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1 にんにく栽培家・ハルシュ



ここよりどこかの世界。今よりいつかの時間。

人間はヴァンパイアと恐れられる吸血鬼に一方的に捕食され続けていた。

干からびた死体は積み重なり、いつか人間とヴァンパイアの数も逆転してしまうだろうと囁かれていたその時。


そんな人間を救ったのは、たった一人の3歳の少年。


彼は彼の家に襲い掛かった一匹のヴァンパイアの口の中に、旅人から貰った珍しい植物の種を放り込んだ。

途端にヴァンパイアは腹を抱えて極限の苦しみを味わい、内臓をずたずたに引き裂かれて息耐えた。この噂は風のように世界を駆け巡り、世界各地で人間はヴァンパイアを殲滅していった。


人間は平和と安息を得、ヴァンパイアは恐怖と絶望を味わった。


時代を経ても変わることの無い、人間がヴァンパイアに対抗する唯一の手段。それは。


「このにんにく」






ヴァンパイア・ラブ 1 にんにく栽培家・ハルシュ







水溜りをうっかり踏んだ足に大量のドロ玉が模様になる。

にんにく栽培家のハルシュ・ボタンポは深い森の道を歩いていた。

一歩踏みしめるごとに足がずぶずぶとぬかるみにはまり込み、足首まで不快なぬめり気が這い上がってくるような感覚にハルシュは日に焼けた茶色い髪をかきむしった。

さっき道を一本間違ったのが痛かったか?自問自答を繰り返しながら、彼は一人重い荷物を背負って重い足取りで歩いていった。


次第に、日の光も差さぬほど鬱蒼とした森に夕方の明かりが差し込み始めた。湿りきっていた道も乾いていき、歩きやすい道になっていく。

深い青色の瞳が輝き、心もそれに合わせ明るくなってきたハルシュは改めて周囲を見回してみた。

緑生い茂る木々の向こう側、一軒家がぽつんと立っていた。ハルシュは天を仰ぎ少し考えるようなそぶりを見せた後、その家を目指して歩き始めた。

夕暮れは近い。夜になれば星の明かりも頼りに出来ないと考えたハルシュは、一軒家に泊めてもらうつもりだった。


「おお」


周辺の木々がぽっかりと広がって、その家を光の下に晒していた。

相当年季の入った家らしく、壁はもろく色も変わりツタが絡み、強風でぱたんと倒れてしまいそうなほどだった。


「あの〜、すいません〜」


呼びかけには何の応答も無い。不審に思ったハルシュは表情に表しながら、どこか楽しげにその家をぐるりと回り見ることにしてみた。


なるほど、本当に一軒家だ。


そんなどうでもいい感想しか浮かばない自分に苛立ちながら、ハルシュは水たまりを避けつつ再び玄関に向けて歩き出した。と、角から突然一人の少女が飛び出した。


「あ……」


山葡萄の実がたくさん入った籠を抱えた、腰ほどまである艶やかな黒色の髪に、真っ黒な瞳の色をした際立つ美麗の少女。その顔を見て、ハルシュはかすかに口を開けた。すぐに彼はにっこりと笑った。


「ども。あの、僕旅のものでして、よかったら泊めてくれません?」


ハルシュの浮かべる人懐こい笑顔をどう思ったのか、彼女は背中を向けてすぐさま視界から消えてしまった。


「あれ」


素っ頓狂な声を上げて数秒、走ったハルシュは角を覗いた。

なんとなく見届けたその先に、窓越しに先ほどの少女が誰かと何か会話をしている。

少女がこちらに気づき、あっと声を上げた。窓から身を乗り出したのは、顔中に深い皺の刻まれた老人と見まがうほどの壮年の男性だった。壮年にしては白髪も混じらぬ黒髪に真っ黒な瞳。


「…あなたが旅の方でしょうか」

「え、はい。僕です」


一瞬、この男性が顔を顰めたのをハルシュは見逃さなかった。


(それに、この皺…皺じゃないぞ。よく見ると…傷だ)


その考えをすぐに飲み込み、


「駄目ですか?」


愛想笑いを浮かべたハルシュはぶらぶらと手を振った。

男性はすぐさま微笑を浮かべた。


「いえ、是非とも泊まっていってください。この辺りは夜中野犬もでますでな」

「おおっ、ありがとうございます!」

「いえいえ。玄関のほうへどうぞ」


家の中へ姿を消した男性を見送った後、ハルシュは少女に笑いかけた。


「君もありがとな。伝えてくれて」

「……」


無言無表情無反応のまま、少女は踵を返した。


「嫌われてんのかな…」

「心配なさるな」

「わぁっ」

「シリーは人見知りでしてな。人と接するのはなれとらんのです」

「急に出てこないでくださいよ。びびったぁ」











ハルシュを一宿に迎え入れたこの男性は名をジャックと名乗った。

ハルシュは旅人であるが故に、さまざまな土産話というものを持っていた。

それに加えてジャックは良き聞き手であったため、二人はほとんど休まずに喋り続けたほどだった。

いつしか日も暮れ、シリーと呼ばれた少女の夕飯を余すことなく平らげたハルシュとジャック。


「いやいや、とても楽しい夕食でしたよ。ありがとう」

「こっちこそ、すっかりご馳走になっちゃって」

「ところでつかぬことをお伺いしますが、あなたはヴァンパイア・ハンターですかな」

「…元、ですけど。なんでわかったんですか?」

「あなたからはとてもきついにんにくの香りがいたしましたので」

「すいません…今はにんにく栽培家やってるんですけど」


ヴァンパイア・ハンターとは。

30年ほど前に最盛期を迎えた、ヴァンパイアを駆逐することを目的に修練をつんだ人々のことである。大抵の人員は親類をヴァンパイアに殺された人々によって構成されている。

ヴァンパイアの弱点であるにんにくを常に携帯していたため、その強烈な臭いから女性や宿屋などからは非常に不評であった。

その脅威はヴァンパイアにとって凄まじく、彼らの存在をヴァンパイアたちは非常に恐れたといわれている。事実ヴァンパイアの半数以上が彼らの手によって葬られている。


「にんにく…ヴァンパイアにとっては、禁断の果実といったところでしょうか」

「そりゃあ、死んじゃいますもんね。喰ったら」

「そうです。だから…彼らは一つの決断を下した」

「人間と交わるって言う、あれですか?」

「よくご存知だ」


ヴァンパイアは種族消滅という危機に瀕していた。このまま人間達と争っても、殲滅させられることは目に見えている。それだけは回避しなければならない。当時のヴァンパイアの長、スローギアは一つの決断を下した。

自らの食物である『人間』たちと交わろう。

この決断に当然ヴァンパイアたちの凄まじい反発があった。

彼らは完全に二分され、純粋な血統を好むヴァンパイア達と長の決定に従う混血のヴァンパイア達に分かれていくことになった。


スローギアの提案は荒唐無稽に見えて、実に合理的であった。ヴァンパイアというものは人と同族に近いものがあり、相性も良かった。

長は人里から人間の娘を連れて行き、自分の妻として自ら種族の方向性を示して見せた。

この人間の女性が実にさっぱりとした性格で、スローギアの妻となることをあっさり快諾したという。

好きになったんだったら種族なんか関係ない、という言葉がそれを示している。


彼らの間には二人の子供が生まれた。事実上、初めての人間とヴァンパイアのハーフということになる。


「二人の子供は互いに成長し、自らを異端の存在であることを理解した」

「人間たちにも溶け込めず、かといってヴァンパイアとしても半端もの…」

「だからそのうちの一人は人間を憎んでいる。この先ヴァンパイアが人間の中に溶け込んでいくとしても、中間の私達は半端なままなのだと」

「人間としちゃ、勝手な話ですけどねー。こっちの都合なんて聞いてくれないし、争う理由もむこうが襲ってこなきゃ無いし」

「君には無くとも、私にはある」

「……」

「君は我が同胞の敵」

「まさか、あんたは」


瞬間的に後ろに仰け反ったハルシュの鼻先の空気を、鋭く伸びた爪が引き裂いていく。

ハルシュはそのまま手を床につくと、床を目一杯押して背後の窓を蹴破った。

静寂を切り裂くガラスの割れる音、一番に飛び出したハルシュを追って飛ぶ、一匹のコウモリ。


「クカカカカカ」

「ヴァンパイア…か」


ばりばりに裂けたようなガラスの残る窓から身を乗り出したシリーは、悲痛な声を上げた。


「おじさんっ!」


空中で、巨大な蝙蝠は徐々にその姿を変えていく。耳まで口は裂け、真っ赤な舌がちろちろとのぞく。細く吊り上げた目は欄欄に輝き、耳も直線的に尖る。背中に生えた翼もぎりぎりと尖り、満月を背景に広げた姿は、ハルシュの見慣れたヴァンパイアそのものの姿だった。


「コノチカラゴセンゾサマニトオクオヨバヌモノノ、キサマゴトキヲコロスノハタヤスイゾ」


ハルシュは右の腰のポケットをまさぐりながら、左のポケットから樫の木を削って作ったパチンコを取り出した。伸縮性に富むハラエティ地方のゴムの実を使用した特注品である。

急降下してくるジャックの爪を横っ飛びに交わして肩から地面に落ちたハルシュはそのままの姿勢でポケットから取り出したにんにくの種子をパチンコに装填し、放った。

種子が目指すのは基本的にヴァンパイアの口である。

これを爪で細切れにしたジャックの笑みが一気に掻き消えた。

爪が腐食を始めたのだ。

すぐさま身を起こしたハルシュが鋭い目つきでジャックに声を放つ。


「種子は僕のオリジナルだ。中身はヴァンパイアの肉体を切り裂いていくぞ」

「キサマァッ!!!」


礫のように5つの種子が空に放られた。ジャックは全てを隙間を縫って飛び回り、一つも当たらずに避けきった。その出口に辿り着いたジャックの口ににんにくが飛び込んできた!


「グッ」


吐き出す間もなく喉をするりと通り抜けたにんにくは食道を通り過ぎた。


「ギャア、ああああああああああああああっっっ!!!!」


その途端、ジャックの口から森の静寂を幾重にも切り裂く恐ろしい絶叫が吐き出された。

背中の羽は瞬く間に消え、目も耳も爪も縮み人間としての姿を取り戻したジャックは地面に落ちた。


いつの間にか家を出ていたシリーがジャックの傍まで駆け寄った。


「おじさん!」


胃の辺りを押さえて苦しむジャックの顔色は土のように暗くなり、だらだらと汗が滲む。

苦悶の表情がシリーの涙を誘い、そして彼女は鋭い目つきでハルシュを睨んだ。


「よくも…!」

「大丈夫だよ」


無表情に二人に近づくハルシュは、またも腰のポケットをまさぐると、青い木の実を取り出した。

地面に倒れて苦しむジャックに近寄ろうとしたハルシュに、


「近づかないで!」


凄い剣幕のシリーが叫ぶ。

その瞬間、シリーの身体の近くを目にも留まらぬ速度で青色の木の実が駆け抜けた。

その意味が知れたとき、シリーの背後で苦しがっていたジャックの呻き声が止まった。


「おじさん…」


ジャックは全身の震えも発汗も収まり、呼吸も次第に落ち着きを取り戻していく。


「純粋なヴァンパイアならにんにくを体内に入れた時点でダメだ。だけど…ジャックさんはハーフだ。中和剤になるブルーベリーの実が役に立つ」


青い実を指につまんでみせたハルシュの言葉に、ジャックはシリーに身体を支えられながら、驚愕を示した。


「な、何故、私を…助ける」

「言ったでしょ?戦う理由は無いって」


ハルシュは腰のポケットを裏返して、中のにんにくを全て地面に落とした。

そしてジャック達に近づいて、ジャックの腕を肩にまわした。


「そっち持って。ベッドに運ぼう」

「は…はい」












荷物を纏めたハルシュは寝室に足を運んだ。

二つのベッドが並ぶ寝室の奥のベッドに横たわるジャックに、付き添うシリーの背中が見える。

ハルシュはなるべく音を立てないように、振り返り、置いてあったリュックサックを片手に持ち上げた。


「お待ちくだされ」


ハルシュの背中に飛んできた声が彼の動きを止めた。ハルシュが振り向いたその先から、ジャックとシリーの顔が見える。


「寝てなくていいんですか?多分、あと1日は動けないですよ」


ハルシュの声は柔らかく透き通っていた。


「今目蓋を閉じてしまうと、あなたが行ってしまうのでな」

「…まだ戦うつもりなんですか?」

「いや…もう決着はついた…」


身体を起こしたジャックはハルシュの目を見た。


「あなたに頼みがあるのです」

「頼み?」

「この娘を、シリーをあなたの旅に連れて行ってはくれませぬか」

「「え!?」」


素っ頓狂な声が重なったのは、ハルシュとシリーが同時に驚いたからだ。思わず目を合わせる二人はお互いの目を凝視した後、先にシリーが視線を伯父に移した。


「シリー、よく聞きなさい。お前はクォーターだからこそ、この世界で人間と暮らさなければならない」

「…うん」


口が返事をしたものの、どうやら頭はそこに追いついていないらしい。


「…本気でそんなことを言っているんですか?」

「本気です」


ハルシュの呆れた声に、ジャックは大真面目に返した。


「あなたになら安心してシリーを預けられる」


ハルシュは引きつった笑顔を浮かべた。

何か大きな荷物を無理やり背負わされた気分だった。







次の日の朝。森に降りた露が空気を湿らせていた頃、一軒家の扉が静かに開いた。

中から、ごついリュックを背負ったハルシュの後に続いて、大き目の肩掛け鞄を持ったシリーが姿を現した。

ハルシュは振り返ると、半目でシリーの顔をみつめた。


「本当に僕と行くの?」


対するシリーは少しむっとしながら、毅然とした態度を示した。


「はい。おじの言いつけです」

「いいのか?」

「はい」

「…わかった」


ハルシュは片手で頭を抱えた。


(あ〜あ、とことんついてないな…)


だがすぐに次へ切り替えられるのはハルシュの利点である。彼はにぃっと笑った。


「ま、とにかくは次の村だ。よろしくな」

「……」


笑顔のハルシュに答えず、目線を下に向けたシリー。


「…やりにくいなぁ」


呻いたハルシュを誰が責められようか?

ため息を一つ吐いて足を進めたハルシュの後ろに従うシリーは、一度だけ背後の一軒家を振り向いた。

この家の中には、伯父がいる。

シリーはぺこりと頭を下げて、再び前を向いて歩き出した。


「そういや、シリーっていくつなの?」

「…14ですけど」

「へ〜。あ、僕は22なんだ」

「そうですか」







朝日がじんわりと染み込む部屋の中。ジャックはベッドに身体を横たえたまま、動かずに宙を見上げていた。


「……キュラ。私をどう思う……」


色褪せた思い出の中に居る妹に向けてジャックは声を飛ばした。当たり前のことだが、返事は無い。

変わりにたった一つだけ、起こったことがある。

ジャックはそれに気づかず、いまだ天井を見上げたまま、彼の顔の傷の跡が少しずつ癒えていくのだ。



愛が誰かと誰かを繋げるとき、奇跡が起こる。この世界は、そんな世界なのだから。


Feマンと同時進行して、もう一本書きたいものを書くことにしました。Feマンよりゆるく、優しいお話にしたいなぁと思います。

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