前夜祭の終わり。それは運命の時を告げる。
「さてマリア、復讐が起こる三大要素って知ってるか?」
ひとつは痴情のもつれ、もうひとつは対等な関係上での裏切り。
あとひとつはなにかというクイズ形式で、当ててみろよとは言われたが真理亜には見当も付かなかった。
「服従関係だよ。これは上司や部下っていう枠組みだけじゃなく、友人だとか嫁姑とか一見対等に見えて、実は一方が相手に逆らえない関係にも適用される。……自分のことをぞんざいに扱う奴がいる。人を人として思わず、暴力暴言当たり前って奴な。普通ならそんな奴と関わらないほうがいいし距離を置けばいいが、現実問題としてそうはいかないことのほうが多い、だろ?」
「ストレスになるって言いたいのかい?」
「あながち間違いでもないな。でも実際そうだろ? そんな奴と関わり続けてたら殺意湧くに決まってんじゃん。────でも、逆らうことはできない。それどころか逆に優しく接したり、嫌々でも手を差し伸べて受け入れなきゃいけないことが仕事やらプライベートでもあっちゃうわけだ。傍から見れば良いことをしてる風だけど、当人にとっちゃ地獄の日々そのものだ」
納得のいかない服従関係に、人間はどこまで耐えられるか?
まるでそんな問答を上から目線で突き付けているかのように、譲治は嗤う。
しかし別段、譲治は自身の意見を否定されるかどうかに関してはどうでもよかった。
この世には無数の主観による解釈が存在する。
彼のそれは『忌むべき解釈』、『排他すべき解釈』のひとつであり、きっと誰もが聞いてるだけで嫌になるだろう。
だからこそ、彼は仄暗い沼の底のような心で、ジッとその部分を見つめてきたのだ。
譲治から見た社会の理不尽という暗黒の正体、その真名────『復讐するな、服従しろ』。
実質的な階級的視点だけでなく、日常の対人関係における心理的視点や思想にも、大きな影響を与える権能を持ったこの化け物を、彼は壊したくて……それはもう壊したくて堪らなかった。
「サルトル曰く、人間は自由であるように呪われている、らしいぞ? となればだ。自由というものでさえそうなるのなら、人間は幸せであるようにも呪われていると言えないか? 普通であるように呪われているともだ。じゃあ、なんのためにそんな呪いをかける? ……簡単だ。支配と服従をより確立しやすいようにだ。そのためなら、ありもしないことを周りにでっち上げてもいいし、それが幸せなんだと自分自身を騙すこともできる。────だが、そんなものの中に幸せなど存在しない。賽の河原の石積みだ。俺はそんなくだらんシステムを壊してやろうってだけだ」
「確かに幸せと言うのは主観的なものだ。でもボクは異を唱えるよ。……君の言うように、満たされない欲望を満たそうとしても幸せは逃げていくだけ。まさに呪いだ。だけど、それは無意味な行動じゃない。その行動で新たな道が生まれることだってある。幸せになろうとすることは難しいけれど、それでも……ッ!」
「どうして幸せになるのは難しいんだ?」
「え?」
「なんでそんな攻略難易度の高いものを、俺たちは延々と追い求め、そんな不条理の中で生きていかなくてはならないんだ? それは幸せという観念に依存してる、云わば一種の中毒症状の中で生きているようなものじゃないのか? 現にお前が、『俺を連れて帰る』ということに執着しているようにな」
真理亜は言葉が詰まった。
月を背後に屋根に座る譲治の瞳は、本当の意味で邪悪な悪魔そのものだった。
心の奥底からこちらの魂を掴み取られるような感覚に身を震わせながら、如何にも怪しいこの甘言に耐えてみせようと必死になる。
「達成されるべきものがなぜ達成されない? 幸せという土台を基に作られたルールに、なぜ不和や不平等が生まれる? 簡単だ。あえて幸せになれない環境を作り出すことによって、さらに中毒性を高めるためだ。愛だの救済だの希望だの……まさにそのために生まれた言葉だ。そんな上っ面ばかりの虚飾を、この俺が全部剥ぎ取ってやろうってわけだ」
譲治の言葉の節々にこの世への強い憎悪が滲み出ている。
正直な話、譲治の復讐心は常軌を逸しているとしか思えなかった。
彼の目には、この世のすべてが偽善と欺瞞にしか映っていない。
「なぁマリア。まだ俺の邪魔をしようっていうのか? ……その割には、随分とお粗末な結果ではあるが」
「……そうだね」
「勝ち目はないのに?」
その言葉に目をつむる真理亜。
確かにそうかもしれないと、心の中の自分が呟く。
だが、やはり捨てきれない想いがそこにはあった。
惚れた者の弱みとも言うべきか、譲治を心の奥底から憎むことはできず、たとえ勝ち目はなくとも、なんとしてでも一緒に帰りたいという思いが強くなっていく。
悪の部分が強くなっていくたびに、思い出の中の光が強くなっていくように。
「正直、こうして話をしても、きっと平行線だろうとは思う。でも、やっぱり無理だよ。諦めるなんて、ボクにはできない。君と帰りたいんだ。元の世界で、元の生活をしたいだけなんだ……ただそれだけなんだよ。……ボクは、ボクの幸せを捨てられない」
その決意に譲治は沈黙で答える。
涙目で見上げる真理亜の瞳を、真っ黒に澱んだ鋭い目で睨むように見下ろしていた。
次の瞬間、シュトルマがなにかに反応し防御態勢をとった。
直後に衝撃波と砂埃が舞い、真理亜の前に人影が現れる。
「……間に合った。大丈夫か大久保さん」
「く、九条先輩」
現れたのは九条惟子だった。
面々に緊張が走り、シュトルマに至っては猛獣のように闘気を滲ませ威嚇している。
一瞬にして真理亜の拘束が解けて、自由になった。
それに対してクランも殺意を滲ませるが、それもまた譲治が止める、
溜め息を少し漏らしながら譲治は招かれざる客のために重い腰を上げた。
「クライング・フェイス。なぜだ。なぜ私を止める! その女は、その女はぁッ!!」
「じょーじ、戦わ、ないの?」
「やるのはパーティー当日だ。前夜祭でハイになるんじゃあない。……マリアを連れ戻しにわざわざ来たのか。ご苦労さん。じゃあ、前夜祭はこれでお開きに……」
「待て畑中譲治!」
真理亜が制止をかける前に九条惟子が声を張った。
月光に戦闘衣装が映え、刀身に美しい光を宿らせながら、九条惟子は数歩前に出て譲治を見上げ睨みつける。
これまでのような弱々しい雰囲気はあまり感じ取れなかった。
それに一早く反応した譲治は、黙って彼女の話に耳を傾ける。
「私の過ちが消えるとは思っていない。なにより……シュトルマ殿がどうしてそちらの陣営にいるのかも、私にはわからない」
「……貴様ぁ、私は、貴様のせいで……ッ!」
「なんの理由かはわからないが、私という存在がアナタをそんな風にしたらしいな。だが、怯んでいてはなにもかわらない。私も大久保さんと一緒に戦うことにした」
「九条、先輩……」
九条惟子はあれから自分がなにをすべきかを必死になって考えた。
その結果、真理亜の『畑中譲治を連れて帰る』という目的に賛同した。
孤独な戦いになると思っていたが、まさかの強力な助っ人を得ることになったことに素直に喜びを覚える。
それに対してシュトルマ、ダニーは憎たらしそうに睨みつけていたが、逆に譲治は拍手を送っていた。
もしもただの敵であるなら、ここで終わっていたかもしれない。
だが、相手はクライング・フェイスと名乗る世界の破壊者。
譲治はずっと九条惟子の話を聞き、なにを言えば苦しみを味わわせられるを考えていたのだ。
「なるほど、この世界を救い、真理亜の願いである『畑中譲治を連れ戻す』というのも達成する。それがアンタの正義だってんだな?」
「そうだ。もうこれ以上犠牲を出さない。この異世界もクラスメイトたちも守り、死んでいった者たちに報いる。それが私の、正義だッ! 最早君に恐怖やうしろめたさはこれっぽちも感じていない。この正義の名の下に、私はすべてを終わらせる!」
堂々と言い放つ九条惟子、その背中に尊敬の意を抱く真理亜。
だが、まるでその台詞を待っていたかのように、譲治は揺さぶりをかけ始める。
「実はいうと俺はな。……正義ってやつを尊敬してるんだ。そして俺のような悪党はそういう気高い意志に倒されるべきではないかっていう一種の信念があるんだ。わかるか? つまり正義というのは自分にとっても他人にとっても、それだけ高い次元に存在する精神であるわけだ。……だが、すべてがすべてそうじゃないってのがネックだよな。そう思わないか九条惟子」
「……なにが言いたいんだ?」
譲治に負けじと睨みつける九条惟子の視線の中にある緊張と不安の気配。
それを感じ取った譲治は、まるで弄ぶかのように言葉を紡ぐ。
「────自分の正義を、"醜い"と思ったことはあるか?」
「……なんだと?」
「簡単に言うと客観視ってやつだ。なんの自覚もないまま糞尿みたいなのを垂れ流されたんじゃ、敵も味方も迷惑ってもんだぜ? 正義を抱くなら、まず"自覚"し、それに"責任"を持つことだ。残念だが九条惟子。アンタ、少しは威勢は良くなったが、実を言えばまったくそれが感じられないんだ」
「私の正義になんの不満がある?」
「……それは、本当に自分自身のものか? 誰かが作った正義を自分のモノだと勘違いしてるだけじゃないのか?」
「な、なに!!」
「アンタはなにもわかってない。……犠牲は正義の本質だ。犠牲が多ければ多いほど、正義の価値は善くも悪くも重くなる。それをまったくわからずに正義を名乗るんだからおめでたい」
「違う!」
「違わない!! 正義は無実の人間を犠牲にして、別の正義をかっ食らうこと。言うなれば『共食い』。目に見えた悪を倒すケースなんざ、千に一か二程度。それ以外は別の正義との抗争だ。さらにそれが誰かの借り物となれば……反吐が出そうだよ」
「く……」
「その反応、自覚があるのかな? 動揺しているぞ? もう少し掘り下げてみてもいいが、ここで止めておこう。武士の情けだ」
「き、貴様ぁ!」
激昂した九条惟子を止める真理亜。
その姿を見て蛇のように威嚇するシュトルマ。
「クライング・フェイス! やはりコイツをここで殺させろ!! 見ているだけでむしゃくしゃする!」
「パーティーまで時間はある、それまで待機。俺の意志は変わらんが?」
「貴様……この私に命令するというのかッ!」
譲治は面々に退去の合図を出しながら気苦労の多そうな溜め息を漏らした。
「オーケーオーケー。ならあとで俺の寝室に来い。夜這いされるたんびに抵抗したりヤッたりするのもう面倒だ。今日はお前の望み通りたっぷり時間を割いてやる。これでどうだ?」
この言葉と同時にピタリとシュトルマの怒気が治まった。
同時に真理亜が鬼神の如き表情でシュトルマを睨んだ。
今やシュトルマもまた譲治と肉体関係を持っている。
恐らく相当な頻度で行為に及んでいるのだろう。
そう考えると、真理亜の内部からドス黒いものが込み上げてきそうだった。
歯を食いしばり、瞳から光が消える。
「九条惟子、明日、私は貴様を殺す……。確実にだ。いや、この際だ。お前もまたたっぷりと犯してからのほうがいいな。ジワジワと恥辱に歪む姿のお前を味わいながら……殺すのも悪くはない。クキキキキ」
「く、な、なにを言って……」
「楽しみに、していろ……────」
そう言って譲治のもとまで飛ぶと、彼を抱きしめるようにして両手で包み込み、次元の狭間へと消えていった。
こうして急遽行われた前夜祭は終了した。
真理亜は胸に苦痛を覚え、九条惟子はさらなる恐怖を刻み込まれる。
完全に負けた。
主に精神において、完全に譲治サイドのアドバンテージであった。
この地点において、ふたりとも勝利の確信は一切持てなかった。
だが、進むしかない。
たとえその先に地獄が待っていようとも。
気が付けばふたりは黙ったまま砦へと戻っていた。
真理亜はその夜悪夢にうなされ、また眠れなかった。
譲治とあのシュトルマがまぐわっているシーンなど、見たくもなかったのに。
九条惟子も同じで、固めたはずの意志が揺らいでいることに気付き眠れなかった。
自身の心の中を完全に見抜かれていたようなあの感覚が忘れられない。
まるで蛇に睨まれた蛙のように。
────そして、運命の時間へと一行は立ち向かうこととなる。
次回こそ、パーティー編(予定)!!