vs.クラン&蘭法院綾香
彼女には姉がいた。
自分よりもずっと出来がいい姉が────。
見た目も、能力も、すべてが揃った存在を目の前に、あとから生まれた彼女にとってはもはや壁どころではない。
そう、蘭法院綾香にとっては。
両親の性格上、姉の存在と比べられることは多々で、なにをやっても評価に値しないとされていた。
ゆえにあるのは満たされることのない心。
家の名前で得られる承認欲求も、砂漠のように乾き果てる。
どれだけ学校で名家のお嬢様を演じても、所詮は空虚を埋めるための演目に過ぎない。
しかしそうでもしなければ、自分が『持たざる者』と認めてしまうようで怖かった。
世間でいうような、『負け組』としての人生を歩んでしまうようで。
この異世界に来てからは変われると思っていた蘭法院綾香だったが、それは真理亜の存在で阻害されてしまった。
本来自分が立つべき位置に真理亜がいる。
上級生である九条惟子に次ぐ実力者として、クラスの皆からも王国からも頼りにされて、それでいて好きな人がいるのだ。
見ていればわかる。
彼女の視線はある男子生徒にちょくちょく向けられていたのだから。
その姿はあまりに幸せそうで、妬ましかった。
なにより知的なところや髪型が、自分の姉に似ていることが大いに癇に触る。
どこからかやるせなさと惨めさが、巣を這い出る蟻のように心の中で蠢いた。
そのせいか、彼女が好きなその男子生徒が裁判で裁かれたときは思わずスカッとしたものだ。
しかし灼熱で炙られた金属が胸につっかえているような感覚はずっと消えなかった。
希望を胸に懸命に動く真理亜の姿が、あまりにも眩しすぎたから……。
「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
蘭法院綾香の猛攻はさらにも増して威力が上がる。
咽び泣く獣のような咆哮は天地を裂き、まだ倒れていない建物に亀裂を入れて、地面にまぶされた砂埃を天へと舞わせた。
そんな蘭法院綾香を援護するように、クランの不可解な能力による攻撃が立て続けに真理亜を襲う。
彼女の中に組み込まれた荒ぶる精霊たちの力。
前日のデッドレースで見た物質変化のように、明らかに魔術のカテゴライズに入るような代物ではない。
指から血を垂らし、その地面から瞬時に木をはやし、腐らせて毒素を振り撒く。
髪の毛を1本抜き、その辺の火で炙ると巨大な炎の渦ができ上がったりと、あまりに変幻自在だ。
(彼女が使っているのは魔術じゃない……それよりもっと上の次元の力だ。……自分の肉体の一部を媒体にして呼び起こしているのか? となると、この世界においての上位存在は精霊だとか神だとかになるけど……この子一体何者なんだ!?)
見知った顔であるはずなのに、それはまさしく未知との遭遇に等しい経験だった。
こんなにも恐ろしい力を持っていた幼女がすぐ近くにいたと考えると、今でもゾッとする。
真理亜はクランの出生をふと考えた。
あの場所にずっと閉じ込められていた理由、それはまさしく両親が抱いた恐怖ではないかと。
それを感じたとき、クランもまた復讐と縁がないとは言い切れないのではないかと思ってしまう。
ただ無垢に譲治に着いていったものばかりかとも考えたが、実際は心の傷にずっと絡んでいた問題だったのだ。
そんなクランが蘭法院綾香とともに襲いかかってくる。
ふたりのコンビネーションは良いとは言えないが、自分たちの力を真理亜にぶつけるようがむしゃらに力を振るってきた。
クランの力も十分驚異だが、戦闘にまだ慣れていないのか、戦略性に欠けている部分が多々あり、蘭法院綾香に至っては先ほどと戦い方はまったく変わらず、ただ力任せに大鎌を振るうだけだ。
(クランの力が厄介だけど、まだ付け入る隙がある……これならッ!)
棍を振り回しながらの牽制、その後に距離を離してから拳銃を取り出して撃ち込んでいく。
クランは驚いたように両手をかざし、不可視の障壁を張ることで防御するも動作は鈍くなり、蘭法院綾香は肉体に撃ち込まれ雄叫びを上げながら怯んだ。
勝機は見えた。
しかしまさにそのときだった。
「うぅぅ、ううぅう、ウゥゥゥウウウウッ!!」
「なに!?」
クランの中にある『妖狼』の力が、彼女の見た目を変異させたのだ。
上半身は彼女そのものだが、下半身は無数の触手を生やした真っ赤に妖しく光る巨大な狼。
狼が遠吠えを上げるとクランは仰け反るようにして天を仰いだ。
それを見た真理亜はゾクリと背筋を凍らせる。
それはギリシャ神話における海の怪物スキュラを彷彿とさせる異形だ。
メッシーナ海峡に住まう怪物でそこを通る船を襲い船乗りたちを喰らう存在であると同時に、魔女に呪われてしまった悲劇の乙女でもある。
「じょーじ、わたし、本気、出すね?」
狼は涎を垂らし、クランは赤黒く染まった目で真理亜を睨みつけたあと、触手を動かして蘭法院綾香の頸椎に突き刺した。
「うがっ!?」
「ふふふ」
なにごとかと思ったが、ズブズブと音を立てながらなにかを流し込んでいるのがわかる。
急いで撃ち抜こうと構えたがすでに遅く、蘭法院綾香の肉体がどんどん変質していった。
スラリとしていた彼女の両足は偶蹄目の後ろ足のようになり、獣の毛が身体中に生え始める。
口には牙、額には角、────地獄の悪魔だ。
「……あぁヤバい」
真理亜は戦略的撤退を試みる。
それを追いかけるようにこの2匹の怪物が、建物や瓦礫を破壊しながら豪速で追っかけて行った。