老の男性が入ってくる。
「フィリップ先生、リリーウェザーの容態は?」幼い感じの、まだ男の子といった感じの声。
声がした方に視線を動かす。
濃い茶色の髪に青い瞳を持つ、7、8歳の男の子。
それは、ずっと以前、想像していた通りの髪と瞳の色。
「……かっ、かっ、か…がみ」
そのかすれた声にその場にいた三人は驚くが、すぐさま栗色の髪の女性が手鏡を差し出した。
「これでよろしゅうございますか? リリー様」
鏡の中には青白い顔色の、濃い茶色の髪に青い瞳を持つ5、6歳の女の子がいる。
鏡の中の女の子はゆっくりと目を閉じた。
そう、これは、私が、書いていた、小説の世界…。
手入れの行き届いた庭を時折、柔らかな風が木々の葉を揺らして通り抜けていく。
長椅子に身を横たえ、その様子を眺めていた女の子は視線をずらした。
「マーサ、いつまでこうしていなければならないのかしら?」
マーサと呼ばれた栗色の髪の女性は柔らかな笑みを浮かべながら、きっぱりと言った。
「順調にご回復されているとはいえ、事故から二週間。お目覚めになられてからまだ十日。まだまだ、ご静養が必要です」
マーサは、ため息をついて庭に視線を戻した女の子の姿に安堵の笑みを浮かべた。
怒涛の二週間だった。
前公爵夫妻とその娘・リリーウェザーが乗った馬車が崖から転落し、夫妻は死亡、リリーウェザーは軽傷ながら意識不明。
公爵家の家督は嫡男でリリーウェザーの兄・アルファートが継ぎ、葬儀も滞りなく執り行われた。
マーサの心配事といえば、自身がお世話申し上げているリリーウェザーの『らしからぬ』言動だけであった。
「本が読みたいわ」
「それでは、何冊かお持ちいたしましょう」
「絵本は嫌よ。図書室で自分で選びたいわ」
マーサが木製の扉を開け、リリーは図書室に初めて足を踏み入れた。
父親である前公爵からまだ幼いからという理由で図書室への入室は禁じられていた。
目の前には庭を見渡せる窓があるが、左右の壁一面にある本棚には窓から差し込む日の光が当たらないようになっていた。
「リリー様、やはりアルファート様に入室のお伺いを立てたほうがよろしいのでは? いかがなさいました、リリー様?」
大きな鏡の前で言葉なく立ち尽くしているリリーの姿にマーサは不安を覚える。
目覚めてからリリーはよく鏡を見るようになった。
そして、そのまま時間が過ぎるのを忘れたかのように無言で鏡の中を見ている。何かを考えているかのように。
リリーウェザーはかわいい。確かにかわいい。想像した以上に。
首を傾げると鏡の中の女の子も首を傾げる。
夢を見ているのか、それとも、こちらが現実か…。
リリーは長椅子に座り、考えをまとめようとした。
事故後、目覚めたときに自分の中でリリーウェザー以外のもう一つの記憶が突然よみがえってきた。
藤沢 舞。夢想することで現実逃避している、そんな人間。小説を書いて、幸せな世界を想像していた。
リリーウェザーはそのような小説の一つ、『悲しみの手紙』の主人公だ。
舞台は『フォレスト王国』。広大な王国は、アルバ王家と5公爵家を中心に治められている。
5公爵家の一つ『サヴォイ公爵家』には、嫡男・アルファートとその妹・リリーウェザーがいる。
それにしても、あらすじだけを考えて書いていなかった小説で、主人公の年齢は17歳だったんだけど…。
リリーはもう一度鏡を見る。長椅子に腰かけている、幼い姿の自分が映っている。
この世界が、私が考えた小説の世界なのだとしたら、何とかしなければ…。
このままだと、17歳の時に、この国の王太子に処刑されてしまうわ!
次回更新予定 8月1日(土)
同じ作品を『アルファポリス』にも投稿しています。