幸せは支配欲から、天罰は復讐心から生まれた。
「そこになおりなさい。成敗して差し上げますわ!!」
見るも無残なボロボロのドレス。
大きなスカートにはスリットのように切れ目が現れ、ガーターベルトとスラリとした足を覗かせる。
まるで乱暴でもされたかのような状態で、その顔は鬼のように怒りで歪んでいた。
もはやこの人物が素人目に王女であると認識させてくれる要素は、手に持っている王家の家紋が入った細剣のみ。
「切っ先を向けて脅すのならもっと近くに寄ったほうがいいぞ? これじゃお互い射程範囲外だ」
嘘である。
あろうことか少し身体を傾けて覗きこもうとしている。
「うるさいッ!! ……よくも、よくも我が父を、我が王国を!!」
「綺麗だろ? 金持ちたちも大勢死んだ。あ、大臣元気?」
「いけしゃあしゃあと……お前など天罰が下ればいいッ!! この世の地獄すべてを使っても足りぬくらいの罰をッ!! この私に殺されたあとでなぁッ!!」
グッと構える王女の胸元で、国教のシンボルが取り付けられたペンダントが光った。
だが譲治は冷たい視線を見せる。
それはまるで、屋外施設の汚い便器を這いずるナメクジを見るような目だった。
「天罰か。それこそくだらんよ。そんなものに期待するから、人間はダメになるんだ」
「ハァ? なにを言って……」
「今アンタがそうしようとしてるみたいに、復讐したいならすればいいんだ。それを……天罰ゥ? 果ては法の裁きぃ? 萎え萎えもいいところだ」
譲治の現在のレベルは【52】であり、王女と比べればかなり劣る。
さらに肉体的ハンデも加えれば、王女はひと突きで殺せるだろう。
だが、なぜか近づくことができない。
まるでこの空間そのものが彼のテリトリーになってしまったかのように、構えたまま汗をにじませて止まっているほかなかった。
「なぁ、どうして復讐を悪にする考えがあると思う? 復讐は空しいからか? 悲劇の連鎖を止めるためか? 果たしてそんな夢のようなヒューマニズムに満ち満ちた理由からだろうか。違う」
彼は言う。
復讐心をコントロールすることこそが支配者の目的だ。
「天罰だよ。天罰なんてものは、実は初めからこの世に存在しないという気づきが、そもそもの起因なんだ。憎いアンチクショウが自分の知らないうちに誰かに刺されて死んだとして、それを天罰が下ったと解釈する奴がいるが、それは大きな間違いだ。アンチクショウを刺したのはあくまで刺した奴の意志と行動そのものであり、そこに自分の意志や神が入り込む余地はないはずなんだよそうだろ?」
「……アナタはなにを言っていますの? このようなときに世迷言をッ!」
「じゃあ天罰は存在しないのに、なぁんで天罰があるって言う風に認識されてんだ? まるで遺伝子に刷り込まれてるみてぇによぉ? 天罰はなんのためにある? 地上を平定するためか? 違う、満たされない復讐心のためだよ」
愉快そうに目を細める譲治に釘付けになる王女は息をのんだ。
じりじりと円を描くように間合いをはかりながら、彼の言葉に耳を傾ける。
否、傾けたくなる奇妙な魅力を感じてしまっていた。
「だからこそお前らの先祖は逆にそれを利用した。放っておけば国もなにもかもをひっくり返しかねない復讐心、その究極形態である天罰に関する物語を世に広めた。それは教訓となり、正しい人間のモデルケースとなった……。裏で自分たちが脅かされないように編纂を繰り返しながらな。その一部が法律だ。しかし残念なことに、法律は復讐心を満たすものにはなり得ない。法律は人間を支配すれど、天罰に成り代わることはけしてない。今までも、そしてこれからもな」
「アナタは……アナタはなにを言って……」
わかるはずもない。
実際彼女の価値観からすれば、譲治の言葉は気狂いの戯言に等しい。
しかし彼の言葉は不可視の魔手のようで、魂をそのまま鷲掴みにされたような気分だ。
頭がぐらりと揺らいだような感覚に陥ったそのとき、数人の足音が聞こえてきた。
「王女様!」
「王女様ご無事で!!」
それは彼女に仕える女性で組織された近衛兵たちだった。
譲治を見るや槍の穂先を向けながら王女を守るように前へ出る。
「アナタたち……なにをやっていましたの!! 私を守る義務がアナタたちにはあるはずですよ!! それなのにぃ!!」
「も、申し訳ありません。あのシュトルマの騒ぎでアナタ様を見失ってしまい……」
「この……ヘボッ!! 役立たず!! ゴミッ! アナタたちの処分はこの男を殺したあとで決めます。楽しみに待っていることですね!!」
近衛兵たちもミスとはいえ、ここまで来るのにかなり苦労したようだ。
目の前で最愛の父親であり、王を殺されて発狂した王女は泣き叫びながら城下まできた。
城内の混乱や城下の騒動で完全に行方を見失ったため捜索をしていたが、その最中に大事な仲間が何人も死んだ。
やっとのことで見つけても、こうして罵られ、彼女らは申し訳なさの中に一種の不満の色があった。
「さぁ殺せッ今殺せッすぐ殺せッ!」
突然情緒不安定になった王女に命令され、じりじりと譲治に詰め寄る近衛兵たち。
譲治は呆れたようにため息をついて杖を1回鳴らす。
1体の聖霊兵の召喚、しかし【魔女の叡智】により改造された聖霊兵は【レベル250】から【レベル1000】までパワーアップしていた。
見た目も変わっており、闇色のラインがボディラインに沿って妖しく光っている。
「な、な、なんだコイツは……」
「そ、それよりも……【レベル1000】ですって!? 私たちよりもはるかに強い!」
「そんな……これじゃ、束になっても……」
圧倒的な戦闘能力に近衛兵たちは怖気づいてしまう。
聖霊兵の異様なオーラに完全に戦意を失ってしまった。
立ち向かえば即死は免れない。
犬死もいいところだ。
ここは逃げるべきだと王女に進言しようとした直後。
「バカ!! なにをしていますの!? さっさと行きなさい!!」
「で、ですが、ここまでレベル差があるのであれば手の打ちようがありません! ここは一旦退くべきです!」
「そうです。僅差ならともかく、立ち向かっても死は確実です。ここは撤退をッ!」
「退くゥ? この、無能がぁあ!! 私がここまで来るのに、どれだけ苦労したかぁ! 実際に死ぬところでしたのよ!? それなのにアナタたちときたら逃げることばかり……役立たずめ! 今処分を決めました。あの聖霊兵に立ち向かい、死になさい。そうすれば、殉職という栄誉を与えましょう。これは命令です。命令に背く者はこの場で斬るッ!!」
近衛兵たちの顔から血の気が引く。
進んでも死、退いても死。
もう正常なブレーキが効かない王女と目の前の凶悪な犯罪者との板挟みで、近衛兵たちに絶望の色が宿る。
中には泣き出す者もいた。
「話は終わったか? で、俺を殺すんだろう?」
「……ひっ」
通常であればここで皆殺しにあうだろう。
目の前の男が譲治でなければ……。
「俺を殺せないんだったら……────代わりに王女を殺せば解決するんじゃないかな? 安心しろ、俺がやったことにすりゃいい」
悪魔は地獄の中でこそ美しく囁くものである。
「考えてもみろ。この場における『悪』は誰だ? この王都を地獄に変えた張本人は誰だ? 俺だろ。俺なら……王女殺しくらいフツーにするんじゃあないかな? そうだろ一生懸命働いてるのにゴミ認定された諸君?」
以降、譲治は王女たちに興味を失ったかのように踵を返した。
聖霊兵を戻してヒョコヒョコと歩いていく。
「な、な、なにをしているのよこの無能ども! さっさと追いなさい! 今がチャンスよホラ!!」
王女の表情は徐々にこわばって、恐怖をにじませ始める。
ひとり、またひとりと近衛兵たちが王女のほうを振り向き始めたのだ。
その目に輝きはない。
能面のような顔でジッと王女を見つめる。
同じ人間のはずなのに、人間ではないかのような彼女らの雰囲気に、後退りをする王女。
「な、なによ……わ、私は王女よ!? 今は亡き王の意志を継ぐ者! その、その私に、さ、さ、逆らうというの? 恥を知りなさい! さぁ命令よ。奴を殺せッ!!」
誰も彼女の命令を聞かない。
ジッと見つめたまま、穂先や切っ先を向け始める。
終始無言で近衛兵たちは王女へとにじり寄っていくさまに、王女はもう暴走どころではなかった。
「や、やめなさい……やめて……ホントに、ホントにやめなさい……私は、私は王女なの……この国を、この国を守るために、ヒィッ!」
王女は叫びながら逃げ、近衛兵たちは地獄の鬼のような形相で追いかけまわす。
時折刃の交わる音と肉を裂く音、そのたびに広がる断末魔が市街に響いた。
「暇潰しにゃなったかな。さぁて、そろそろ大一番だぜマリア。なんでだろうな、今お前にとても会いたいよ……。いるんだろうこの付近に。……終わりにしようぜ、俺たちで」