泣きっ面の俺と咽び泣くシュトルマ
譲治たちのクミコ討伐が終わった頃、西の戦場でも動きがあった。
九条惟子の活躍のお陰で、短時間で敵を制圧することに成功する。
この活躍に誰もが喝采を浴びせるが、この場にシュトルマの姿はなかった。
というのも、彼女は信頼できる部下を引き連れた別動隊を率いて迂回しながら進軍していたらしい。
王命ということで、彼女は疑うことなくその通りに進む。
だが、その途中で謎の落石や弓矢による掃射が行われたため、シュトルマの部隊は全滅。
(くそ、一体なんだ? 敵襲だと? そんな報告は聞いていない。早く出なければ……ッ。あれ? 両腕の感覚が、ない?)
シュトルマは落石に巻き込まれたが、辛うじて生きており、なんとか起き上がって見た惨状に絶望を抱く。
全身の痛みで気付くのが遅れたが、ふと自分の両腕を見てみると、右腕も左腕も完全に消失していた。
部下を失ったこと、剣を扱う者として大事な両腕を失ったこと、そして王命を果たせなかったことが幾重にも圧し掛かり、シュトルマを発狂させる。
なにかわからないことを喚き散らしながら、元来た道を無様にヨロヨロと歩いていった。
途中で凱旋中の九条惟子たちの軍と合流し、王城へと帰還する。
────その情報はいち早くアルマンドや譲治が入手した。
『……と言うことだ。シュトルマは今王城で手当てを受けているが、もう騎士としての復活は無理だろう』
『あ~らら、かわいそ』
『行くのか?』
『どうせお見舞いになんて誰も来ないっしょ? だったら俺が行ってあげなきゃ』
『イズミやナナはいいのか?』
『そいつらはあとで。まずは人員補充でさぁ。それに、この衣装に付いてる"あの機能"ちょっと使ってみたい』
『そいつはいい試みだ。あ、そう言えばよ。お前さんのクラスメイトが謝りに来てたぞ? ゾロッと揃って部屋まで来たんだ』
『あぁ、そいつらはほっといていい。なるべく早くにゃ帰るんでそんときに軽く話しときますよ』
『わかった。じゃあ気を付けてな』
上空、クランと並んで飛行中。
念話の通信を切り、譲治は王都へと向かう。
ジェット音でバレない離れた位置に着陸し、そこから歩いて王城の近くまで進んだ。
譲治が今まとっている衣装には様々な機能が付いている。
それを起動させる準備にかかった。
「さぁて、クラン、お前は先に戻っててくれ。さすがにお前がいないとなると、おーくぼだけじゃなく、ほかの連中もまた騒ぎかねない」
「うん、わかった」
「よし、じゃあまず姿を消せ。そしてそっと俺の部屋に戻るんだ。多分アルマンドさんならお前に気付く」
こう言い聞かせてクランが姿を消したのを確認し、譲治は右腕に備えられているスイッチなどをいじる。
そこからブゥンと音が出て、城内部のホログラムが出現した。
「シュトルマたんがいるのは……ここか。うわ~、仮にも騎士なんだからもうちょっとちゃんとした治療室に運んでやれよ。これじゃ物置じゃねぇか」
やれやれと言いたげにホログラムを閉ざし、胴部にあるカバーを開いて別のスイッチをいじる。
そして"その効果"が現れたと同時に、彼は城内へとスルスルと忍び込んだ。
向かうはシュトルマのいる治療室。
狭い場所も際どいところも難なく進めたので、人に見つかることなく容易に辿り着くことができた。
「う、うぅ……い、だい……痛いぃ……くそ、クソ……」
ベッド上で包帯だらけになりながら天井を見ていたシュトルマ。
留まることを知らない涙はこめかみや頬を伝って枕を濡らしていた。
だが、そこで妙な気配を感じて少し身を捩ってベッドの外側を見てみる。
────するとそこには1匹の"蛇"が蜷局を巻いていた。
蛇がいるというだけでも驚きだったが、さらに驚きだったのが、それが一瞬にして"人"の姿になったことだ。
「ハァイ……」
それはまぎれもなく譲治。
衣装の機能で蛇に化けてここまでやって来たのだ。
「き、貴様、なぜここにッ!!」
「あー、あー、あー……。そんなに騒ぐな、傷口開いちまうぞ? お見舞いだよ。言ったろ? 俺は別にアンタのこと悪く思ってないって。そんなアンタが大怪我したって聞いたから文字通りすっ飛んできたんだぜ?」
「くっ、怪しげな術を使って忍び込むとは……本当のことを言え! なにが目的だ!」
「仮にあったとしてそれアンタに言う必要あるか? もう騎士じゃねぇんだろ」
「────ッ! ま、まだ私は……ぐっ」
「そうカリカリすんなよ。ところで、お見舞いひとりも来ないんだな。同僚がここまで追い込まれたってのによぉ」
「そ、それは……」
シュトルマの勢いは砦のときと比べると段違いに落ちていた。
譲治はその様子を見て、わからないようにほくそ笑みながら語り掛ける。
「今頃九条惟子は皆に褒められてウハウハだろうなぁ。祝賀パーティーってやるんかねぇ? それに比べて、一体なんだアンタのそのザマは」
「なにが言いたい」
「はっきり言うとだ。まぁ……アンタ捨てられたなって。誰よりも王に忠実で、仕事もキチッとこなしてきたアンタが、こんな物置みたいな治療室に、そんな雑に包帯グルグル巻きにされてよぉ。俺もこうなる前は怪我人に包帯とか1日に何本も巻いたことあるからわかる。素人研修生の実習かなんかか?」
譲治の言葉に思うように言い返せない。
九条惟子の名を出され、再び憎しみが湧いて出てきた。
そして今の自分の現状を的確に言われて、意地を張ることもできない。
だが、やはり王に捨てられたとは信じたくないシュトルマだった。
「なぁシュトルマさんよ。話は変わるが、善人や悪人ってどうやって決まると思う?」
「なんだ急に? 重罪人のくせに、善悪論を説くなど言語道断だぞ!」
「まぁ聞けよ。こういう何気ない会話の中に、アンタのこれからの糸口があるかもなんだぜ? で、どうだ?」
「決まっている。正しき統制、正しき法の加護の下、善人と悪人に分けられる。お前は後者だ……」
「ハッハッハッ、そうだねぇ。とすると、王に仕える騎士様やそのほか臣下は前者であるわけだ」
「……それがどうした?」
「その正しき善人が、なんでこんな虫ケラみたいな扱いを受けてる? アンタ疑問に思わなかったか? 王を含む連中がアンタを見る目が普段からおかしいって」
「うっ……」
「いくら猪武者ってあだ名があっても、アンタは愚直に仕事に打ち込む実に正々堂々とした騎士だ。そんな騎士が、皆にバカにされて、こんな扱いを受けるなんて、それって正しい統制なのか? 正しい法の加護とやらなのか? ん?」
蛇のようにまとわりつく言葉の渦にシュトルマの表情が強張り、心が揺らいでいくのが譲治にはわかった。
「シュトルマさんよ、アンタはさっき、統制と法によって善悪が決まると言ったが、それは違う。違うんだ。────そいつが良い奴か悪い奴かなんてものは、大抵の場合そいつのことが好きか嫌いかで決まる。……ようは主観なんだよ。法律だって同じ、お偉いさんの主観で決まってる。そこに正確な善悪なんてないんだ」
「な、な、なにを……言ってる? お前おかしいぞ!?」
「わからないか? 罪人なんてそんなもんだ。嫌われ者なんてそんなもんだ。その時代の特別な立場にいる人間の好き嫌いが罪人を作るのさ。それに同調した連中が嫌われ者を作るんだ。死んで当然の超極悪人なんざ、一握りだろうがよ」
今のシュトルマにとってそれは恐ろしい結論だった。
個人的な一面においても、任務の内容においても、思い当たる節がいくつかある。
「主観は曖昧だ。だからこそ他人と共有したり、お偉いさんの主観を信じたりして、自分の主観を確かなものと思い込みたがる。たとえそれが過ちであってもだ。アンタの周り、そんな連中ばっかだろ。王様の意見に同調して、アンタを見下す連中よぉ」
「ぁ、ぁ……ッ!」
「人は簡単に"自分の主観"に騙される。誰も"自分の主観"には勝てない。間違った解釈を正しいと信じて、真実を見失う」
「だ、だ、黙れ! そう言って、わ、わた、私を騙して貶める気だろう!」
「俺が人を騙せるような頭のいい人間に見えるか? 話を戻そう。俺は別に主観そのものを否定はしない。王には王の主観があり、連中には連中の主観、そして九条惟子にもまた主観が存在する。誰だってそうだ。特にアンタに対してのな……」
「な、なに……」
「はっきり言えば、アンタは連中の掌の上で踊らされてただけだ。普段からウザいと思ってた女猪武者の転落劇……まさに喜劇だな。さぞかし気持ちいいだろうなぁ、それを見るのは」
譲治は治療室を見渡すように視線を動かす。
それに同調しシュトルマの視線も動いた。
嫌な汗が包帯を濡らし、じっとりとした湿気が傷付いた肉体に染みる。
不安と恐怖で呼吸数も心拍も上がってきた。
「それでも連中はアンタの言う善人かな? もしも悪人だとしたら、裁かれるべきだよな。いつ裁かれる? 悪はいつか裁かれるだって? どうしてそんなことがわかる? 裁く側が悪とズブズブの関係だったら意味ないんだぜそれ」
「な、なんなんだ……なんなんだよお前……ッ。どうして、どうしてそんなこと言うんだッ! どうして私を苦しめるようなことを言う! どうしてッ、どうしてお前は他人の不幸という傷口を開こうとするんだ!!」
「不幸? 不幸だって? アーッヒャッヒャッヒャッヒャヒャッ! 受けたぜそのジョーク! 最高だ、コメディアンにならないか?」
「黙れぇ!! なにが可笑しいんだ! なんで笑うんだクソッタレェ!!」
「ヒヒヒ、じゃあ聞くぜ? アンタの幸せって? まぁそれは騎士として生きていくってのもあるんだろが……聞きたいのはそう言うことじゃなくてだな」
「……?」
「────アンタが考えてるその"幸せ"は、本当にアンタを幸せにしているのか?」
「え?」
「幸せにしてないよな? 約束された幸せじゃない。転落人生を歩んでいるから今は幸せじゃないんだって? それこそ笑えない悪いジョークだ。……なぁどうしてだ? 幸せを信じていて、どうして幸せになれなかったり、幸せが遠のいていくんだ? なんで一度も幸せになれなかったりする?」
「そ、それは……」
「なぜ、幸せは肝心なときに人を裏切り、見限り、見放して、見殺しにするんだ? 幸せってこんなにも残酷な現象なのか?」
今のシュトルマに答える術はなかった。
それ以上に、彼女を睨むようにして語り掛ける譲治に恐怖を感じたからだ。
「笑える話をしてやろう」
「やめろ聞きたくない!」
「いいや、言うね。折角のトークショーだからな!」
「やめろぉ!!」
譲治は歓喜したように両腕を広げ、片足で器用に立ちながら言い放つ。
絶望に墜ちた者が辿り着く、忌むべき真理だ。
少し内容を分離します