戦禍から
ちょっと固い話ですが、稲村某はこんな話も書きたいんです。
……寝苦しい夏の夜にも関わらず、二人は汗を流しながら草藪を掻き分け走り回り、必死になりながらやっとの思いで防空壕へと逃げ込んだ。
「みね!!もっと奥に逃げてっ!!」
「おねぇちゃんこわいよぅ!!こわいよぅ!ああああぁ~んっ!!」
明子は妹に叫びながら防空壕の奥へと促したが、真っ暗な壕を怖がる妹はその場にうずくまって泣くばかりだった。
明子とてまだ八つ、妹のみねに至っては四つになったばかり。二人とも疎開先の叔父の家で不安な日々を過ごしていたのだが、工業地帯への爆撃を終えた爆撃機が被弾の際に誘爆を避ける為、残った焼夷弾を全て投下していくことは度々あった。
その不運な爆撃が、疎開先の小さな地方都市の、叔父の家が有るこの町に行われるとは誰にも判る事ではない。
……ただ、慎重な性格の叔父は自宅の裏にある丘に、小さな洞窟がありそこを近隣の住民と共に補強の木材を足して簡易防空壕にしていた。それが二人を即座に焼死させるような事態からは遠避けてくれはしたのだが、
「きゃあああああ~ッ!!」
「おねぇちゃん!!くずれるようぅ!!」
……補強材が足りなかったのか、入り口の外壁がガラガラと崩れて塞いでしまい、二人は狭い洞窟の中に閉じ込められてしまったのだ……。
「おねぇちゃん……こわいよぅ……」
「みね!お姉ちゃんが付いてるから平気だよ!……平気だよぅ……」
涙ぐみながら抱き着くみねの頭を撫でながら、明子は不安な気持ちを押し殺しつつ、唯一提げて逃げてきた避難袋をまさぐったが、明かりになるような物は入っていなかった。
(お母さん……どうしよう、どうしよう……)
震える妹を抱きながら、明子は真っ暗な闇の中で焼夷弾の落下するシャラシャラという不快な音を聞きつつ意識を失った。
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「……おねぇちゃん!……明かりだよ!!」
「……ふぁああ……みね!……どうしたの!?助けが来たの!?」
明子は慌てて身を起こし、自分が洞窟の奥に置かれた材木の上に横たわって寝ていた事を知ったのだが、妹のみねの言葉を思い出して不安になった。
(明かり……?こんな真っ暗な中で明かりなんて……まさか、火が入ってきたの!?)
明子はみねの姿を探したが、妹の姿がぼんやりと青白い光に照らされて浮かび上がっているのを見て、鳥肌が立った。
「みね!何してるのっ!!……っ!?」
明子の視線の先には、光る【何か】に向きながら、みねがゆっくりと近付く姿が有り、その光る【何か】は洞窟の壁に知らぬうちに取り付けられた電飾看板だと判った。
(……どうして、こんな所に看板が……叔父さん、何も言ってなかったし……そうじゃない!ここ、電気なんて通ってないよ!?)
明子は得体の知れなさに戦慄し、背筋が凍りそうな思いがしたのだが……、
「おねぇちゃん!みね、よめるよ!……ま、ほ、ろ、ば!!まほろばだって!!」
キャッキャッと嬉しげな声をあげながら看板を読み上げていた妹は、不意に何かを見つけたのか声の調子が変わり、
「……ありぇ?こんなとこに、とびらがあるよ?……あけちゃおうかなぁ?」
「みね!危ないからやめなさいっ!爆弾があったらどうするの!?」
明子は不安からつい声を荒げてしまい、驚いた妹が伸ばしていた手でドアノブを掴んだ瞬間……
「おねぇちゃん!てがはなれないよぅ!!いやぁ!!うわああぁん!!」
「みねっ!!お姉ちゃんが助けるから早く離れて!!」
妹に飛び付いて握り締めた手を離そうと力を籠めたその時、明子の足がドアの前に有った敷物に載り、
「いやああああぁっ!!身体が動くッ!!」
「おねぇちゃんこわいよぅ!!」
……ガン、と扉が勝手に奥へと開き、自然と向こう側の暗がりへと吸い込まれた二人は落下する浮遊感を味わい、恐怖に固まる身体を必死に動かしながら明子は妹の小さな身体を必死に抱き抱えながら、母親の顔を思い出しつつ、我慢できずに涙を流して泣いていた……
……チリリリリリ、リン。
……ふわり、と柔らかく身体が地に着く不思議な感触と共に、涼しげなベルの音を耳にした明子は、何故か黒電話の呼び出し音だと思い、廊下の端から走って居間へ向かおうとしたその時、
「……いらっしゃいませ!って……女の子?」
柔らかく優しげな女性の声に正気を取り戻した明子は、抱き締めていた妹が動く気配で身体を起こして辺りを窺うと、そこは防空壕の洞窟ではなく明るく清潔な白い室内だった。
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【なんじゃ?今夜は随分と忙しい夜じゃのう!また来おったのじゃ!】
【あら?ちっちゃい子!しかも二人とも黒髪なんて珍しい……って、珍しくもないかな?】
ノジャの向かいに座っていたティティアは新しい来客を見て声を上げたが、目の前のノジャと厨房のハルカを交互に眺めた後、ズビッとビールを啜った。
【おぉ?さては妾の設置した扉に迷い込んだのじゃな?だがしかし、幼子を突き放す程に妾は情に薄い事はないぞよ?】
ノジャが言いながら近付くと、言葉が判らない明子とみねは不安な気持ちを露骨に顔に出し、ひしっと抱き合いながら一歩後ろに後退った。
「ノジャ、その子達怖がってるじゃん……平気だよ?コッチに来てお座りなさいな?ビスケット案内したげて!」
「了解しました。自立歩行出来るなら速やかに従って下さい。不可能な場合は即座に支援要請してください。可能ですか?」
「平坦な言葉!!ビスケット、柔らか~く話しなさいよ!」
「……こちらに来なさい、座りなさい、休みなさい」
……はぁ~、と溜め息を吐くハルカの様子を見ていた明子は、混乱していた頭が更に混乱していくのを感じながら、不意に空腹を覚えて顔が火照るのを自覚した。同時にみねが明子を見上げながら小声で「おなか、すいたね……」と呟いた。二人は朝に米が浮いているか怪しい薄さの芋粥を、二人で分け合って食べただけ。意識し出すと空腹に目眩がしそうだった。
「……んむぅ?お主らはハルカと同じ世界からやって来たのか?姿や言語が似ておるからのぅ」
「ノジャ、取り敢えずこの子達は私が面倒見るわよ?……アリタリアさん、ゴメンね!」
「うぅん!気にしないで?どーせ私は普通に飲めればそれでいいからさ?」
「ありがと!……ねぇ?あなた達、お名前は?」
ハルカはしゃがみ込み膝に手を付き、二人と目線を合わせながら静かに返答を待った。
「……め、明子って言います!……で、この子は妹のみねです!」
怖がりながらハルカに警戒心を解いた明子はしっかりと受け答えつつ面通しを行い、素行の良さを感じて安堵した。少なくとも……スナックの意味を理解して酒目当てで忍び込んできたとは思えなかった……から。
(……ノジャはともかく、どう見ても正真正銘の未成年にお酒は出したくないからなぁ)
「おねえさん向けの椅子、無いんだけど大丈夫かな?」
一人だけ言葉が通じるハルカの言葉に明子は申し訳なく思いつつ、妹の背がテーブルに届かないのをどうしたらよいか悩んでいたのだが……
「みねは、私の膝の上で……」「大丈夫!こっちに座りなよ?私も妹がいたから懐かしいわ~♪みねちゃん……こっちおいで?」
傍に座っていたティティアが、不意に流暢な日本語を話し出した(ノジャの呪符の効果)のでギョッとしてしまったが、流れるような金髪に空の色のような碧眼の彼女はそんな明子を見て、
「明子……ちゃんだっけ?……ここは【異世界スナック】って言って、どんな世界の人も一緒にご飯が食べられるとこなのよ?だから……怖がらなくていいからね?」
教え諭すように語りながら、手にしたお絞りで明子の顔と手を丁寧に拭いてから、新しい物と交換しみねのほっぺたを拭き、
「おおぉ!磨けば光るって感じね~!みねちゃん、幾つ?」
「(ぐにぐに)おねぇちゃん~くすぐったいよぉ~!きゃあ~♪……みね?よっつ!」
「よっつ!そっか……四歳かあ……うん!元気があって宜しい!」
一瞬、ティティアが言葉に詰まったのをハルカは複雑な想いで理解してしまう……みねは痩せて血色も悪く、明らかに栄養失調なのだろう。頭に被っていた頭巾や着ている服からは煙を浴びたような焦げ臭さが染み着いていたし、歴史に疎いハルカでも二人が何時の何処からやって来たのかは一目瞭然だった。
「……ハルカ、どうしたのじゃ?顔が怖いぞ?」
「うん……あの二人、戦争が有った頃の私の世界から来たみたい……」
「……戦争?……珍しくも無かろうに……」
「私の世界の戦争は……たぶん、こっちの世界の戦争とは間違いなく違う狂気だよ……南国のジャングルで飢えた兵隊さんが……仲間や地元の人を殺して食べたり……一瞬で何十万人が死んじゃう魔法みたいなバクダンを平気で敵の町に落としたり……」
「……現世には、禁忌はないのか?」
「……たぶん有るけど、大小関係なく戦争が始まると消えちゃうと思う……」
二人の様子を感じ取ったからかは判らないが、そんな重たい空気を打ち払ったのは意外にもビスケットだった。
「ご主人、そしてハルカ様、私ビスケットは適切な選択したいので許可を頂きます。はい了承いただけましたかそうですか。それではこちらのオレンジ果汁の酸味と甘味を分析しながら評価して配膳までお待ちください」
手にしたトレンチにいつの間に載せたグラスを明子とみねに手渡すと、ハルカを手招きして手短に自らの案を話す。
「……うん、それ有りかもね……判った。ノジャに後で聞いてみるよ」
それからはハルカの料理が次々と運ばれて来て、明子とみねは嬉しさよりも後ろめたさに表情を強張らせてしまった。
(……どうしよう、お金なんて……持ってないよ……)
……きゅるるるるぅ……ぎゅぐぐ……ぐぐぅ……
……憎ったらしい程のタイミングで明子の腹の虫が鳴き出し、みねがそんな困り果てた姉を見上げて泣きそうになった瞬間、ノジャが何かを言おうとしたのだが、
「……二人とも、お金……持ってないんでしょ?」
二人が最も警戒心を持たなかったハルカの口から出た言葉は、心臓に氷の杭を打ち込まれたかのように突き刺さったのだった。
ま、しばらくのお付き合いを……。




