新しいお客様
魚を切るって難しいです。指をしょっちゅう切ります。
(______連結思考体として_この事態をどのように観測するべきなのか?)
ここは宇宙のど真ん中、遮る物など見当たらない目眩む程の星の海。その星の海がゆっくりと広がっていく……ように見えたのは、その空間に現れた航宙船……いや、航宙艦が星々の光を反射しながら通過して行ったからである。
その巨大な航宙艦の中心部に、人為らざる存在が様々なセンサー類から送られてくる情報を一手に受け止めつつ、愁いを帯びた眼差しを艦内監視項目へと送っていた。
……と言いつつも、現実空間とは違った仮想空間上での事であり、実際には強制冷却装置に包まれた複数のモジュールの複合体で、その中心部に鎮座する思考体は、艦内から各所に指令を与える存在だった。
(______そもそも_この航宙艦内に通過する移動物が無いにも関わらず_あの扉は全ての物理法則を無視して現出した訳ですし)
その航宙艦の外観は、楕円形の構造物が細い管で連結されているせいで、三つのお団子が串に刺さっているようにしか見えなかった。
(______何か感情回路が著しく刺激された気がしますが、放置しましょう)
航宙艦の中央部に厳重管理されている区画の最奥に【連結思考体】は鎮座していました。ちなみに【連結思考体】は俗物的な呼称であり、正式な識別記号はNo.239314_moon_libido。
(______それでは探査ユニットを派遣して_この不明瞭なセルロース製の開閉部を調査致しましょう)
【連結思考体】はちょっぴりムキになって調査を開始しました。その理由は単純に扉が現出した際に、たまたま艦内観測機器のメンテナンスをしていて、画像データが残っていなかった事とは関係ありません、たぶん。
(きぃ~ッ!! 失礼千万!! 誰が曖昧な観測結果で満足するような稀代の低俗ダメ論理回路ですって~!! 信じられない!!!!)
【連結思考体】は暫くの間、感情回路に激しく電気パルスを往復させていましたが、次第に落ち着きを取り戻し、艦内の工作機器に設計図を送り、探査ユニットの製造を開始しました。
……と、いう感じで出来上がったのが……
故意か偶然かは知らないが、その探査ユニットの外観は仮想空間内での【連結思考体】と全く同じ外観で生産されたのでした。
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「おっ、今夜は魚を供するつもりかの?」
夕方になり、夜の営業に向けて仕込みをしていたハルカの脇から、ノジャが伸び上がりながら調理台のまな板に載った魚を見つけ、尋ねてくる。
「そーよ? これは……たぶんスズキ……の親戚かな? どちらかって言うとアカメに近いかなぁ」
私はそう言いながら、市場で買った魚の鱗を剥がしつつ、解体し始める。
「ハルカ、その短めの包丁で魚を切るのか?」
ノジャが出刃包丁を指差しながら聞いてくるけど、これは《切る》包丁じゃ、ないんだなぁ……。
「まぁ見てなさいって……」
頭をカマ(胸びれ周辺の骨付き肉)ごと外す為に両側面、上面と三回切れ込みを入れてから、眉間を二つに分ける為に兜割りにして、それから喉の下の結合部を切り外して頭を落として……市場で見た時(エラの鮮やかな紅い色が鮮度の目安!)はキチンと血抜きしてあったから、もしかしたら私達みたいな知識のある人が教えたのかも……。
ちなみに、この世界の料理はかなりない交ぜで……時折現世の料理を見かけて複雑な気持ちになるわ……嬉しいのが半分、ちょっぴり罪悪感みたいなのが半分。だってこの世界に古くからあった料理の文化を破壊してるんじゃないか? って思うと……申し訳ないような気がするから。
自分達は「美味しいし保存性も上がるからいいじゃん!」と思って教えたとしても、親から子にずーっと台所でお手伝いしながら受け継いできた文化としての【伝統的な料理】とかを、自分達の一方的な思い込みだけで異文化を無責任に押し付けて……そうした文化まで消してしまうとか、何となく間違ってる気もするのよね……。
「……ハルカ、何か考え事か?」
「う? ……あ、あれ! ゴメンねノジャ、何か言ってた?」
「いや、包丁持って固まっておったから……どうしたかの? と思うてのぅ」
テーブルの端に指を揃えて載せたまま、首を傾けて神妙な表情でノジャが見上げるけれど……コイツはこーゆー時の見た目だけはホントに可愛らしい容姿なのよね……。
「おお? まさか、我が美しさに……女の身空で目を奪われて戸惑うておるのか? ホホホ♪ 特別に愛でて慈しむ権利を……与えてやろうぞ?」
「もぅ! なーに言ってんのよ! ……おバカ……」
……いやいや、私は違いますから! 別に失恋して【男はもう懲り懲り!】みたいな感情になんてなったりしませんから!! ……たぶん。
「さ、さ~て!! サッサと解体を進めましょうか~っ!!」
ばつの悪い気持ちになって顔が熱くなってきたから……下を向いて魚に集中する振りして……でも、このお魚はちゃんと下処理されてて嬉しいなぁ♪
何も言わずに買っちゃったけど、鱗は取ってあるし、血抜きも丁寧で生きてるうちに脊髄断ちされてた。漁師さんの腕かな? 今度聞いてみようっと。
お尻の穴から包丁を頭側へと進めて内臓を……あ、ちっちゃいお魚出てきた。うーん、グロい!でもまだ形が残ってるよ、よし……これは塩振って一夜干しにして賄いかな?勿体無いじゃん、鮮度よさそうだし!
「ハルカ、そっちの子供魚も店で出すつもりか?」
「違うよ? これは明日の朝ご飯のおかずにって。商売には使わないわよ~」
内臓を出してすっからかんになった魚。頭を右にして腹側から尻尾、背中へとぐるりと包丁を入れて半身を外す。たまーに「料理が得意なんです!」とか言う芸能人の捌き方見てると……ギコギコぎしぎしとノコギリみたいに擦りながら魚を切ってて(うわ、ホントに得意なのかなぁ?)って思っちゃう。
包丁が切れないなら研げばいいんだし、テレビ局なら砥石位あるんじゃない?無かったら買ってこい!! って言っちゃう偉そうな芸能人が過去に居たら、探せば何処かに転がってそうだし。
……まぁ、私ならお皿の裏側でタッチアップ(※)しちゃうけどね。
三枚に卸した半身の片側を紙を敷いたお皿に載せて、もう片側は皮を剥こうとしたけれど……、
「ノジャ、あなた【お刺身】って食べたことある?」
「おぅ? オサシミか? 何じゃそりゃ! 妾は知らぬぞ?」
……あら? 長生きしてる割りに未経験もあるのね……って、睨むなよ心読むな!!
ちょっと意外だなぁ。ま、それならそれで食べ方あるし。ノジャの好みに合うといいけど。
(※)→タッチアップ、刃物の刃先をギザギザのノコギリ状に荒らして物の切断を容易にする行為。本来の研ぎとは根本的に違う。刃先を鈍らせて切れ味を更に悪くさせる弊害もあるが、慣れると十秒で出来る為ついついやってしまう。丁寧に研いだ包丁なら一般家庭レベルなら半月は問題ないのでは?
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そんなこんなであっと言う間に夕方になって、ノジャが扉に向かって呪文みたいなのを唱えると薄ぼんやりと光って……準備完了。
珍しくお酒に手を出さず、チョコンと静かに座って客待ちをするノジャが何かを言おうと口を開きかけた瞬間、
……チリリリリリ、リン。
扉が開いて顔を覗かせたお客様は、
「……ここの大気は生体呼吸に適してます、しかしそれは当然ですね」
……何だか、厄介そうな事を言ってるんだけど……?
切る事に慣れてくるのも少し怖いんですが。それではまた次回!




