パーティー前日の真夜中の大激走
パーティー前日の深夜。
譲治は王都内の高層の建物の屋上の縁に肘をつきながら、静まり返った光景を見ていた。
明日のこの時間帯には惨劇によって血と炎で真っ赤に染まるとは思えないほどに、美しい静寂が安寧の眠りを民たちに与えている。
「……フライングとは感心しないな。パーティーは明日だ」
「……」
突如背後に感じた気配には覚えがあった。
振り向いて縁を背もたれに、その人物に不敵に笑みかける。
「あの電話以来、ずっと俺たちのことを嗅ぎまわってたな。マリア」
叢雲は流れ、月が現れる。
月の光が真理亜と譲治のシルエットを浮き彫りにした。
まるで泣きはらしたあとのような、それはもう悲しそうな顔だ。
譲治を見つけても、喋りかけようとはしない。
ひたすら口をつぐんだまま、悲しみの視線を向けるだけだ。
怒りや憎しみの感情はなく、殺意も敵意もない。
「……随分と酷い顔だな。電話越しにあれだけ啖呵切ったのにそのザマはなんだ?」
「……」
「俺に会いたかったんだろう? だから姿を現してやった。ちょっとくらい感想を聞かせてくれてもいいんじゃないか? やっと会えたね譲治きゅん! ……とか」
お道化る譲治の姿を見て、真理亜はようやく口を開く。
だが、別になにかを問いただすようなことでも、ましてや糾弾の言葉でもなかった。
「────隣、いいかな?」
無理した笑みでのこの言葉に、譲治は一瞬固まる。
しかし、それを快く受け入れた。
「どーぞご自由に。なんなら密着してお互いを温め合うっていうのはどうだい?」
「……ばか」
真理亜は譲治の隣に来ると同じようにもたれる。
こんなに近くにいるのに、なぜか遠くの存在のように感じた。
まるでふたりの間に深淵へ続く断崖があるかのよう。
お互いを繋ぐ橋は存在せず、触れたくても触れられない。
乙姫と彦星でもここまでの仕打ちは受けないだろう。
こちらに関してはこの一夜を逃せば、あとは戦い合うしかないのだから。
ふとそう考えたとき、真理亜の胸がキュッと苦しくなった。
今ここで譲治を組み伏せようと思えば簡単だ。
それができないのは、あくまで平和的な解決をもう一度望んだからだ。
「どうした。俺を口説きたいんじゃないのか?」
「……中々良い口説き文句が浮かばなくてね」
「映画とかドラマの台詞パクりゃいいだろ。知ってるのあるかもしれない。当ててやる」
「それじゃボクの気持ちは君に届かない。情熱は伝わるだろうけど」
「じゃあダメだな。俺が今一番欲しいのはお前の情熱じゃない」
「残酷だね」
「ヴィランですから」
内容はぶっ飛んでいるが、まるで日常にあるようなたわいのない会話だった。
ふたりの間をビル風が生温く吹き抜ける。
譲治と真理亜の髪が揺れ、遥か向こう側でふたりの匂いがひとつとなった。
だが現実は平行線で、この表現のように互いが交わる気配は一切ない。
「これは傲慢かもしれないけど、ボクは君のことを理解してるつもりだ」
「ほう」
「だけど、やっぱり許せない。君が進んで外道に墜ちるのも、それを防げなかった自分自身にも」
「……俺の行動は理解しがたいか?」
「理解できないんじゃない。あんな目に合えば誰だって狂いたくなるさ。でも……許せない。我慢できない」
「なるほど、ソイツの境遇とかは理解できても、ソイツの行いは許せない、か。至極真っ当だ。寛容のパラドックスなんて言葉があるくらいだからな。許すという行為はあまりにも難しい」
相手を理解するというのは『許せる部分』と『どうしても許せない部分』を同時に知ることだ。
理解するだけでも相当な時間とエネルギーを使うのに、許せない部分を許すとなれば、理解以上のエネルギーを使うことになる。
曰く、理解と許容はけして同一にはなりえない。
むしろ別々の感情なのだと。
「当たり前だよ。君は、あの5人だけじゃ飽き足らず、なんの罪のない人々を、この世界を破壊するだって? ふざけるな! この世界に来たとき、あれだけ傷付いたクラスメイトのために頑張ってたじゃないか! なのに、こんな命をなんとも思わないようなことを……。あの女だよね? 君をそんな風にしたの。今どこにいるの?」
「知ってるかマリア。人間の持てる優しさには限界がある。誰かが死んだとき、きっと誰もが悲しい気持ちになるだろう。だが人間ってのは限度を過ぎれば、誰が死んでも『ざまぁみやがれ』って感情しか抱けなくなる」
「……ッ」
「それに、アルマンドだっけ? 残念ながら俺に知識を与えてくれただけだ。アルマンドが興味あるのは、俺の復讐が上手くいくかいかないかだけだ。俺自身にはそこまで愛着はないと思う」
あまりにもあっさりとした回答だった。
そしてこれ以上話すことはないと言わんばかりに杖を器用に扱いながら真理亜から離れ始める。
「待って、逃がすと思うの?」
「逃がさないだろうな。でも俺は逃げる」
「明日の深夜0時。この王国でなにをしでかすつもりなんだい?」
「だからそれは来てからのお楽しみっつってんでしょ」
「ボクが王城に君たちの存在をリークしておいた。もうすでに王都の人々にも君たちのことが伝わっているはずだよ。君のパーティーがなにかは知らないけど、その頃には無人さ」
「無駄だな」
「なんだって?」
譲治は器用に片足だけで踵を返して得意げに言い放った。
「現場において、お偉いさんの声ってのは重要なものだ。だが残念なことに、お偉いさんの都合ってやつはいつの時代も現場の足を引っ張っちまう悲しいことに」
「なにが言いたいの……!?」
「わかるだろ。お偉いさんの首根っこをちょいと抑えてやりゃ、それだけで現場の人間がどれだけ動けなくなると思うね?」
「……まさか、すでに裏で根回しを?」
「ご名答。確かにお前の情報はキチンと伝わっている。だけど、王様にはチンピラ集団が暴れる程度の事前情報でしか伝わってない。そういう情報改ざんが行われた。そして、王様を囲むおっちゃんの何人かには、命や財産の保証をしてやったから……まぁあとはわかるだろ」
無論、そんな約束も守る気などありはしない。
譲治は不敵に笑い、真理亜は冷や汗を流す。
最早情報戦や駆け引きにおいて、真理亜をも凌ぐ実力を譲治は身に着けていた。
正直な話、ここまで悪として成長していたのは盲点であったと言える。
ほんの少しでも、情が残っているかと無意識に期待していた。
心にゆるみがあったのことを真理亜は悔いる。
こうなってしまった以上、最早実力行使しかないと思った。
だが、容易に動くことはできない。
譲治がなにを考えているのかがまったくわからないのだ。
たったひとりで、屋上という逃げ場のないところにひとり佇むなど本来ならあり得ない。
手下のひとりでも連れているかと思ったが、その気配はなかった。
譲治以外は完全に息を潜めているのか、まったく足取りが掴めない。
一定の間隔がふたりの間に空いている。
そんなとき、突然譲治が音楽プレイヤーを取り出し、音楽を掛け始めた。
イヤホンはなし、まるでライブのように音楽に合わせてその場で器用に踊りだす。
────『Runway Baby』という非常に有名な洋楽だ。
明るい曲調なのに、その歌詞が今の状況を加味するとなんとも言えない気持ちにさせる。
クライング・フェイスという人格が畑中譲治という思い出を盾に、今の真理亜を挑発しているようにしか聞こえなかった。
「命の価値基準には、2種類ある。善悪か損得かだ。アイツらは損得で決めた。お前は善悪で決めた。でも俺からしたらその両方が下らない。命に価値なんざ邪魔だ。それもぶっ壊してやろう」
気付けば聖霊兵をバックダンサーに軽快なダンスを見せる。
いきなり起こったこの状況があまりに不可解かつ不気味過ぎて、真理亜は唖然とし一歩も動けなかった。
だが、彼が踊るたびに後ろへ、後ろへとさがっていくのに気付く。
そして縁が背部につきそうになったとき、聖霊兵を退かせて、真理亜に向けてゆっくり中指を立てた。
「────Runway Baby!」
そしてそのまま後ろにひっくり返るように身を返し、真っ逆さまに落ちたと思いきや、轟音を立てて向こう側へと飛ぼうとした。
落下中にジェット機能を起動させてたのだ。
「じゃあなぁ! また明日を楽しみに……お?」
飛行中、ゲラゲラと笑いながら視線を後ろに向けると。
────バシュン、バシュンッ!!
真理亜が譲治を追いかけていた。
恐らく暗殺者のスキルで手に入れたのだろうワイヤーガンを二挺。
建物に撃ち込み、ワイヤーを引っ掛けて、戻る際の勢いを利用しての超速空中移動。
二挺を巧み扱っているからか、その速度はジェット機能のそれに引けを取らない。
「面白ぇ! 面白さはなにものにも優先するッ! ────前夜祭だッ!! パーティー前にふたりでシッポリ楽しもうやマリアァァァアアア!!」
「ジョォォォオオオジィィィイイイッ!!」
嗤う譲治を鬼のような形相で追いかける真理亜。
前夜祭と称した譲治と真理亜の前哨戦。
(間抜けが。俺がなにも仕掛けてないと思ってんのかな? ……まぁ、それでくたばるとは到底思えんがね)
(きっと君のことだ。こうなることを一応は予測してたんだろう? ────乗ってやる! 百でも二百でも卑怯な手を使ったらいい! 全部切り抜けてやる!!)