死は来ませり
かれこれ30分くらいか。
真理亜は譲治の姿を見失った。
王都の外では戦闘が始まっているのか、他国の軍と魔王軍の喧騒が熱風に乗って聞こえてくる。
そんな中、街中を必死の形相で駆け巡るも、彼らしい影は見当たらない。
「どこだ……どこだ……ッ! ……────出てこいクソッタレ!!」
炎に包まれる無人の廃墟に、怒号が木霊する。
「どうせ、遠くからボクがワタワタするのを見て喜んでるんでしょ!? 笑ってるんでしょ!? そういう人だもんね君は!! 性格悪すぎるんだよバカヤロー!!」
虚しい怒りとさびしさを吐露する中で段々と頭に昇っていた血がひいていく感じがした。
周りが見えてきて、少し不自然なことに気がつく。
「……死体が、ない?」
あれだけの規模の戦いがあったというのに、血や物品が転がるばかりで、その主であろう存在が周りにはない。
嫌な予感がよぎる。
「なんだよ……これも、これも彼の仕業だっていうの? なんだよ……なんなんだよジョージッ!!」
二挺拳銃を手に進むと、ある広場へと続く道へ出る。
そのとき、丁度建物の向こう側へ行く影が見えた。
見間違えるはずもない、あのおぞましい触手だ。
死体を引きずったあとなのか、血が地面に続いている。
ふと先ほどの死体狼のことを思い出した。
あの悪趣味極まりない造形に反吐が出そうになりながらも、覚悟を決める。
「あぁいうのを作って、また駒を作る気か? そうはさせない。そうだよ……全部壊してやる。全部全部全部全部、ボクが壊せばそれでいいんだ。ボクにしかできない。ボクじゃないとできない。皆ボクにやらせようとするんだ……だったら、徹底的にやってやるッ!!」
勇気を振り絞り、建物から姿を現し、銃口を向けた。
だが、その引き金が引かれることはない。
真理亜は瞳を収縮させ、ワナワナと震えながら啞然とするほかなかった。
「ちょうどよかった。夜明けに向けての最終段階、お前にもぜひ見てもらいたかったんだ……」
鳥が木にとまるように、譲治は崩れかけの建物に器用に触手を絡ませている。
この広場は、クラスメイト相手に裁判ゲームをした場所。
そこを征服するように、『9つの巨大な球体』が並べられている。
「ジョージ、それは……」
「怒りや憎しみはもっと自由であるべきだと思ってる。その儀式は今整った」
「ジョージ、それはなんだんだ」
「幸せという古来より人間を支配してきた呪いは夜明けを以て終わる」
「それはなんなんだよ!」
「幸せという殻を破り捨て、人間は次のステップへと踏み込む。そこには幸せという言葉も思想も概念もない。誰もが自由な怒りと解放された憎しみで満たされる。本当の意味での人間的、あまりに人間的な破滅世界の完成だ」
「『それ』はなんだって聞いてるんだッ!! なにやってんだよジョージ!!」
真理亜のさえぎりに譲治は冷めたような視線を向ける。
「言わなくてもわかるだろ。────『卵』だよ。王都中の死体で作ったな」
球体の正体は卵。
死体狼のように、いくつもの死体で作り上げた原始・原初の象徴。
王都の民や兵士だけではない。
これまで譲治に荷担してきた人間やモンスター、クラスメイトたちの死体もふんだんに使っている。
まるで拷問を受けているかのように死体たちが呻き、そして蠢いている。
それが真理亜へ猛烈な嘔気を誘った。
「さんざん人を殺しておいて、これはダメなのか。線引きがわからんねぇお前」
「ごほっ、けほ……そんなものを使ってなにをする気だッ!!」
気を失いそうなほどの眩暈を堪えながらも右手の銃を必死こいて向ける。
狙いが定まらないくらいにまで震えあがるほど、あの形状があまりにも恐ろしかった。
卵ということはいずれ孵化するということ。
あの中にある混沌が目覚めるなどあってはならない。
「……卵は育ち、私は育つ。卵は生き、私も生きる。俺は神にはなれないが、これから神話を作ることになるだろう。すごいぞマリア。お前はその立会人になれる」
譲治は上空へとはばたくと、卵たちも同じように浮き上がる。
真理亜はさせまいと卵に数弾撃ち放つが大した効果はない。
そして彼らは、奇妙な陣形を取り始める。
卵から発する妖光は、互いを繋ぎ合い、複雑な文字列を作りながらある紋章を象った。
「まさかあれは……セフィロトの、樹?」
その中心を担うは大きく翼を広げたジョージ=クライング・フェイス。
夜空に輝く幾何学めいた大いなる紋章は、彼を中心にゆっくりと逆さに向きを変えた。
「さぁ夜明けも近い。目覚めろ子供たち!!」
譲治の言葉で孵化が始まる。
生まれたるは長身痩躯のミイラめいた『なにか』たち。
翼を生やし、老人のような呻き声を上げながら生誕する。
1匹ではない、何匹も何匹もウジャウジャと出てきてあっという間に王都の空を埋め尽くした。
「死体から孵った死の赤子。魂に内包されていた憎悪と怒り。さぁ飛び立とう」
譲治は王都の外へと飛翔する。
親鳥についていくように怪物たちも飛び立っていった。
今この国では種族を問わず、多くの命が密集している。
空から襲い来る群れに戦況は一変。
怪物たちは人間、モンスター問わず食らいつく。
爪で引き裂き、協力して引き千切り、上空に放ってはまた食らいつく。
まるで遊びに興じているかのようだった。
しかも怪物に殺された者の血肉から、また怪物が生まれるという悪循環。
血肉と感情そのものを苗床とし、ねずみ算方式顔負けの増殖をしていく生態であるこの怪物たちに戦場は阿鼻叫喚の嵐に変わる。
「なんだよ、なんだよこれ……アハハ、ハハハハハハ、ハハハハなんだんだよなにやってんだよ」
真理亜は譲治を追うように建物の上に移動し、その光景をいやでも目の当たりにすることになった。
生気を失った目を見開きながら、ひきつった笑みを浮かべて、ガリガリと頬や首筋を引っ掻く。
そうでもしなければ落ち着けないような気がして、正気を保てないような気がして震えが止まらない。
「夜明けまであと1時間。日の出の光を合図に、子供たちは世界中に飛び立つ。ゆくゆくは宇宙を渡り、別の世界に。まずは俺たちの故郷『地球』だ」
譲治が真理亜のほうへ飛んできて、そう告げた。
「これを止めたいか? え? お前にしかできないんだろう勇者殿? アイツらを止める方法はひとつ、俺を殺すしかない。まだ生まれたばかりの子供たちは不安定だ。俺との繋がりでまだ実体化を保てている。ただし、それは日の出までのこと。それ以降になってから俺を殺しても無駄だ。無限に殺し、無限に増える。幸せを遥か彼岸へと置いてきた新たな存在として、宇宙の頂点に君臨する種として生き続けるだろう。……俺が望んだ、『幸せ』が駆除されたセカイの開闢だ」
「……地球を?」
「そのとおりだ。あれ、前に言わなかったっけ? ……悪ぃ覚えてねぇや。俺を殺したくない、殺すんじゃなくて止めるんだと思うのはお前の自由だ。だが、代償は大きいぞ? 選ばせてやる」
真理亜は震えた瞳のまましばらく彼を仰ぎ見ていた。
人知を越えた憎悪を抱く目の前の譲治の姿に、かつての面影がないことに、今になって気づいたのだ。
中学時代、そして高校時代と。
たったひとつの恋心の行き着く到達点が、こんな地獄だったなんて誰が教えてくれただろうか。
(あぁ……ボクはなんて思い違いをしていたんだろう)
今になって思えば、自分を振り回してきたのは譲治や彼を裏切ったクラスメイト、そしてこの異世界でもないのではないかと。
自分自身をこの地獄へと駆り立てたのはほかでもない、自分自身だったのではないか。
譲治を好きになってしまった真理亜自身、その心をどんなになっても捨てきれなかった真理亜自身。
自分の思いは伝わるなどと言う思い上がりではなかっただろうか、と。
それをけして認めたくなくて、自身の無力さに目をつむっていた。
それがわかったときの彼女の虚ろな表情から零れ出るのは、おびただしい血の涙だった。
「今わかったよ……わかったんだよジョージ……」
「……」
「────ボクの人生は、"喜劇"だ」
「……」
「アハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
真理亜は笑った。
でなければ喜劇ではない。
誰かが笑わねば喜劇にはならない。
誰も笑わないのなら、自分が笑わなければならない。
喜劇に必要なのは、悔恨でも懺悔でもないのだ。
「アハハハハハハハ!!」
ひきつった顔から壊れたオルゴールのように笑いを発しながら、ふた振りの凶刃を取り出す。
「やろうよジョージィ!! ボクを見てボクを見てボクを見てボクを見てボクを見てボク見て、笑ってよ! いっぱい笑いかけてよ! いっぱいお話してよ! いっぱい痛め付けてよ! いっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい! いっぱい血を浴びさせてよアッハァァアッ!!」
「フヒヒヒ、フヒヒヒヒハハハハハハハハ。HA-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
両雄、真正面からぶつかり合う。
衝撃波が王都中に行き渡り、怪獣映画さながらの暴れっぷりで、瞬く間に区域を更地にかえていった。
一方、他国の軍からは、ある軍団が王都のほうへ密かに派遣されようとしていた。
あと数話で終わらせられるよう頑張ります。