暗殺者:大久保真理亜
「なんて酷い……文字通りの蜂の巣か」
林の中にて遺体を発見した少女は、現場の惨状に顔をしかめながら周囲に注意を払う。
黒を主としたボディースーツに身を包み、後ろを三つ編みにした髪を揺らしながら現場を探索していた。
彼女の名は『大久保真理亜』といい、暗殺者クラスにして【レベル987】と九条惟子に次ぐ実力者。
そして畑名譲治の無実を晴らした功労者でもある。
「彼は確か魔術師クラスの……。この林に逃げ込んでキラー・ビーに襲われたのかな。……いや、それは妙だな。彼も実力者だ。キラー・ビーがやってきて無抵抗で殺されるなんて有り得ない。誰かに殺された? でも、このキラー・ビーの群れは……う~ん、さっぱりだね」
現場の検証を続けながら真理亜は周囲を探る。
真理亜のスキル【隠密】によってキラー・ビーは彼女を敵と見てはおらず、落ち着いた状態を保っているため、じっくりと観察することができた。
(これは誰かの足跡? ダメだ……見えづらくなってる。とりあえず早く砦に戻って報告だ。雷がすごいな。早く帰らないと雨が降るぞ)
神速とも言える足運びで林を抜けて砦の方向へと駆け抜ける。
彼女の目的は逃走した5人を見つけ出し、砦へ連れ戻すことだった。
この世界に張り巡らせた情報網を駆使し、国からの任務もこなしつつ、ずっと探索を続けていたのだが、最初のひとりであるジュンヤは惨殺死体となって発見される。
ほかの4人は行方知れず、そして……。
(畑中君……)
真理亜はずっと畑中譲治のことを気にかけていた。
彼の無実を証明しても、彼が戻ってくるわけではない。
それでもと真理亜は情報網を活かし譲治のことも探していた。
だが今日に至るまで消息を掴むことはできず。
あのレベルでしかも魔女の方舟という高ランクのモンスターがいる場所に送られたのなら、助かる見込みはゼロに等しい。
それでも諦めずずっと探し続けたのだが。
軋む心で顔を歪め、流れ落ちる涙で頬を濡らす。
砦に戻る前に表情を元に戻し門から入ると、なにやら内部が騒がしい。
いつも以上に全員が慌ただしく動いていることに真理亜は違和感を覚えた。
「ねぇ、なにかあったの? 皆すごく慌ててるみたいだけど」
「あ、大久保さん! 落ち着いて聞いてね……畑中君が帰ってきたの」
「────え?」
「それでね、畑中君がサオトメさんのところへ行ったら、サオトメさんが……おかしくなって……」
その処理に追われており、この砦にいる全員が慌てふためいているらしい。
だが今の真理亜にはそんなことはどうでもよかった。
「畑中君……畑中君はどこ!? どこにいるの!?」
女子生徒の肩を揺さぶりながら呼吸を荒げる。
歓喜と驚愕、そして緊張が真理亜の中で高まっていった。
場所を教えてもらい、一目散に駆け抜ける。
譲治が以前使っていた居室に、譲治は戻ってそこで休んでいるとのことだった。
扉の前につくと、真理亜は深呼吸をしてからノックする。
「……スゥ、ハァ。あの、畑中君。大久保真理亜です。開けてもらってもいいですか?」
「鍵は開いてる。入りたかったら入ってくれ」
真理亜は扉を開く。
そこには風貌は変わっているがたしかに彼が、奥の窓際のベッドに座る姿があった。
カンテラに火を灯し、譲治は小型の音楽プレーヤーから伸びるイヤホンを耳に音楽を聴いていたのか、外した片方のイヤホンからリズムが漏れ出ている。
真理亜の中でずっと抑え込んでいた感情が爆発した。
そして左足のない彼の姿に思わず両手で口を覆う。
譲治が生きていたことの喜びと、左足を失うほどに傷ついたことへの悲しみが涙となって込み上げ、本人を前に泣いてしまった。
彼女がこうまでして譲治を思うのは、ある理由があるのだ。
「ごめん、ごめんなさい……やっと出会えたって、安心しちゃって……」
「いや……。ついさっき聞いたんだが、アンタが俺の無実を晴らしてくれたんだよね」
「そう、だよ。でも……でも左足が……」
「アンタが気にすることじゃないよ。ありがとう。アンタが無実を証明してくれなきゃ、俺はここへ戻ってこれなかったかもしれない」
無論、復讐するために戻ってくることができなかったかもという意味である。
そんなことは知る由もなく、真理亜は涙を拭いながらも微笑みかけた。
「いいよ、そんなの。……ボクは、君が無実だって信じてたよ」
「しかし不思議だな、大久保さんよ。なんでアンタが俺の無実を? 学校でも異世界でもそこまで関わりなかったよな?」
「あー……覚えてない、かな?」
「なにを?」
「えっと、まぁそうだよね。中学生のころだし。多分ボクのことも覚えてないんじゃないかな。アハハ」
「中学? そこまでさかのぼるのか……。いたような、そうでもないような……」
「ん~、中学のころよく図書室へ来てたよね? そのときの図書委員の眼鏡のおさげ髪の女の子に見覚えは?」
「────……え、え゛? まさか、あんときの?」
譲治は思い出す。
中学のころにいた、かなり大人しそうな女子生徒だった。
記憶の中の真理亜と、今の彼女はまるで別人だ。
イメチェンと言うにはあまりにも違いすぎる。
「フフフ、高校へ入ってからさ。1年生のときはお互い別クラスだったからわからなかったね。……でも、2年生になって同じクラスになれて嬉しかった」
真理亜は彼と向かい合うようにしてイスに座る。
彼女は譲治に中学のころから恋心に近い感情を抱いていた。
学校にいるときも、彼の明るい声に心を密かに躍らせ、この異世界に来てからは弱いながらも自分のできることを一生懸命にやる姿に、さらに心を惹かれた。
無論、その思いは譲治には伝えていないし、伝える勇気が持てなかった。
あれだけ助けたかった本人を前にすると二の足を踏む。
そんな彼が裏切り者と重罪人の烙印を押されてしまったことが我慢ならなかったのだ。
本来であればその裁判に参加して弁護をするべきであったが、当時真理亜は別の任務にあたっていて、戻ってきたときにはすでに処刑は執行されていた。
そのときの真理亜のショックは計り知れないものだ。
心が潰れかけ、なにもかもを壊してしまいたいほどの黒い衝動を抱えた。
同時に強い孤独感。
まるで真冬の真っ暗な無人駅で、たったひとり取り残されたような寂寞の思い。
だがそれを押し殺し、真実を暴くために奔走してきた。
「そういえばさ。さっき聞いたんだけど……サオトメさんが亡くなったんだって?」
「……あぁ、アイツね。話してたら発狂して死んだ」
「そう……」
サオトメに対して、真理亜は許せない気持ちがあった。
咄嗟に出た嘘とはいえ、譲治を貶めようとしたのは以ての外だと。
しかし、主犯5人と比べればまだ更生の余地はあった。
懺悔をして欲しかったのだが、死んでしまったのならばもうなにも言えない。
少なくとも被害者である譲治がそれ以上なにも言うことがないのであれば、自分からそれ以上言うことはできないと。
「それにしても、畑中君。なんだか見違えたね」
「ん?」
「ホラ、その衣装とそのマスク。……フフフ、なんだかカッコいいよ」
「そ、そうか。……でも悲しいことにな、このマスクをつけてないと俺は死んでしまうんだよ」
「え……?」
「嘘だよ。ただ、涙が止まらなくなる。後遺症なのかどうなのかはわからないが、ずっと涙が出続けるんだ。この面頬はそれを抑えてくれる」
「そ、そうなんだ……ビックリさせないでよ」
「悪い……あ、そういやアンタ確か暗殺者クラスだったよな。うん、格好がまさにそれっぽい」
ぴっちりとしたボディースーツゆえに、身体のラインが浮き彫りになる。
胸の下半分が露出しており、そこだけきめ細やかな肌が美しく映える。
そして暗殺用の剣や暗器などを装備しているので、一見映画に出てきそうな女エージェントにすら見えるが。
「……────その、畑中君。あんまりジロジロ見られるのは……その。ちょっと恥ずかしい」
自分の身体を抱き込むようにして恥ずかしそうに身を縮こませる真理亜、そして表情を変えないまま視線を下に向ける譲治。
しばらくふたりは黙ったままこの部屋にいた。
特に居辛さは感じず、カンテラの火が静かに部屋の中を薄く照らしている。
真理亜にとっては至福だった。
ようやくこうして面と向かって話すことができたのだから。
だが、相変わらず譲治の心は読めないでいた。
以前のときより、あまり笑わない。
リアクションはあれど、あの明るさが完全に消え失せている。
あれほどの悲劇に見舞われたので是非もないとは思うが、それはある違和感とともに疑問となって膨れ上がった。
(ボクはあらゆる情報網使って彼を探していた。暗殺者にとって情報はとても貴重だからね。情報網はそれこそこの世界の裏社会にも伸びるくらいの規模だ。なのに……)
真理亜の頬に一筋の汗が流れ落ちる。
(そのあらゆる情報網に畑中君の存在は引っかからなかった。────彼は今までどこにいたんだ? ひとりで生きてきたとは思えない。それと、彼のステータスには部分的なノイズがかかって読めなくしてある。ボクの情報看破のスキルでも突破できない妨害なんて……彼のレベルじゃ到底無理なハズ)
────畑中君、君はここまでどうやって生きてこられたの?
本当ならばそれを問いたいのだが、真理亜は言えなかった。
それを聞くのはもしかしてタブーではないかと、心がそう訴えかけてきたからだ。
気がつけば窓に雨粒が勢いよくぶつかってきている。
雷が鳴り、部屋にも閃光が走った。
「大久保」
「あ、は、はい」
「そう言えばもう任務は終わったのか?」
「う、うん。今日はこれでおしまい」
「……俺が言うのもなんだが、ゆっくりしていけ」
「あ、ありがとう」
音楽プレーヤーからイヤホンを引っこ抜くと、一気に音楽が部屋中に響き渡る。
かの名曲『Singin' In The Rain』だ。
鼻歌で合わせながら、譲治は窓の外を見る。
真理亜は彼にそっと近づき、傍でその音楽を聴いていた。