月の下で準備は整う
闇市場は一気に地獄絵図と化した。
敵分子は皆殺しとなり、あたり一面に静けさが漂う。
トラビスが逃げた最後のひとりを狙撃した。
銃声が響き渡る中、譲治はダニーとともに地下へと降りていく。
「クライング・フェイス。この、えっと……この臭いは……」
「なぁに、王国の隠れた闇ってヤツさ。あ、そうだ。この杖じゃダメだ。俺がモンスターに近寄れない」
譲治はアイテムボックスから普通の松葉杖を取り出して装備を変更する。
ダニーは彼が階段で転びはしないかハラハラしながらも最奥地点に辿り着いた。
アーチ状の大きいドア、そこから嫌悪を誘う臭気が漏れ出ていた。
譲治はヘラヘラ笑いながら中へと入るが、ダニーはその光景に絶句する。
そこにいるのは様々な女性型モンスター。
だが今の彼女らにモンスターとしての妖しい脅威は存在しなかった。
襲撃前にも、いや、これまでずっとそうされてきたのか。
肉体的にも精神的にも男の欲望で蹂躙された痕が見られた。
「えーっと、お、いたいた」
「い、いたって……誰が?」
「俺のお目当てさん。まぁ来てみ。すっげ~美人だから」
そう言いながらさらに奥へと向かうと、特別な牢屋の中で繋がれた妖艶な女性がひとり。
真っ赤なチャイナドレスのようなものをまとった妙齢の女性型モンスター。
炎と破壊の化身『ブディグラ』、その力は女神というに等しい。
最早伝説級のモンスターであるというのに、こうして繋がれ辱められていたというのがダニーにとっては大いなる謎であったが、譲治の反応を見てすぐに理解した。
彼女だけでなく、ここにいるモンスターのほとんどは人間と仲良くしようとしたモンスターなのだ。
このブディグラはあるきっかけから人間の男を愛し、人目のつかない静かな場所で暮らしていたらしい。
「やぁブディグラ。ここから出たくはないか?」
ブディグラが疲れ切った虚ろな瞳を譲治たちのほうに向ける。
しかしダニーはそこで恐怖を抱きその場にへたり込んでしまった。
その虚ろであった瞳は急に絶望と怒りに満ち満ちていったからだ。
ほかの娘と同じく儚げで美しかったあの表情は、一気に豹変して目の前の男どもを睨みつける。
段々と落ち着きを取り戻してきたダニーだが、ブディグラ以上に譲治がまるで恐怖を感じているように見えなかったのことが一番の驚きだった。
そんな中、譲治はダニーにそうしたように、彼女の前にしゃがんで話をする。
「そう睨むなって。別に俺はアンタを取って食おうなんざ思ってないさ」
「黙りなさい愚かなる人間め。我が夫と娘を奪っただけでは飽き足らず、私の身体まで……」
「そうだったな。アンタはある人間の男に惚れた。そしてふたりの娘を授かった。『幸せ』だったよなぁ。……なぁ、俺自身が疑問に思うことなんだが、なんで人間とモンスターって一緒になっちゃいけないんだろうね? アンタだけじゃない。周りにいる娘たちもさぁ、友達になったり恋仲になったり……すんげーいいと思わない?」
「とぼけたことを言うわね……。お前たち人間が勝手に作ったルールによって、こんな目に遭っているというのに。私はただ好きな人と一緒にいたかった。それだけだった……富も名声も必要ない。だがお前たち愚かしく浅ましいクズどもはッ! 私たちがひとりの男を愛そうとすることを『誘惑』といい、ひとりの男を愛して一緒にいることを『邪道』と勝手に呼んだ! 愛したい、ただそんなささやかな思いさえ踏みにじって……あの人と、娘を殺したッ! 許さない……絶対に許さない……どれだけ犯されこの身を穢されようとも、この憎しみだけはけして忘れはしないッ!」
ブディグラがモンスターとしての本性を現したかのような形相をする。
今にも人を頭からかじりつきそうな勢いに、ダニーは息を吞んだ。
彼女を繋いでいる拘束具はかなり特別なものだ。
それだけ強大なパワーを持つ恐ろしい存在であるブディグラは今、それほどまでに怒りで我が身を煮やしている。
その怒りに譲治はどう答えるのか、ダニーは興味が湧いた。
ダニーが見守る中、譲治は相変わらず笑みを絶やさずに話を続ける。
「理解されないっていうのは辛いよなぁ。……なんで理解されないんだろ? 理解が及ばないものを拒絶するルールは果たして正義なのか。多くの意見が分かれるところだな。……だが、今回の件についてアンタらがなぜこんな目に遭ってるのかっていう理由は知ってる」
「……なんですって?」
「そもそもそのルールが作られたのは、割と最近なんだよ意外にも。じゃあ誰が? そりゃ勿論、人間のお偉いさん方さ」
譲治は懐から鍵を取り出す。
いつの間に手に入れたのかは不明だが、それを使って彼女の拘束を外そうとしていた。
あまりにも危険な行為だ。
だがそれを止める者はいない。
クランやシュトルマも遅れて入って来たが、譲治のすることに口を挟もうとはしなかった。
「くっそ、外れねぇ……んもー、めんどいな。……あ、えーっとどれくらい話したかな? あ、そうそう。お偉いさん方だってところだな」
「あ、アナタ……なにをッ」
「連中は極めて"老獪"だ。では老獪とはどんな存在か? 自分以外の周りの人間、特に若者。そいつらを競わせ争わせ、コキ使って『利益』を得ようとする連中のことだ」
その過程の中で『幸せ』という言葉を巧みに操り惑わす。
そういった持論を交えながら譲治は軽快に話していった。
「自分たちにとって利益にならないことが流行になってたり、それが人々の心を掴んでたりすると、連中はひどくイラつく。折角作り上げた方程式を失いかねないからだ。────だからこそ、それを『悪』として評価する。悪として認識させることで、逆に利益が出るように仕向ける。規制とか異端狩りとかまさにそうだろ」
ガチャガチャと拘束具が揺れる中、ブディグラは譲治を睨みつけたまま話を聞いている。
これまでとは違い解放された瞬間譲治を殺しそうな雰囲気だが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに話しを続ける彼の姿に、ダニーは勿論ブディグラもクランもシュトルマもドス黒い狂気を感じていた。
「科学的根拠だとか、物事の善悪なんてものは結局のところ都合の良い後付けだ。……愛は悪か? 違うだろう? 別にお互いが理解し合って愛を育むってんならモンスターと人間でも別段おかしいことじゃないんだよ。……だが、老獪思想には理解できないし利益にもならない。ましてや自分たちのコントロールの外だ。だからこそ、奴らはアンタらの愛を『悪』と認定することになんのためらいもないってわけ。そのほうが利益になるからな」
「な、なにを……そんな……そんな、理由で。あの人を、あの子たちを……」
ブディグラの心が恐怖と絶望に歪み始める。
丁度そのとき、拘束具が解除された。
自由の身になったブディグラだったが、身体に力が入らない。
譲治は一息ついてから彼女の顔を覗き込む。
「────人間と仲良くなりたい。その考えを持つアンタらの存在を悪として、こんな闇市場なんて設けるあたり、どうやらすっごい利益になるみたいね。だってここにいた連中の中にお偉いさんめっちゃいたもん。各国の要人までいてさぁ。こりゃすんごい裏ビジネスだ」
これが最後と言わんばかりに顔をブディグラの耳元まで近づける。
「────誰がこの裏ビジネス考えてたか知りたい?」
「ひ……ぁ……」
「この国の枢機卿連中だ。今じゃすっかりおじいちゃんだが、モンスターへのヘイトは昔から変わってない。そしてアンタらが犯されることで得た利益の90パーセントは奴らに流れる。偉そうにふんぞり返って座ってるだけでガッポリ稼げる。アンタの愛は奴らのたるんだシワの養分になっちゃってるわけヤダちょー悲しい」
その言葉が彼女のスイッチになった。
身体が震え、目に涙が浮かぶ。
思い出すのは楽しかった夫と娘たちとのあの日々、温かく、賑やかで、それでいて穏やかな生活。
表情が強張り、段々と怒りと憎しみが浮き出てきて、一縷の涙を零させた。
「フヒヒ、フヒヒハハハ……」
譲治が嗤う。
それとは反対に怒りの咆哮と憎しみの涙を流すブディグラ。
「あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ˝ッ!!」
彼女の身体から勢いよく炎が噴き出て周りに引火し始める。
その憎しみの波長に同調したように、ほかのモンスター娘たちも怒りと憎しみに喘いだ。
ブディグラの波動により、彼女らを拘束していたすべて枷は外され、自由になる。
「ハハハハハ、HA-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAッ!!」
「うわぁああっ……。う、う、うわぁあああああああああああッ!!」
「ウワァーッハッハッハッハッハッ……あち、熱熱熱、アツツツツツツッ!! け、ケツが、ケツがぁああああッ!!」
「うわ、ちょ! クライング・フェイス!」
「ヤベヤベヤベおい早く冷やしてくれ! よしクランやれ! あ、コラ、バッッッカ! 液体窒素でやる奴があるか!!」
怒りと憎しみ、そして笑い声は天上の月まで届いているかのよう。
そのせいかトラビスには、見上げる月にはもうかつての優しい面影がないように思えた。
地上に降り注ぐ女神のような優しい光を放つあの月は、今やモンスターの眼光のように地上を照らし睨みつけている。
まるで月までもが『嗤う髑髏』に同調し、下卑た笑みと悲しみを抱くかのように。