アミラリア、再び。
新年明けまして以下略。アミラリアさん、意味深な行動で後輩クンを惑わせます。
……フンフンフフ~ン♪
(……鼻唄だ……アミラリアさん、今日も絶好調だな……)
同僚で後輩のフンボルトの視線に気付く事もなく、自分の研究に没頭するその姿は……まぁ、ハッキリ言ってしまえば……こ汚かった。
水色の貫頭衣と白いズボンはずーっと着たまんまだし、ダークブラウンの一纏めにした長い髪はボサボサと所々で飛び出ている上に、真っ白な肌も目の下の盛大な隈のお陰で台無しなのだけど……
「……よしっ!!終わった!!……フンボルト君!!……私、ちょっと《リュウスイ》浴びてくるわっ!!」
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がり、アミラリアは机の上に乱雑に散らかっていた実験データや検証記録をさっさとかき集め、【承認待ち】と書かれた箱の中に束にして放り込むと、彼の返事を聞く事もなくスタスタ歩いて研究室から出ていこうとして……
「……あ、そーだ!!フンボルト君!……この後付き合わない?」
……扉から顔だけ出しながらそれだけ言うと、彼の返事も待たずに出て行ってしまった。
(……アミラリアさんにそう言われたら、断れる筈ないじゃないですか……)
言われた本人は、彼女の性格と普段の言動から、自分に対する感情が仕事の先輩後輩以上の感覚では無い事が判り切っていたので、一先ず彼女が《リュウスイ》から戻るまでに仕事を終わらせようと決めたのだった。
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彼女達、《宮廷魔導師》は、旧くから存在する様々な【魔導】を組み合わせて、使途に合わせた新しい術式を編み出して、研究を重ねて改善研鑽するのが仕事である。
……例えばアミラリアが魔力感知の魔導を研究していたとして、その魔力感知の精度が著しく低い数値にも反応するとしたら、
……それは年少者等の初期状態の【魔導適性】を鑑定するのに、正にうってつけだろう。そうした様々な研究が彼等の使命なのだ。
……で、それはさておき、アミラリアは廊下を進み、【浄】と一文字だけ書かれた扉を開けて中に進み、更にその先で赤と青に塗り分けられた二枚の扉の赤い方を開けて、アミラリアは中に入るや否や……
「あああああああぁ~っ!!終わった終わった終わったよぉ~っ!!」
と、絶叫しながらポンポンと着衣を脱衣籠へと放り込み、あっと言う間に全裸となって、そのまま室内の仕切られた区画の一つに入る。
少しだけ肌寒さを感じながら、スノコを敷き詰めた区画の、コの字型の間仕切りへと入ると目隠しの扉を閉めてから、
「……【日向の温もり火竜の吐息……】で……【地表に注ぎし雨粒はやがて海から雲になる】……っと!!アチチチッ!!」
声高に叫びながら壁に設置された噴出孔に顔を向けたのだが、そこから流れ出した温水の熱さに慌てて身を離しながら術式を緩和し、恐る恐る手を流水に当てて温度を確かめてから身を委ねた。
この設備は、ある程度の能力を持った魔導師専用の簡易シャワーのような装置である。構造は単純で、ジョウロに細長い管を付けて真下の集水孔と繋げておき、術式で加熱させた管に集水孔下のタンクに溜めた水を逆流させてジョウロに戻し、そこから流して身体を清め済ませたら、集水孔の切り替えを手動で行い、身体を洗った水を下水道に流す……といった構造である。
使用の度に魔導印式を用いなければならない面倒な物なのだが、年頃のアリタリアを筆頭に「何日も閉じ込められて湯編みも出来ないなんて耐えられません!」と悲痛な声が上がり、結果として責任者のゴルダレオスが「こんな感じの物を使えばいいんじゃない?」とアイデアを出してこの設備が整えられた。
(……それにしても王様って不思議なヒトだよね……魔導はからっきしなのに、まるで熟練の魔導師みたいに誰も思い付かない発想でこんなもの立案しちゃうんだから……)
適温のシャワーを浴びつつ、自前の薬草入り肌擦りで首の回りと脇の下を擦りつつ、自分の知りうる限り《最も風変わりな王様》のゴルダレオスの事を思い出してみる……が、不思議な事に調査で訪れた【まほろば】の扉の向こう側で何があったのか、彼女の記憶の中からはスッポリと抜け落ちているのである。
調査の為に踏み入れた【まほろば】の店内で何故か散々飲んで酔っ払い、おまけにその時、王様と居合わせたティティアと言う名の自由民に送られて戻って来たようで、その事を思い出す度に大変な無礼をしたと後悔しきりなのだが、辞職覚悟で詫びに行くと「え?別に過ぎた事なんだから気にしないでいいよ?それよりも、また一緒に行ってみない?……でもお忍びってなるとアミラリア君の立場が微妙かぁ……あ!そーか!アミラリア君は【追加調査】の名目で【まほろば】に行けばいいか!」と、全く気にしていないようだった。
「……ま、いかにもあの王様らしいよね、ホント!」
彼女は一言そう言ってクスリと笑ってから、濡れた身体を拭き清めて新しい衣服を纏い、そしてフンボルト君の待つ宮廷魔導師研究棟へと足早に戻った。
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……その姿は見違える程、とまではいかないが……フンボルトは先程までの彼女はと全く違う印象を抱き、その理由が彼女の纏った薫りにあると、即座に理解した。
長いダークブラウンの髪の毛は編み直されて、ほつれも僅かに留まり艶やかな輝きすら取り戻したかのようだったが、何よりも彼を捉えて離さないのは……甘く絡み付くような芳香だった。
《……これ、結構したのよねぇ♪いい香りでしょ?》
以前に一度だけ見せてくれた小瓶は、その量と同じ比重の金を対価にしないと手に入らないらしく、中身の香油からはキンモクセイの花とセージの葉を合わせたような素晴らしく甘い香りがした。
その香油を髪に漉き込んだ彼女自身から放たれる、蠱惑的な何かも加味されているのだろうか……湯編みを済ませたアミラリアが発する香気は、熟れ切った果実も顔負けの、蜜が滴る花のようだった。
「……あ、おかえりなさい!随分と早かったですね……」
「そりゃそうよ!何たって二週間振りの休前日なんだから……」
二人はそんな会話をしながら互いの提出書を見合せつつ、不備の無い事を確認して入れ替わり、彼女よりも手早く身支度を済ませたフンボルトを連れて、夕刻の城内から城の外へと向かう通路を……
「あ、あれ?アミラリアさん、そっちはゴルダレオス王のいらっしゃる……」
「ん?……フフ♪いーから付いてきて……ね?」
……通過しながら、アミラリアはフンボルトの前を進みつつ、後ろを振り返り悪戯っぽく微笑んでから、急に冷静な表情になって角を曲がり、ゴルダレオス王の居住区域を護る近衛兵の前で立ち止まる。
「……ここから先は許可証の無い方は進めません」
「……【同時多発転移門】事案の検証及び調査の為に赴きました。ゴルダレオス王はいらっしゃいますか?」
「いえ、只今の時間は現場にはいらっしゃいません。……もしかすると向こうで鉢合わせするかもしれませんが、ですがね?」
「そうですか……これ、許可証です」
「……確かに。……それではアミラリア様、調査の為に区域へと入る事を許可します」
フンボルトは二人のやり取りを眺めながら、これから何処に行って何をするのか全く見当も付かなかった。しかし、会話の中に【同時多発転移門】の単語が有った為、王に直接報告をするのだろうか?と思ったのだが、彼女が無言で開いた扉の先に、見た事もない奇っ怪な物体が現れた為に、彼の思考は停止した。
それは、衝撃的な程にどぎついピンク色の扉、そしてその脇に虫の羽音に良く似た音を立てながら光る奇妙な看板。扉の前には均一に並んだ見た事も無い字を表した足拭きマットの組み合わせ。そして……その看板にはマットと同じような言語の文言が記されていたのだが……最も驚愕したのは、彼はその字を知らぬ筈なのに、その字が読める、と言うことであった。
「な、なんだこれ……い、いせかい……すなっく?」
フンボルトは戸惑いながら必死に眼で追う文言には、こう記してあった。
異世界スナック【ま・ほ・ろ・ば♪】
……さて、彼はどう感じたのやら?そんな次回へと続きます!




