別れと出会い
姉妹編完結です。いわゆるチェインストーリーって奴です。
「……あ、あれ?……ふぅ、元の場所に戻れたのか……」
ハルカは自分の身体がちゃんとあることに安堵し、扉を背にして寝室へと戻って来た事を姉妹の寝息で改めて確認した。
暗闇の中をゆっくり歩き、ベッドの上で眠る二人の安らかな寝息は規則正しく続き、さっきまでの阿鼻叫喚がまるで嘘のようだったが……
「……ハルカよ、早速じゃが……お主、【夢見の御守り】を持っておるじゃろ?」
「ふぁ!?なんでノジャそれを知ってるの?……うん、ちょっと待ってて……」
御守りとあって、鍵束に付けていたそれをポケットから取り出したハルカは、やや躊躇いながらも結局ノジャに手渡した。
「……ふむ、確かに……これじゃ。よしよし……たまにはキノコの奴も役に立つ事をするわいな……♪今度店に顔を出したら礼を言わぬとな……」
ノジャはそう呟きながら御守りを確認すると、ハルカの方を向いて口を開いた。
「……善は急げじゃ!二人が寝ているうちに……縁を繋げる儀式を執り行うんじゃ!!」
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……二人の姉妹は夢を見ていた。
実家の居間で、誰もいない中……両親の帰りを待っていた。
「……おねぇちゃん、おとうさんおかあさん、かえってこないね……」
「うん……いつ帰ってくるんだろう……」
呟きの後は、沈黙が続き二人は夢の中とは思えない時間の経過をただ待ち続けた。
……ガラガラガラ……、たったったったっ、
「……ただいま!明子!みね!ごめんね遅くなって!!」
引き戸を開けて居間へとやって来た割烹着姿の母親は、手にした買い物籠を台所へ運び込むと、二人に向かって詫びながら歩み寄ってきた。
「おかあさん!みね、おるすばんちゃんとしてたよ!!」
「おかえりなさい!お買い物してきてたの?」
「……そうよ!……ごめんね……心配かけて…………っ、……」
二人が近寄ると母親は手を広げて無言で彼女達を抱き締め、ぎゅっ、と力を籠める。まるで今生の別れと言わんばかりに……。
「……どうしたの?おかあさんへんだよ……?おなかいたいの?」
「……ふふふ、……痛くなんてないわよ?二人がキチンとお留守番してくれてたから嬉しくて……!」
みねの問い掛けに答えると、明子の頭を撫でながら、
「お母さん、明子がしっかりお姉さんしてくれてるから、心配なくお買い物してこれたわよ?ありがとね♪」
「へへへ……♪そんなこと……朝飯前だよ!!」
ふふふ、あはは、と笑い合いながら三人は居間で暫し過ごしてから、遅い昼食の準備を始める母親を手伝う為に居間のちゃぶ台を拭いたりし始めた。
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「……す、すごいごちそう……おかあさん、これどーしたのっ!!」
「配給……されたの?……でもお肉なんて……」
二人は並べられた御馳走の品々に興奮しながらも、その非現実的な品揃えに戸惑いを隠せなかった。
大きな白身魚の空揚げには茶色い野菜入りの餡がたっぷりと掛けられ、隣には牛肉が贅沢に使われた茶色いソースが掛かった見たこともない位の大きなオムライス、そして大根おろしのソースが掛かった丸い形のハンバーグ……。
戦争中で、卵だって貴重品の筈なのに、配給されることなんて滅多にない白いご飯を贅沢にもケチャップライスに使われた料理に……二人は困惑してしまっていた。
「気にしちゃダメよ?こんな時だからこそ!いつもは出来ない贅沢で気分を入れ換えなくっちゃね!!」
母親にそう宣言されてしまうと、二人は(そんなもんかな?)と妙に納得してしまい、やがて漂う芳香に我慢も出来なくなって……
「おねぇちゃん!!いただきますしよ!!」
「……そうね、お母さん、いただきます!!」
「はい♪いただきます!」
二人が手を合わせて声をあげて箸を持つと、嬉しそうに応じながら母親は各々に取り分けて和やかに食事が始まった。
「おいしいね!おねぇちゃん!!みね、こんなごちそうたべたことないよ!!」
「うん、うん……そうよね、とっても美味しいね……」
無邪気に喜びながら箸を進めるみねとは裏腹に、明子は(あれ?……こんな感じ……前にも有ったような気がするな……)と少しだけ戸惑っていたのだが、
「どうしたの?明子……お魚、骨が残ってたの?」
「ううん!何でもない!美味しいよとっても!!」
母親の言葉に思い直し、一時の気の迷いと忘れることにした。
「……ただいま!!おー、御馳走じゃないか!?」
居間の引き戸を開けて、眼鏡を掛けた男性が姿を見せると、二人の子供達は思わず立ち上がり、
「おとうさん!!おかえりなさいっ!!」
「えぇっ!?本当だ!!お父さん……おかえり!!」
「あら!?……あなた……帰ってきてくれたのっ!……ああぁ……」
「ただいま……心配掛けたな……すまん……」
母親と父親は抱き合いながらお互いの様子を確かめるように、暫くそのままだったが、やがて離れて食卓に着くと、
「おおぉ!!ドミグラスソースじゃないか!!凄いな……戦地じゃ滅多にお目にかかれなったからなぁ……」
「……そうでしょ?あなたが帰ってくるって聞いたから、奮発したんですからっ!!」
微笑みながらやり取りする姿を横目に、明子とみねはお盆と正月が一緒に来てもここまでは嬉しくなんてないな、と思って喜んでいた。
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……やがて時は過ぎ、また戦地に戻らなければならないと言う父親に抱き付き泣きじゃくるみねを宥めつつ、四人は布団を並べて寝ることにした。
明子とみねは布団に入ると溶けるように眠り込み、やがて夜中になって両親が示し合わせたかのように目覚めて居間へと無言で移動した。
「……ノジャさん、ありがとうございました……明子もみねも……お父さん子でしたから……」
「……気にするでない。妾の出来る事をしたまでじゃ……」
背の高い男性だった姿は闇の中で二つに別れ、傍らに大きな黒犬を従えた黒髪の幼女へと戻ったノジャがちゃぶ台を挟んで母親と対面になり座っていた。
「……今夜の記憶は二人の心中深くに刻み込まれ、やがて昇華するじゃろう。お主の思い出を糧に、父御の思い出を芯にして……二人は強く生きていけるやも知れぬ……じゃが、人は弱い生き物じゃ。さすればいずれ……心が乱れ千切れ欠ける時も来るかも知れぬ。そんな時に……」
ノジャは手にした封筒を差し出して母親に手渡した。
「……これは?」
戸惑う彼女に、ノジャは説明し、母親は涙を流しながら感謝します、と答えた。
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「あれっ?おとうさんがいないよ!!」
「本当だ……お母さん、お父さんは?」
「明子、みね……ごめんね……お父さん、緊急で戦地に呼び戻されたらしくて……朝早くに出てしまったのよ……」
泣きそうなみねを慰める明子に、母親は近付くと二人の手を取り、
「……これは、お父さんから……二人に【どんな事があっても二人を忘れない】って伝えて欲しいって、御守りを預かったのよ……」
そう言いながら、赤と青の御守り袋を二人に手渡して、
「明子、みね……この中には、《私の髪の毛》も入れてあるわ……いつでも、二人と一緒に……居るからね……」
「おかあさん……みね、いやぁよ……おわかれしゅるみたいで……やぁだよ!!」
「みね!お父さんは、きっと……帰ってくるから心配要らないよ!ねぇ?そうでしょお母さん?」
「……そうよ!……きっと、必ず帰ってくるわ!だから……みんなでしっかりしなきゃ……お父さんが心配しちゃうでしょ?みね……強い子だよね?」
「うっぐ……みねぇ……ちゅよいこ……しゅるぅ……!」
「……そ、そうよ……私だって……私だって……う、うわあああああぁっ!!」
「……明子っ!!……みね!…………本当に……約束してね……!!」
二人は判ってしまっていた。
見たこともない御馳走、突然の父親の帰郷、そして……曰く有りげな御守り袋……母親が疎開先での話題を問わない違和感は、小さなみねにすら僅かの時間でも、不要な配慮をさせまいとしていた母親の思い遣りなのだと。
……そして、それが……今生の別れを告げに来た母親の……最期に残したかった二人への愛情だ、と言う事を。
三人は泣いた。涙の限り泣き続けた。やがて涙が涸れ果てた時、三人は抱き合いながら互いを心配させまいと最高の笑顔を作り、そして……
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防空壕で目覚めた私は、叔父と町内会の方々に助け出された。
戦争は悲惨の一途を辿り、郷里に原爆が落とされたとの知らせの後、暫くして日本は敗戦を迎えた。
私達は戦後の混乱期を、姉が母親代わりとなって必死に生き抜いて来た。やがて時代は戦後を大きく跨ぎ越し、姉は調理に従事して生計を立てるようになったが、生涯結婚はしなかった。
私は成人し、平凡な家庭を持ち、夫と子供達と共に昭和の時代を謳歌していたのだが、病気の夫に先立たれて空虚な日を過ごすのかと思ったその時、娘の何気ない一言が私を強く揺り動かしたのだった。
「お母さん、料理上手だから……お店とかやったら繁盛するんじゃない?」
お店?そんなこと……考えたこともなかったけど……懐の御守り袋が、その時だけ熱く感じられたのが不思議だった。
防空壕から救出された時、姉が携えていた避難袋の中から出てきた御守り袋。中には木の板に読めない梵字みたいな物が書かれていて、束になった髪の毛が巻き付けられていた。
行方不明になった母親が唯一遺してくれた遺品なのだ、そう思って私達は各々を大切に持ち、母の分まで生きる決意をし、疎開先から戻った家の跡に残されていた、小指の先程の遺骨だけになっていた父親と対面した時も、幼い妹と私は泣かなかった。
そんな御守り袋に背中を押される気がしながら、私は小さなスナックを始めた。「ミラージュ」と言う名前には特に思い入れは無かったが、それなりに繁盛してくれたお陰で夫に先立たれた寂しさは紛らわされた。
……そして、時代は平成へと変わり、住宅地の傍らに有った店は忙しくもなく、しかし仕込んだ料理を捨てる程には暇でもなく……そんなある日、
「……あの、二人ですが……いいですか?」
店の入り口のカウベルが鳴り、来店を報せるとそこにはショートカットとロングの二人の娘さんが立っていた。
カウンターに座って店内を一瞥する二人は、やがて和やかに私の手料理を、そしてお酒を楽しみながら進めていき、気がつけば会計の時を迎えていた。
控え目な印象のショートカットの娘さんが恐縮しながら多目に払おうとする手を抑え、私は通常通りの会計をお願いした。そんな折、傍らの艶やかな黒髪を背中まで伸ばした娘さんが私に向かって、
「私、今夜は凄く楽しかったのじゃ!!また来てもよいか?みね!」
と、明かした筈の無い名前で呼び掛けて来たので、一瞬だけ固まってしまったけれど……聞き違いだったのだろう。
「えぇ!いつでもいらっしゃって構いませんよ?ノジャさん!!」
私が覚えたての名前でそう呼び掛けると、ニッコリと笑いながら手を振り帰っていった。
……店を畳もうと思っていたけれど、まだもう少しだけ……続けていこうと思った。まだ、スナックのママとして……。
……それにしても、あの二人……何処かで会ったような気がする……遠い、遠い昔に……。
この場をお借りしてキノコ様に感謝します。それでは次回幕間「ビスケットな日」をお楽しみに!!




