死の聖母と天を穿つ爆炎
奥へ進むごとに、人質と罠が配置されている。
爆弾だけに限らず、薬品であったり、プレス機であったりとかなり手の込んだものばかりだ。
しかもご丁寧に名前まで付けてある。
『レク・ドゥカジニ』
『オメルタ』
『ハムレット』
『ベアトリーチェ』
『ヴェンデッタ』
『モンテクリスト』等々。
すべての罠に立ち向かい、真理亜は人質救出を試みた。
だが、誰も救えなかった。
確かに暗殺者クラスにはスキル【罠】が存在する。
そのスキルは相手が仕掛けた罠の解除もできるようになるのだが、ダニーの仕掛けた罠はどれも真理亜のスキルでは解除することがあまりに困難だった。
これは冤罪事件での推理とはまた違う、未知の専門知識を活用しなければクリアできない頭脳戦だ。
まるで迷路のように複雑で、曼荼羅のように不可思議に展開された罠の細部。
それをひとつひとつ丁寧な作業で行っていくのだが、高レベル保持者である真理亜の持つスキルでさえも、まるで太刀打ちできないほどに高次元的な代物だった。
なにより状態異常のせいで、思うように集中できない。
途中で目が霞んで細かい部分が見れなくなることもしばしば。
「ぐわぁあああッ!!」
罠の解除に失敗し、高圧電流が身体を駆け巡る。
その拍子に人質の肉体が醜く膨れ上がり、爆弾のように弾け飛んだ。
周囲に肉片が飛び、焦げた人肉の臭いが漂う。
そんなとき、身を隠していたダニーが離れた場所から現れて嘲笑ってきた。
「おいおい、失敗ばかりじゃあないか。まぁ僕としては憎いアンチクショウどもを、君自身が排除してくれるから見てて楽しいんだけどね」
「く、この外道……ッ!!」
「恨むのなら自分の拙さを恨んでくれよ。ちゃんと正確に処理すればキチンと助けられる仕組みになっているんだぜ? 嘘じゃないぞ、これはゲームなんだからな。でも、失敗ばかりして見殺しにしているのは君なんだ。そう君が悪いんだ。異界の英雄と言われながら、まったく、誰も救えない君の責任だ」
「く、そ……」
なにか言い返してやりたかったが、頭が回らなくなっている。
状態異常もさることながらこれまでの罠によるダメージが蓄積して、身体の動きもかなり鈍ってきた。
普段のステータスならこの程度の罠を喰らった程度では怯みもしないだろうが、クランの存在はあまりにも大きかった。
そして、目の前に対峙しているこの男ダニーに精神的にも肉体的にも優位に立たれ、かなりの苦戦を強いられている。
取り出した狙撃銃を支柱にして真理亜は力なく立ち上がると、ダニーは指を鳴らして奥へ来るようにジェスチャーして踵を返した。
「さぁこのゲームもラストだ! 僕にとってもお前にとっても、最高のメインイベントになること間違いなし!! 先に待ってるぞ。────ハッハッハッハッハッ!」
真理亜は身体を引きずるようにしてあとを追った。
しかしそこまで距離は長くなく、すぐに彼が立っているのが見えた。
ここからでも狙撃して命を刈り取ってやりたいが、薬の場所や聞きたいこともある。
ぐっと堪えて真理亜はそのメインイベントとやらが行われる最近作られただろう巨大なアーチ状の空間へと足を運んだ。
そして驚愕する。
奥に設置された、小さく唸る音をたてる巨大な機械。
その巨大な機械に備えられたイスらしきものに一体化するようなロックで固められた3人の男女。
ひとりはダニーや真理亜と変わらない、あとのふたりは大人。
これはまるで……。
「さぁよく見ろ。これぞ僕の最高傑作『エリーニュス』だ! この3人の後ろにあるケースの中に、なにがあるかな? んんん~? なんだろうなぁ? おぉ! すごいぞぉ~これは。……そう、念願の薬だ」
「ダニー、この人たちは……」
「この薬はクランの能力によって起こる状態異常に効く世界でただひとつの特効薬だ。これがなにかの弾みでなくなったら大変なことになるぞぉ? く~っくっくっく」
「ダニー!! ……この3人は誰なんだボクは今それを聞きたいんだ!!」
軽快に喋るダニーを遮るように、身体の芯から叫ぶ真理亜。
復讐と言う思想から、真理亜はある閃きを感じ取った。
嫌な汗が出てくる。
こんなときに勘が鋭く働く自分を責めたくもなった。
真理亜のその問いににやけ顔から無表情へと切り替わったダニーは、ありのままの事実を話す。
「もうわかっているんじゃないか? ────父さんだよ。そして正妻とその子供だ。僕は妾の子だったからねぇ」
「なんだって……?」
「ハハハ、さぁメインイベントッ!! 次なる生贄は……、僕を見捨てた父親とその妻と息子!!」
「狂ってるッ!! お前はなにを考えているんだ!! 自分の、自分の親を殺すっていうのかッ!?」
「オイオイオイオイ忘れるな。これはゲームであり、僕の復讐でもあるんだ。まさか親に復讐する奴なんていないと思ったのか?」
ダニーの怒りの吐露が、燃え盛る風車のように空間を駆け巡る。
それと同時に3人がひどく怯えた表情で真理亜に助けを求めた。
「お、おいお前! 助けろ、僕たちを助けろぉおおおお!!」
「アナタ英雄でしょ!? 早くなんとかして!! あのイカれたガキを殺してぇええ!!」
「君のことは知っている。頼む、この巨大な鉄の塊がなんなのかはわからないが早く我々を自由にしてくれ! そして……」
少年と女は金切り声を上げながら命乞いをし、父親である男は冷静に振る舞いながらもダニーを睨む。
この光景にさすがの真理亜も吐き気を催しそうだった。
「ダニー、君がどんな過去を抱いているかなんてわからない。その狂気の振れ幅もね。でも……父親殺しなんて……」
「ためらっている場合か? もうすでにゲームは始まっているんだぞ? それに勘違いをして貰っちゃ困るな。僕はすでに彼らに慈悲を与えている。そうだろ? 殺そうと思えばすぐに殺せた。でもそうしなかったのは、肉親という意味を込めて、ゲームという形で『助かる可能性』を与えてやったんだ」
「失敗すれば終わりじゃないか!!」
「助かるかもしれないだろ。お前がキチッとやれば、ね? っていうか、やるしかないんだよ。この罠の発動と薬の破壊は連動してる。まぁ救出を放棄して、真っ先に僕を殺そうとするのは勝手だ。今のお前でもできることだろう。でも、そんなことでクライング・フェイスに辿り着けるかな? 僕如きにてこずっているようで、ほかのメンバーに勝てるとでも?」
ダニーの言葉はもっともだった。
真理亜はこの苦難を乗り越えなければならない。
しかし本当に胸糞悪い。
ダニーは親という復讐相手の命を、怨敵に殺させようとしているのだ。
誰が好き好んで他人の親を殺すなんてことをしたがるだろう。
そんなものは血に飢えた外道でしかない。
だがとにかくやるしかない。
解除に成功すれば薬も手に入り、この3人も死ななくて済む。
(でも、これまでの罠の細部を見ても……不可能なレベルだ。ここにあるのはこれまでとは違うッ!!)
早速罠の解除を試みるが、見ているだけで吐き気がしそうなくらいこんがらがった幾何学的な配置なされた細部が展開されている。
少しでもミスをすればアウト。
罠は起動し、3人は死に、薬は破損する。
ゾッとしながらも慎重にスキルを用いてやっているときだった。
「おい! 早くしろよウスノロ!! 僕たちを殺す気かぁああああああ!!」
「ちょっとアナタ英雄なんでしょ!? こんな罠くらい早く解除しちゃってよぉおおおお!!」
状態異常と蓄積されたダメージで悲鳴を上げる身体に鞭を打ちながら取り組む真理亜に、妻とその息子が罵り声を浴びせてきた。
距離が近いため、耳にキンキンと響く。
思うように集中できなくて、何度もミスをしそうになった。
「ちょっと黙っててください!! 今慎重にやってるんです!!」
「黙れだと!? 僕を誰だと思ってやがる!! この無能め、ここを出たらお前なんか死刑だッ!! 死刑にしてやるぅううううううッ!!」
「おい、やめないか!」
「なによアナタ! どうしてそんなに落ち着いていられるの!? 死んじゃうかもしれないのよ!? もしかしてその小娘に色目を使って……」
「こんなときになにをわけのわからないこと言っている! 冷静になれと言っているんだ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!! 死ぬなんて嫌だ!! 死にたくない! 死にたくないぃぃいいいいいッ!!」
「お願いだから黙ってよ!! 作業をさせてよぉおおおおお!!」
真理亜の心も限界に近かった。
最悪のケースが脳裏を横切る中、必死になって解除に取り組んでいる。
「ククク、どうだ真理亜? 今から助けようとしている人間に、罵り声を浴びせられる気分は?」
「黙れッ! 黙れよッ!!」
「こんなに一生懸命頑張っているのに、誰にも認められないどころか、報われない気分はどうだぁあああ!?」
「黙れって言ってるんだぁあああああああッ!!」
────プツン。
それはあまりにも呆気ないほどに小さな破滅の音。
巨大な装置の画面らしき部分にバツ印が出る。
「ぁ……ぁ……」
真理亜は呆然としたまま表情を固まらせた。
それは取り返しのつかないことの表れ。
これは夢だと何度も頭に描いた。
目を見開き、光を失った瞳で失敗した部分を見つめ、そしてゆっくりと『ある方向』へ振り向く。
歓喜の笑みを浮かべるダニーでもなければ、先ほどの音に怯えを隠せない3人でもない。
────薬が安置されているケースだ。
「……」
失敗しても、ダメージが真理亜に来ることはなかった。
その代わり、先ほどの画面にカウントダウンが表示される。
あとほんの数秒で、起動することになるらしい。
彼女の中でなにかが切れた。
真理亜はワナワナと瞳を振るわせて行動に移る。
その速度と手際の良さはこれまでの比にならないくらいに……。
「おい、お前……なにしてるんだよ……さっさと罠を解除しろよ……おい、聞いてんのか? ────なにそのケースをこじ開けようとしてんだよ!! お前がやるべきなのはこっちだろうがぁあああああああッ!!」
「ちょっと、ちょっと! なにしてんのよ! 私たちを見捨てる気!?」
真理亜は見開いた目で何度も何度も、それはもう何度もケースから薬を取り出そうと足掻いた。
終いには狙撃銃のストックの部分で何度も殴り、ヒビを入れさせる。
3人の声はもう聞こえていないかのように、真理亜は一心不乱にケースから薬を取り出した。
その光景にゾッとした父親はついに観念したようにダニーに必死の命乞いをする。
「だ、ダニー! 頼む、許してくれ。私が悪かった! これからは心を改める! お前を見捨てたのは確かに悪だ。私はとんでもない過ちを犯してしまった! 償わせて欲しい。お前の頼みならなんでも聞こう。だから……」
「父さん」
ダニーが一歩前へ出る。
だがその言葉はこの世で最も冷たく鋭利なものだった。
「親は勝手な都合で、子を見捨てる。アンタのようにね。だったら同じだ。────子がッ! 親を見捨ててッ! なにが悪いッ!?」
その邪悪な笑みを浮かべる子に、ダニーの父親は顔面蒼白で息を吞んだ。
すべてが絶望へと変わる。
カウントがゼロへと変わったと同時に、機械は炎を噴き出し、3人を断末魔とともに包み込む。
この憎悪の抱擁は地獄の業火と凄まじい衝撃波を以てフィナーレを迎えた。
それは天をも飲み込むような勢いで発せられる巨大な爆炎。
地下から地表を弾き飛ばし、巨大な驚異を形成する。
爆発前にあらかじめ作っておいた小型シェルターに身を潜めていたダニーは、出てくるや歓喜の叫びを上げる。
天井には大きな穴が開き、満天の星が浮かぶ赤と黒のコントラストが綺麗な夜空が見えた。
その光景はダニーにとっても美しいものだった。
そして……。
「ダ、ニィィィイイイイイイイ……」