酒に合うツマミ
振り返って見ると、追っ手はまだ居るようだった。
……しくじったことは判っているが、やはりあそこで引き返すべきだったのかもしれない。ゴブリン共の巣窟を身を隠して通ろうとしたのは良かったが、出口付近にたむろしていた連中に気付かれたのは失敗だった……。
だが、苗床として扱われていた女が絶命しながら産み落とした幼体に、思わず踵を落としてしまったのは生理的な嫌悪感だけだとは言えないが……。
手練れのゴブリン・スカウトなのか距離は詰めずに確実に追尾して来ている。もし相手が単独だったなら待ち伏せして倒すのも手だが、今回は確実に斥候の筈だ。乱戦で死にたくないが、死を免れても苗床扱いならば……死んだ方がまだマシ。
……余計なことを考えてしまったからか、背後の気配にギャウガウと叫び合う雑兵の騒ぎが聞こえたような気がする。
……つまり、スカウトが追尾する必要を感じなくなった……逃がす距離ではないと決め付けたのか、私が選んだ逃げ道が行き止まりなのか……詰みの気配が濃厚に漂っていく……
……と、目の前に洞窟特有の小部屋状の場が現れて、袋小路と化していた。つまり……行き止まり、ということだ。
「そりゃ……スカウトもやる気無くなるわよね……って、何これ……!?」
迷宮と化した洞窟の奥に扉が二つ……なのだけど、一つは典型的な分厚そうな木の扉……で、もう一つの方は……
……何の材質か判らないけど、目にも鮮やかなどぎついピンク色の扉!! それに扉の上の看板にでかでかと【スナック~ま・ほ・ろ・ば・♪~】と書いてあるし! おまけにどんな仕掛けか知らないけど字の回りがクルクルピカピカと光ってる!! 怪しい妖しい超いかがわしい!!! 嘘臭い!!!
……ギャウガウ……グゥ……、と背後から追尾してきたゴブリンの集団が直ぐ其処まで迫って来ているらしく、奴等の声がハッキリと聞こえてきた。詰んだか……でも、せめてこの扉のどちらかに活路を見出だせば……、
……ピンク色の扉……は、真新しいし、何より場違い感も甚だしいぞ……おまけに御丁寧に足拭きマットが敷かれていて【いらっしゃいませ!】と書いてある……変だ、罠だ、絶対に間違い確定だ!! ……でも、隣の如何にも普通の扉の方は……ドアノブには細かい傷も見えるし、扉の下には重い物を引き摺ったような痕が残っている……其れが何かは考えたくはないな……。
「ギャウ!? ガギャギギャ!!」「フグググゥ……!!」
背後から忍び寄ってきたゴブリン共が袋小路の端まで到着し、退路は完全に絶たれていた。まぁ、一本道なのだから当たり前だが……命を賭ける戦いの火蓋が……この二択なの!? 冗談でしょ~ッ!?
「もぅ……どうにでもなれっ!! 先に居るのがドラゴンだろうが旧支配者だろうが知ったこっちゃないわッ!!」
私は破れかぶれになり、木の扉に向かって走り出そうとしたのだけど……変な方の足拭きマットを踏んづけてしまったようで……身体が勝手に動くっ!? 身体を捻ってドアノブ掴んでるッ!? いやいやいやいや無いわ無い無いこんなの有り得ないから~ッ!?
……ガチャ、チリリリリン……。
「うおおおぉ~!! 客じゃお客じゃお客様なのじゃっ!! いらっしゃいませなのじゃ!!」
真っ暗な扉の奥に引き込まれるように身体が滑り込んだ後、一瞬だけ落下するような浮遊感を感じたけれど、来訪者を告げる鈴の音色が鳴り響く中、気がつけば明るく静かな空間に居た……ただ、目の前に現れた騒々しい幼女が飛び回りながら私を出迎えつつ、手にした白い布を差し出してくれる。
「これはおしぼりなのじゃ!! 気さくな気配りの現れなのじゃ!!」
……最後は明らかに自分で言うことじゃないでしょ? 私はそう思いつつ、ちゃっかりおしぼりを受け取っていたんだけど……熱うぅっ!! 何これ熱々じゃないのっ!? って驚きはしたけれど……血の気が退いて冷たくなっていた指先がじんわりとほぐれていき、逆に熱さが心地好くて……
「……さて、一杯目はビールと相場は決まっておる! ……つまり、これが【トリアエむぎゅっ!?」
「……それは言わせないからね? ……ココのお勧めの一杯目はビールなんで、飲んでみて合わなかったら違うのに変えるから……まぁ飲んでみてくださいな」
何故か幼女の口を塞ぎながら、厨房から出てきた女性(幼女と同じ黒髪だけど結構グラマーなヒト)はそう言うと、白い泡に被われた黄金色の液体が入ったグラスを手渡してくれる。
「……ぷふぁ!! ハルカ! 口を塞ぐな!! 苦しいじゃろうが!」
言葉を遮られた事に腹を立てながらその幼女は彼女に訴えるが、言われている本人は全く悪びれる素振りも見せずに、黙ってサッサと厨房へと戻っていった。
……飲まなきゃ帰してくれそうに無いか? ……仕方ないので、私はその液体を飲んでみることにした。……のだが、
「…………っ!?こ、これ……キンッキンに冷えてるんだけど!?」
「そうじゃろうそうじゃろう!! これは冷たいから旨いんじゃ!」
隣の幼女がニヤニヤと笑いながら私が驚く様を見ているが、何故か彼女の手にもグラスが……いや、まぁ別に飲むのは構わない(※①)けど……
「ねぇ、あなた……ここのオーナーか誰かの娘さんなの?」
「……ぷふぁ~♪ 全く……このビールめが! こんなに冷えてしまうとは実にけしからん奴よのぅ! ……で、何じゃヒヨッ子?」
(※①)→この世界での飲酒に年齢制限は有りません。政治的戦略以外で制限を設けることに利点が少ない、取り締まるだけの効果が期待出来ない、祭事等しか酒を飲まない人も居る、と言った理由も考えられます。ちなみに現世での未成年者の飲酒を禁止している国は当然多いですが、その幅は16~21歳からとまちまちです。勿論我々の住む日本はお酒は20歳から!!
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
見たところ、身なりは上物で装身具も本物なのだろう、大きなピアスやリング(おまけに高価な魔石だ!)をつけた娘だが、目の前で当たり前のようにパカパカと酒を煽る姿は妙に様になっていて、一体何者なのかと気になって聞いてみたが、どうやら聞こえていなかったようだ……それにしても、このビールって何なんだ?
シードルのように泡立つ飲み物なのに、甘さの影も形もなくひたすらに苦味のみが際立つけれど……それが飲んだ後の爽快感を引き立たせ、渇いた喉を滑る快感は計り知れなくて……
「それじゃ、これはテンプレだけど鶏の唐揚げとフライドポテト……揚げ物だけど、食べられますか?」
先程の厨房から出てきた女性が持ってきたのは、聞けば鶏肉に下味を付けて粉を振った揚げ物と、同じく素揚げのイモの一種らしい……まだピチピチと音を立てるそれらは熱そうな湯気を上げていて、指で摘まめそうにもない……と、思っていたら躊躇する間もなくフォークが差し出されて手渡される。
……今更、酒に口をつけているのだから、毒の類いを疑うつもりはないけれど……ついさっきまで携帯食(堅く焼き締めた練りパン)程度しか口にしない迷宮探索から一転、程好い室温に冷えた飲み物、そして湯気を上げる出来立ての食べ物……そりゃ誰だって警戒しちゃうでしょ? ……私、悪くないよ……。
……と、思っていたら、例の娘が小振りなカラアゲとやらを手で掴むやヒョイと口許まで運び、カシュッ、と快音を立てながらかぶり付くとモニュモニュと噛み締め咀嚼し……、
「……くううううぅ~ッ♪ ハルカ!! やはりお主の揚げた唐揚げに間違いはないのぅ!! これがビールに合うのじゃ~♪」
旨い旨いとご満悦の幼女は、言いながらまたビールを流し込む……その仕草や様子は明らかに男性的で、(中身はオヤジか?)と言いたくなってしまう……。
……しかし、ここは一つ、呼ばれてみることにしよう……一瞬だけ(私以外毒が効かない体質……)とかが頭に過ったけれど……
「…………、……ッ!! ……はふっ……んぐ、…………うわぁ……これは危険だわ……」
噛み締めた後の軽やかな歯応えの先で待っていたのは、柔らかな肉を噛み千切った瞬間に出てくる肉汁の潤いと香ばしい香辛料の風味!
もむもむと噛み締める度に衣と肉と風味が混ざり合い、油で揚げてあることもあって程好く加熱された肉の弾力感が歯を押し退けるけれど、固過ぎることはなくて、直ぐに降参してくれる……でも、降参しちゃうのはコッチの方だけどね!
グビグビとビールと煽り、ぷふぁ~と一息付いてから、次のイモの揚げ物に向かい合う。コッチがこれなら……このイモだって……期待感が増すわよね?
「……あむっ、んむ……ほふっほふ…………、……、あふっ!! ……ん、何これ!? これがイモの揚げ物なの!?」
大抵の酒場や食べ物屋で提供される物は、べちゃっとしていて時には冷たかったりもする【旨い不味いが別れる典型】だけど、出来立てなのかこれはホント熱い位だし……いや、それよりもイモの種類のせいなの?
素揚げのイモのカリッとした感じはさっきの唐揚げ並みなのに、中身はホックリとしていて舌にまとわり付くみたい!それに振られた香辛料入りの塩も良い加減でイモの甘味を増してくれるみたいだし……、と思っていたら、よくよく見るとイモの中身が色違いで二種類有ることに気が付いた。
今さっきのは黄色い方だったけど、もう一つは白い種類みたい。味に違いが有るのかな?と一口ポイッと頬張ると……
……ッ!! 甘い!甘いよこれ!! でも、両方とも同じイモの種類なのかな? ……違うのかな? ……と、やはり目の前の幼女が素早く両方のイモを手に取り吟味して、厨房へと向き、
「ハルカッ!! イモに何か入れたのか!? 甘い奴があるぞ!? 甘藷なのか?」
「かんしょ?……あー、サツマイモ? 違うわよ~キタアカリとインカのめざめ……持ってくんの大変だったんだから……重いし……」
話を聞いていると、白い方が甘いキタアカリ、黄色い方がインカノメザメらしい……何のこっちゃ? と思ったらやっぱりイモの種類みたいだ。それにしても旨いイモの揚げ物だなぁ……それに両方とも舌触りやほっこり感とかが全然違うし……ん? 何だこれ。……良く見るとイモの入った紙を敷いたザルの横に添えられた二個の小皿に白と赤のクリームが入っていた。
「……あの、これってイモを浸けるんですか?」
「あっ! すいません言い忘れてましたね! ……ケチャップとマヨネーズですんで、浸けて食べ比べてみてください。気に入った方のお代わりお持ちしますよ?」
……イモに、二種類のソース!? 贅沢だなぁ……私は驚きながら、まずは白い方にイモを浸けて口へと運ぶ直前、チリリリリン……、と鈴が鳴る音がしたので振り向くと……
「おおおぉっ!! 次々ご来店なのじゃ!! ようこそなのじゃ!!」
目の前の幼女が素早く立ち上がり、バタバタと入り口の扉に向かって走り寄ったその時、扉が大きく開き、濃い青の衣服に身を包んだ女性が立っていた。
「……何なんですか……ここは……」
……でも、何だか不機嫌そうに眉を寄せてて腕組みしたまま仁王立ちしてるんですけどね。