It's a long road
あれから約3ヶ月。
壊滅した王都の復興が着々と進む中、真理亜は廃墟のように荒れ果てた砦でひとり暮らしていた。
ジョージ=クライング・フェイスを討ち、長きにわたる戦争を終わらせた英雄。
しかし真理亜は他国からの招きや面会などもすべて拒絶した。
誰とも会わず、薄暗い一室にひっそりとこもっている。
イスに座り、テーブルに肘を置きながら、静寂の中に身を置いていた。
虚ろな瞳の先、部屋の隅っこ。
そこにはひとりの幻覚が立っている。
中学生時代の畑中譲治。
まだ少し幼さが残る瞳を向けながらじっと真理亜を見つめてくる。
笑いもしない、睨みもしない、しゃべりかけもしない。
だが真理亜はそれを是として、同じように見つめている。
ただそれでよかった。
こうして互いに見つめている時間が、今の真理亜にとっては平穏そのものなのだ。
そんなある日のことだった。
車イスに乗った来客がやってきたのだが、真理亜はいつもどおり面会に応じようとしない。
だが、それすら無視されて強引に部屋に押し入られた。
それはかつての大臣とこの国の王女だった。
ジョージ=クライング・フェイスにそそのかされた近衛兵たちを全員打ち倒したはいいものの、左腕はなくなり、右足にいたっては義足をつけているありさま。
左目も失明してしまい、眼帯でおおってしまっている。
カラカラとオンボロの車イスに乗せられながら、真理亜のところまで憤怒の形相でやってきた。
「……」
一瞬わずらわしそうにしたが、真理亜は彼女に見向きもしなかった。
王女よりも幻を見ているほうがずっといい。
「どこを見ていますの?」
王女が自力でこいで、真理亜の視線上まで来る。
真理亜と目を合わそうとするも、彼女はそれを無視した。
ずっとそこに佇む幻覚の彼に、視線を向けている。
ほんの少しでも見えていれば、それで満足だから。
だが次の瞬間。
────バシャッ!!
「王女様ッ!」
大臣が思わず声を上げる。
テーブルの上に置かれていた飲み水の入ったコップを手に取るや、それを真理亜の顔面にかぶせたのだ。
ポタポタと水滴が床に落ちる。
髪や頬、唇を伝って、そのまま胸元へ。
艶めかしくも鬱々とした真理亜の有り様に誰もが閉口する中、王女はかまわず罵声を浴びせる。
「アンタたちのせいよ! アンタたちがこの世界に来なければ! アンタたちが召喚に選ばれなければッ! こんなことにはならなかった! 返してよ。お父様を返して! 領民たちを返して! 私たちの国を返してッ! 返しなさいよぉぉおおおお!!」
頭に血がのぼってまともな会話すらできない。
徴兵する側が徴兵された異世界人を責め立てる。
「特別な力を持ったからって、好き放題やりやがって! 調子に乗ってんじゃないわよこの蛮族の野蛮人どもが!!」
「王女様おやめください! 面会をなさるとは、まさかこのような……」
「うるさうるさいうるさい! 大勢の人が死んだ。なのになんでコイツはのうのうと生きてんのよ! なんで! ねぇなんで!? あのクソッタレのジョージ=クライング・フェイスもろとも、全員野垂れ死んでりゃよかったのよ!!」
王女が思いのたけをぶつける。
爆発する感情が言葉の汚らしさを加速させた。
しかし、それは真理亜の右ストレートが顔面に炸裂したことにより終息を迎える。
車イスから転げ落ち、鼻を抑えながらワナワナと真理亜を見上げた王女は、思わず背筋を凍らせた。
目は口ほどに物を言う、とは申せどもその目は人間に向けてよいそれではない。
屋外施設の汚い便器にへばりついたナメクジを見るような目で、真理亜は王女を見下ろしていた。
「殴った……私を殴った、殴ったぁ! 死刑よ! お前なんか死刑よ! 死刑にしてやるぅううう!!」
「は、早く王女様を!」
「は、ハッ!」
ジタバタと駄々をこねる王女をおともの兵士が車イスに乗せて去っていった。
ドアが閉まっても子供のような喚き声はしばらく聞こえてくる。
「……申し訳ございませぬ。私も、どうやら正常な判断ができぬようになっているようです。……あんな精神状態の王女様を、アナタのもとへお連れするなど……ククク」
苦笑いのあとボロボロと涙を流す。
しかし真理亜はなにも言わずイスに座り、また部屋の隅っこを眺め始めた。
「勇者殿、アナタのご活躍に私は感謝しております。……この国は本当の意味で生まれ変わるでしょう。新しい国王、新しい法律、新しい領民……その準備が着々と進んでおります」
「……」
「もう、アナタが元の世界にお帰りになるときも近いでしょう。どうかそれまで健やかに……。我々は、死刑こそ免れましたが、絶海の孤島まで流されることと相成りました。もう二度とこの国の土は踏めぬでしょう。致し方ありませぬ。今回の事件の責任は、我々にありますので」
そう一礼し大臣も去っていった。
部屋に静寂が戻ると、また畑中譲治を見ることができた。
そしてまたしばらくして、また来客が来る。
弾丸をお見舞いして追い払おうとも考えたが、相手が相手だけにそうもいかなくなり、その人物と連れを中に入れることにした。
「お久しぶりですね勇者様」
「……」
「覚えておいでですか? あのときワイバーンに乗ってアナタに武器を渡した女です」
「……」
「あ、そうだ。お互い堅苦しい挨拶は抜きにしませんか? そのほうがきっとお話しやすいと思いますので」
「……」
「私はメルゴー。西の国の第一王女です。……勇者様のお名前────」
「どうせ知ってるくせに……」
「アナタの口からお聞きしたいのです」
「大久保真理亜」
「真理亜様、ありがとうございます。……ずっと面会謝絶をされていたようですが」
「今もそうだよ」
「そうでしたわね。突然押しかけてきて申し訳ございません。でも、どうしてもお話しておきたかったんです」
「お話って? 誰か気に入らない奴でもいたの? そいつを殺して見せしめにしろって?」
「勇者様、いくらなんでも我らが王女にそのような……ッ!」
「かまいません。真理亜様はこうして私たちに話す機会を与えてくださったのです」
「ですが……」
「真理亜様、ご不満があるのならどうぞおっしゃってください。罵詈雑言を述べたいのであれば、私にぶつけていただいてもかまいません」
メルゴーは真理亜に柔らかな目線で優しい声調で話した。
「アナタはこの世界で十分に戦いました。今や世界中が平和のために動いています。あの魔王ですらもですよ? これから新しい時代が来るのです。すべてあなたのお陰です。アナタは役目を終えて、ようやく元の世界へと帰ることができるのです」
「平和だって? どうせ今だけさ……。数十年もしたらまた過去をぶり返しておっぱじめるに決まってる」
「真理亜様……」
「悪を倒してはい終わり? バカバカしい。どうせまた、誰かを悪にしてボロカスに叩きまくるくせに」
「勇者殿!」
「おやめなさいッ! 真理亜様、もう終わったのです。確かに今後も戦争が起きない保証はありませんが、それでももう今回の事件は終わったのです。アナタは立派に任務をまっとうしました。もう、武器を手に戦う必要は────」
次の瞬間、電光石火の早業で真理亜はメルゴーの胸倉を掴み持ち上げるようにして顔を近づける。
場に緊張が走り、騎士たちが剣を引き抜こうとするも、またしてもメルゴーが止めた。
「終わったって? 終わったと思うのか? そんな簡単に言うな! 勝手にこんな世界に連れてこられた挙句、人殺しなんてしたことのないただの子供に、人殺しをしろって、凶悪なモンスターを殺せってずっと命令されてきたんだぞ!? それでも帰れるようにってボクはベストを尽くした! でも、あの事件でなにもかもが滅茶苦茶になったんだ!」
「真理亜、様……」
真理亜自身でも死んだと思っていた自らの感情が、メルゴーの前で一気に爆発した。
「仕組まれた裁判だった。冤罪を晴らそうとした。でもけして国は認めようとしなかった! 挙句になんだ! 彼は怪物に成り果て、必死になって止めたボクはつい先日に蛮族の野蛮人扱いされた。この悔しさがアンタらにわかるってのか!? 人の人生を好き勝手にもてあそびやがって!! 大義名分がそんなに偉いかこのボケカス!!」
勢いに任せて真理亜はメルゴーを壁のほうに投げ飛ばす。
ガシャンと派手な音を立てるも、メルゴーはしっかりと受け身を取り、騎士たちに手出しをしないよう続けて制した。
メルゴーが見上げると、大粒の涙を流す真理亜の姿があった。
情緒不安定と言っていいくらいに、いっぱいいっぱいになった彼女は取り乱し、物に当たり散らす。
「国を返せ? 領民を返せ? 返して欲しいのこっちのほうだ!! 返せ! 皆を返せ! あの時間を返せ! あの生活を返せ! ……ただの子供だった、あの日々を返せってんだッ!!」
テーブルやイスをひっくり返し、壁を殴り壊し、弱々しい動きでもたれながら床にうずくまる。
譲治を撃ち殺したとき出なかった涙が、今の今まで堪えてきた辛さが一気に溢れ出て、喚き声として爆発した。
暗殺者の衣装をまとった、まだ年ごろの少女の背中には、見ていて胸が締め付けられるような哀愁が漂っている。
それはもう、人類最強レベルの猛者とは思えぬほどにか弱い姿だった。
────さびしく溶けていく雪のように、今にも消えていしまいそうな魂を抱えたこの少女は。
この姿を見た騎士たちの警戒が解けていく。
同時にこの世界を背負わせてしまっていたことへの罪悪感が、重く圧しかかった。
「……今思えば、私の娘と同い年くらいか」
「俺の息子よりもずっと歳下だよ。バカ息子だけどよ」
騎士の何名かが呟く。
メルゴーは立ち上がり、今日のところは引き上げることにした。
「真理亜様、本日はありがとうございました。またお話させてください」
「……アポは取って」
「わかりました。手紙を書きますので、また」
泣き止んだ真理亜は壁にもたれかかるような三角座りで、メルゴーたちを見送った。
次の日の朝には手紙が届き、会う日取りが決められた。
かなりの行動力のあるお姫様と、感心しながら彼女が来るの待つことに。
「それで、お話したいことってなんですか?」
「よかった。聞いてくださるのですね!」
「まぁ、聞くだけなら……」
「アナタの世界の法律を教えて欲しいのです」
「なんだって?」
「今回の件で私は考えたのです。もっと人々が安心して暮らせる世界にはできないかと。そのためには多くの知識が必要です。ですので真理亜様、どうか教えてはいただけませんでしょうか!?」
「いや、ちょっと待って。急に言われても……」
「ご存じの範囲でかまいません。ゆっくり、ひとつずつ……時間がかかってしまうでしょうが、この世界の平和のために学びたいのです。平和の未来へ導くのは戦いではない」
「戦いではない。でも戦いが廃れることはない。それでも……?」
「はい、それでもです」
真理亜は溜め息をひとつしたのち、持ち得る知識を脳みそから引き出し、言葉で伝えていく。
中学や高校の授業で得た知識と、テレビや新聞で見たり聞いたりしたまばらな情報。
だがその多くが抜けているため、上手く説明できないながらも、メルゴーは真剣に聞いてくれた。
そしてそれらの考え方に舌を巻いていた。
用紙にしたためながら、自らの中で咀嚼し、ものにしていく。
時間はかかるが、それしかない。
説明も解釈も難航する中で、それなりに充実した日々を送れた。
そして、大久保真理亜が帰還する日が訪れる。
これ以上真理亜が引き出せる知識はない。
あとは、この世界の人々が作っていくしかないのだ。
そして後世に語り伝える。
あまりにも愚かな過ちと、その過ちに巻き込まれた人々の切ない物語を。
そして、痛みを伴わせながらも生み出した新たな創造を。
そして、280年余りの歳月が流れたある日……。
かなり長くなってしまいました(わけたほうがよかったかな)
さて、次がラスト。
エピローグとなります。