怒れる者、覚める者。
異世界スナック、何処に行く?このまま厨二描写でバトルになるのか!?
不快や憤り、といった負の感情について、ビスケットは無知であった。
【連結思考体】の付属ユニットである自分にとって、人間と同様の情動反応が発生する事自体、何故そうなるのかは理解していなかった。
監視カメラや記録用収録機材に余計な負荷を与えても意味はない。自分とて幾ら高性能にせよ、最速で最優先を処理する為に感情を交える必要性は無いのだ。
だが、もしも【連結思考体】が自分に《人間と同じ情動を以て取り組む》事を期待していたのなら、全力を以て挑むのみ。
……では、思考の速度を……臨時戦闘体制に変更。
ビスケットはそう結論付け、思考回路の外部対応端子をカットオフ。全機能を情報処理へと振り分けた。
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その瞬間から、一切の音の無い空間にビスケットは居た。それこそが処理速度全開時の【連結思考体】外部探査ユニットの実力である。
可視光線によって見える周囲の状況は、完全に停止していた。ゆっくりと動く等という生易しい次元では無い。傍らに居るノジャの毛髪は宙に舞い上がったまま、揺るぐ事無く顔の前に漂っている。
(……怒りとは、生物学的に脳内興奮物質が分泌され、闘う準備の為に身体の血流を促された状態です。つまり、そうした分泌行動が行われないガイノイドには、全く不必要の情動の筈……)
ビスケットは停止した世界の只中で、更に分析演算を続ける。
(……しかし、目の前に展開している状況が……私の感情回路を著しく過熱させています。それは何故でしょう)
通常時は休眠状態の全方位センシング機能をこの時は全開にし、可視光線以外の様々な情報をも貧欲に収集。怒濤の勢いで押し寄せる情報の波を軽く往なして処理しつつ、現在のノジャとハルカが置かれた状態を分析する。
(ノジャ様は後方に位置して脅威対象からは離れています。問題はむしろハルカ様の方ですね。目の前に現れた正体不明の不規則に動く触腕が、何時ハルカ様を捉えて亡き者にするか……いえ、逆にこう考えたらどうでしょう。何故、ハルカ様が亡き者と為る事に喪失感を持つのか、と)
センシング機能から流れ込む情報を処理し切り、余剰分となった演算回路も総動員し、自らの感情回路が陥った不明瞭な領域を解析する。
……そして、ビスケットは一つの結論へと達する。
(……嗚呼、そうだったのですね。私は……定命の存在ではないからこそ、短く瞬くような……儚い命を燃やす皆様との邂逅が、何よりも大切なのです!)
ビスケットはそう判断し、改めてハルカを見る。
大きく開いた穴の縁で、身を強張らせながらこちらを見つめている。その表情は不安と恐怖を色濃く表しては居たが、しかしその眼は強い意思を持って何かを訴えている。
停止した最中にも関わらず、そんな彼女が発する言動をビスケットは想像し、苦笑いしてしまう。きっとハルカはこんな状況でもこう言うだろう。
『わ、私は大丈夫!!とにかくみんなは先に逃げて!!』……と。
(何を仰有いますか!ハルカ様は私の保護監督下に在るべき状態なのですよ?それを……全く……だからこそ!……放っておけないではありませんか!!)
ビスケットは生まれて初めて、荒ぶる情動に身を委ねた。それは自らに課せられていた様々な権利的制約を全て破棄し、本来の存在理由をも揺るがしかねない程の……激しい衝動へと繋がっていく。
【……現状管理者権限を用いて、只今から外部探査ユニットは自己及び其に類する思考体全てを庇護する為、全兵装完全フルオープン。尚、自己保存機能は最小限度、庇護対象保護を最優先。】
ビスケットの感情回路が最過熱し、量子電脳がフルブースト状態になりながら……停止していた世界がおもむろに動き出した。
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「……わ、私は大丈夫だか……あ、あれ?」
ハルカは気丈にそう叫び、とにかくやって来た面々に此処から撤退して欲しかったのであるが……言葉は宙に浮き、そして戸惑いを隠すことが出来なかった。
つい先刻まで居た筈のビスケットの姿が見えなくなったかと思ったら、何の前触れもなくその場所に黒く四角い物体が宙に浮いて留まっているのである。
その塊は宙に浮いたまま、ゆっくりと回転しながら前進し、
『……ハルカ様、驚かせて申し訳御座いません。ビスケットこと【連結思考体】外部探査ユニットが、速やかに脅威を排除致します』
いつもより更に抑揚を欠いた、如何にもな口調で意思伝達をするビスケットだったが、その意思は明らかに憤怒へと傾いているのであろう。
『……ハルカ様、伏せて眼を閉じてください。【殲滅行動】開始。不足分のエネルギーをワームホーム経由にて航宙艦から補充。スカラー干渉波、照射開始……』
ハルカは言われるままにしゃがんで頭を手で覆い、音だけで判断しようとしたのだが……それは叶わなかった。
猛烈な高熱と予想を上回る強大なエネルギーが直ぐ傍に発露し、意識を刈り取られそうになった瞬間、何者かがハルカの後ろから覆い被さり護ってくれたのだ。
『……中断。……白馬の王子様、次からは一声掛けてから現れてくれませんか?危うく壁ごと蒸発させてしまう所でしたよ?』
「……それは済まないね。次からは予約の電話を入れてから、タキシードで入場するとしようか?」
ビスケットの強烈な一撃が放たれる寸前に、壁を蹴ってハルカの元へと飛び込んだキタカワは、そう言いながらも悪びれる様子も無く、ハルカの肩を抱えながらゆっくりと立ち上がった。
さて、作者が悩んだ結果は果たして……次回をお楽しみに!!




