ベリーくるしみます
「んむ……んむむ……ッ!」
目が覚めた蘭法院綾香は、自分が縛られているのに気付く。
スキル封じなどが付与された縄でくくられているため、まるで力が入らない。
本来なら【怪力】のスキルでこの程度の強度の縄などすぐに引き千切れるのだが、そうはいかない。
太い布で猿ぐつわをされて、思うようにしゃべれないし、叫ぶこともできなかった。
(くそ、くそ、くそ……ッ! 畑中譲治の仕業ですわね。許さない。凡人の分際でよくもこの私にこんな!)
もがけばもがくほど、縛りがきつくなるのを感じ、一旦落ち着いてなにか対策を立てようとした直後だった。
目の前の空間に突如、モヤモヤとした空間の穴が現れる。
ワープホールだと認識しかけたとき、その奥から誰かが歩いてきた。
見覚えのあるシルエットに、蘭法院綾香は怒りでその目を一気に見開く。
「メリークリスマス」
畑中譲治が白い袋を持って、謎の言葉とともに現れた。
「メリークリスマスだ花京院、じゃなかった、らんほーいん。おいおい、今は冬でもないしクリスマスはまだ大分先だとでも言いたげだな。いいか、こういうときは考えるんじゃない、ただ感じるんだ」
「……ッ!?」
「いいか? 今の俺はサンタさんだ。サンタの俺がメリークリスマスと言っているんだから今はクリスマスなんだ。だからお前も今はクリスマス気分を楽しめ。な? 心の中のクリスマス気分を解放しろ。お前もクリスマスだ」
(イカれているッ!)
譲治は聖霊兵を呼び出し、部屋を暗くする。
カーテンを閉め、蝋燭を3本ほど灯し、可能な限りの雰囲気を作り出した。
「クリスマスと言えばなんだ? さっきから白い袋のほうにチラチラと目がいってるないやしんぼめ。わかってるよ。今日はお前にプレゼントを持って来たんだ。今の俺はサンタさんだからな」
譲治はしゃがみ込み、白い袋の中に手を突っ込む。
楽し気に『もろびとこぞりて』を歌いながらプレゼントを取り出そうとする姿に、蘭法院綾香は怖気が走った。
突然ワープホールから現れたことや聖霊兵が出たことなど突っ込みどころが多いが最早それどころではない。
「さぁて、プレゼントはお前が欲しくて欲しくてたまらない物だぜ? なんだろな、うわぁ、なんだこれは。お、凄いな。凄いぞこれは~。ほらぁ~」
譲治は袋の中から円柱型のケースを取り出す。
空気の抜ける鋭い音が漏れると同時に、ケースの蓋が開いた。
「さぁご対面。お前のプレゼントは、"気になっちゃう異性のあの人"だ」
乱暴にケースから取り出したのは、カタギリの生首だった。
生前のクールなイメージは完全に消え失せ、恐怖と絶望に染まった形相で白目を向いている。
「ん゛ん゛ッ! ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!?」
「ハッハッハー、ミュージックカモンッ!」
満面の笑みに等しい譲治がカタギリの首を持っているという光景を目の当たりにした蘭法院綾香は、発狂したように猿ぐつわの中で叫び声を上げる。
譲治の指示により聖霊兵10人全員召喚され、なんとその場で歌を歌い始めた。
メロディは地球のクリスマスソングなのだろうが、どこか暗く悍ましい音程と言葉だった。
防音の結界が貼ってあるらしく、外部には音は漏れない。
今この部屋は完全な絶望の具現と化した。
「最高のプレゼントだなオイ! ホラホラ~、前から欲しかったカタギリだよぉ~。嬉しいねぇ。クリスマスプレゼントに彼氏だってよヒュー」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ! ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!!」
この恐怖と狂気から逃れようと身を捩じらせ、大粒の涙を流しながら後ろへと下がる蘭法院綾香。
ジリジリとにじり寄ってくる譲治と歌いながら迫る聖霊兵たちは、徐々に彼女を部屋の隅へと追い込んでいく。
「逃げるなよぉ。ホラ、前からコイツのこと気になってたんだろ? ホラ抱いてやれよ。感動の対面だぞ」
そう言って顔を何度も横に振る蘭法院綾香の胸に押し付ける。
凄惨な死に顔の感触が衣服を通して肌に伝わってきた。
物言わぬ口は自らの苦しみを彼女に訴えかけているようで、彼の魂は永遠に絶望の中へと閉じ込められてしまったのだと、実感させられる。
憧れのクラスメイトの死に蘭法院綾香は咽び泣く。
譲治がどうやってカタギリを捜し出し、その身体で殺したのかと疑問はあるはずなのだが、最早そう言った精神状態ではない。
「プレゼントはまだあるんだが、それはあとにしておこう。……さて、次はこれだ」
聖霊兵の合唱が止まる。
蝋燭の光が不気味に揺れて、譲治と蘭法院綾香との間に流れる空気に不穏さと狂気が満ちていった。
まるで忌まわしき儀式の生贄にされたかのような状態の蘭法院綾香に見せつけたのは、少し大きめのガラス片だ。
「本当はナイフやら短剣を使いたかったが、僧侶クラスでは持てないらしいんだ。持てても儀礼用の短剣で切れ味はゼロときた。包丁は持てるが、人間への殺傷には使えない。でも、このガラス片は別だ」
譲治は蘭法院綾香の首筋に鋭利な部分をこすって見せる。
彼女が恐ろしさと気持ち悪さで目を閉じようといた直後、譲治はガラス片を器用に逆手に持ち換え、それをカタギリの眼球に突き刺した。
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!!」
引っこ抜くと、ガラス片から血が滴り落ちる。
譲治はもう笑ってはいなかった。
白銀の髑髏の面頬で笑っているような顔には見えるが、実際は邪悪な憤怒で凝り固まっている。
目と目を合わせながら、譲治は面頬を取り外した。
カシュッと音が鳴って、面頬が外れ、元の顔が晒される。
面頬とは真逆に、譲治はずっと歯を食いしばっている表情だった。
そして止めどない涙が流れ出てくる。
滝のように流れ出る涙は蝋燭の光に包まれ、不気味な影色の水溜まりを床に作った。
「俺がなんでこれを付けているかわかるか? 涙が止まらなくなったからだ。泣きたくなくても、身体の細胞の一片があのクソッタレな裁判と重すぎる罰を覚えている。……わかったらこっちを見ろ。目を背けるな俺を見ろッ!!」
譲治が無理矢理に、怯える彼女の顔を掴みながらガラス片を頬に押し当てた。
少しでも身動ぎすれば、綺麗な肌が傷付くことになるだろう。
「……人間が死を間近にしたとき、なにを思い出すと思う? 過去の辛い出来事か? いいや、違う。自分の人生で温かかった思い出さ。小さいころに家族と一緒にいった旅行や、友人とピクニックへ行ったときの楽しかったこと。……誕生日にもなれば、家族の皆が祝福してくれて、クリスマスにもなれば豪華な料理にクリスマスケーキ。なにが入っているかドキドキして開けたプレゼント。……そういうのを思い出すんだ。ん? わかるか? わからないか、家族に見捨てられてるもんなお前な」
「────ッ!」
「それを思い出したとき、涙が止まらなくなったんだ。雨の降りしきる荒野の中で、ひとりぼっちで、左足もなくなっちまった。お前らはスカッとしただろうよ、ざまぁってな。だが、俺はそこで愛しい人となる美女と出会った。そこからだ。俺を貶めた連中に復讐してやろうと思ったのは……ッ!」
凄まじい剣幕で、恐怖一色の蘭法院綾香に怒りをぶつけた。
そして理解する。
人間は地獄へ墜ちればここまで憎悪に身を委ねられるのだと。
「コレを付けてないと、涙が止まらなくて苦しくなる。だからずっとはめてる。涙は止まっても、苦しみは癒えない」
譲治は再び、面頬を取り付ける。
また笑っているような顔に戻るが、彼の中にある憎悪を知ってしまった以上、その笑みは仮面だ。
学校時の畑中譲治とこの世界に来てからの畑中譲治とはまるで別人となってしまった彼に、蘭法院綾香は呼吸を荒くし、身体を小刻みに震わせる。
「俺が怖いか? だが、俺はお前以上に俺自身が怖い。なぜかわかるか? まず、お前が花京院なのからんほーなのかすら朧気になってきたことだ。ぶっちゃけどうでもいいがそれだけじゃない。さっき家族のことを言ったが、家族の顔や声が……あんまり思い出せないんだよ。復讐に身を委ねれば委ねるほどに、俺はかつての俺の死を目の当たりにするんだ。それでも、復讐を選ぶ俺の気持ちがお前にわかるか?」
譲治は立ち上がると、聖霊兵に指示を出すようにハンドサインを。
聖霊兵は各自動き始め、袋の中からなにかを取り出していく。
「さぁて、クリスマスパーティーの続きだ」
取り出したのはいくつものダイナマイト。
長い導火線に蝋燭で火を点けていく。
「心配すんな。ギリギリ死なない程度には調整してやった。滅茶苦茶痛いだろうが、お前なら大丈夫だ。死に掛けのお前は必ず安全な場所に運んでやる。そこもすでに決めてある」
「────ッ!!」
「お前は俺の復讐計画に必要な人材として選んでやったんだ。生かしてやるだけ感謝して欲しいくらいだな」
聖霊兵ひとりを残して、砦から離れた場所に待機させる。
譲治は部屋を出て、広場のほうへと赴いた。
任務で大半が出払っているのか、砦内は極めて静かだった。
見張りの兵士がちょくちょくいる程度で、特に問題はない。
「────べり~、くるしみま~す」
そう呟いた直後、譲治の部屋から爆炎と衝撃波が飛び出て、建物を半壊させた。
譲治は振り向いてその光景を見ると肩を竦めさせ、また一歩前へと進もうとした直後、再度爆発を起こしたためその衝撃波でバランスを崩しこける。
「……ダイナマイト多すぎたかなうへへ」
そう言いながら、爆発の余韻に浸るように仰向けになった。
砦にいた兵士や残っていたクラスメイトたちが騒いでいる。
蘭法院綾香は、ズタボロになりながらも誰にも悟られることなく、聖霊兵によって別の場所に連れて行かれた。
(さぁて、俺の復讐もいよいよ後半戦だ。こっからはマジに難易度が高くなる。クク、面白いじゃねぇか)
譲治は目を閉じる。
あのダイナマイトは前半戦をやり遂げた自分への祝砲だ。
満足感に包まれながらも、譲治の頭の中には脅威たるふたりの顔が浮かんでいた。
九条惟子と大久保真理亜だ。
そろそろ彼女らは、自分に多少の疑念を抱くはずだと、譲治は頭の中でゆっくり策を巡らした。