ep.7 出会い頭
市場が栄える大通りから、外れたところに人通りの少ない道があった。そこは、二階建ての石造りの民家が多く立ち並んでいる。
人気がないのは、195番地の住民が生業である露店を開き、出払っているからだ。
静かな通りを悠然と歩くのは、ウサギ頭の人間――ベンジャミンだ。
ふいに立ち止まると、周りに人がいないかを確認する。
「……そろそろ、いいかな」
ウサギ頭に手を翳すと、柔らかな黄金色の光を放ちながら、糸のように解れ、ウサギの頭が消えた。
そこから、現れたのは、
「新鮮な空気…、うん、美味い」
そよ風に揺れる小麦畑のような金の髪は、毛先がくるりとした癖っ毛だ。暖かみのある琥珀色の瞳は、優しげな眼差しを携えていた。
ベンジャミンは、目一杯に空気を吸って満足そうに微笑む。
「さて…お腹もすいたことだし、どこか良いところはあるかな」
ここ数日、宿があるような大きな番地には行かず、ほとんど野宿だ。
食事は、満腹感の少ない携帯食でやり過ごしていた為、この日を何よりも楽しみにしていた。
前日の夜にここへやってきて、すぐに宿を取った。
部屋には、雲のようにふかふかしたベッド……これだけでも十分すぎたが、まともにシャワーを浴びたことに喜んだ。
市場通りの屋台を楽しみにして、今朝は腹一杯食べれるように食事は抜いてきた。準備は整いすぎている。
「今回もボテンダの焼串は、買い込まないといけないな…。夜は奮発してポルル牛のステーキにしよう」
今日一日のスケジュールを決めて、腹に収めるまだ見ぬ名物料理と高級牛を想像して、やんわりと微笑む。
「……――!」
ふと、どこからか人の怒号のような声が聞こえてきた。
喧嘩はよくあることだ。特に気にせず、ベンジャミンは市場通りへと向かう。
しかし、
「「ぉわ!」」
角を曲がろうとした瞬間、勢いよく飛び出してきた褐色肌の少年と衝突した。
その衝撃で、少年の持っていたアタッシュケースが手元から離れ、地面を滑る。
「いったたた……」
石畳の上に尻餅をついたベンジャミンは、思わず痛む腰に手を当てる。
派手に転んだ少年は、苦悶の表情を浮かべて四つん這いになっていた。
ベンジャミンは、膝を擦りむいた少年を見て、とっさに表情を変える。
「だ、大丈夫ですか?」
「っち…!よそ見してんじゃねーよ!」
舌打ちに、悪態までつかれてしまった。どちらかと言うと、少年の方がぶつかってきたのだが。
ベンジャミンは、「す、すいません」と気圧されて引き下がる。
すると、
「待てっつってんでしょうがああああ!ごらああああ!」
砂煙をあげて猛スピードでやってきたのは、鬼のような形相の黒髪の女だ。
「「ひぃっ!?」」
怒りに満ちた女を見て、少年とベンジャミンは情けない声を上げる。先程聞こえていた怒号の正体は、この人物だとすぐに分かった。
恐怖のあまりか、少年が弾かれたように立ち上がり、アタッシュケースを手早く拾い上げる。
「あ、ちょっと…!」
ただならぬ事態を察したベンジャミンは、少年を呼び止めたが、間に合わなかった。
少年は足が速いらしく、黒髪の女が到着する頃には、その姿は遠くにあった。
「はぁ…ッ!はぁ…!」
全速力で走り続けた女は、大きく肩を上下させている。おまけに闘牛のように息も荒い。
少年が視界から消えた後、冷めやらぬ怒りの眼差しが、ぎろり、と向けられた。
ベンジャミンは、思わず体を震わせる。
「……あん、た、さっきの、ガキんちょの…仲間?」
「い、いいえ…!ち、違います…!」
息も絶え絶えな女の問いかけに、ベンジャミンは首と手を全力で横に振った。
女は睨み続けるが、落ち着きを取り戻して、息を整える。
「そう…、疑ったりして悪かったわ。それじゃあ」
抑揚のない声で言うと、再びアタッシュケース泥棒の少年を追いかけようとする。
その時。
「あ、あの…!何か、あったんですか?」
ベンジャミンは、思わず呼び止めた。
少し苛立った表情だが、女が何かを見つけて、はたと様子を一変させる。
視線の先には、脇に転がったベンジャミンのアタッシュケースがあった。
「あんたも、運び屋なの?」
「え!?…ああ、はい…」
ベンジャミンは、聞き返されたことに気まずさを感じた。
その態度が気になったのか、女が、ぐいっと詰め寄ってくる。
「……あんた、私と同じキュルヴィ協会の運び屋よね?茶革のアタッシュケースなんて、ウチしか使ってないし」
「は、はい…そうです。僕もキュルヴィ協会の運び屋です…ね」
ぐいぐいと追求するように、女の顔が迫ってくる。
その度にベンジャミンの顔は、顔を左右に逸らし続けた。
(まずい…非常にまずい…この状況は……)
ベンジャミンは、内心焦燥感を募らせる。
協会内業績トップの『ベンジャミン=ラビットソン』の素顔を知るものは、協会長含むごく一部の人間だけ。
日頃から、非正規の依頼を計らずも独占している為か、キュルヴィ協会の運び屋らの不満は聞きたくなくても、よく耳にした。
素顔を隠しているのは、そんな運び屋たちから『横取り』という協会のご法度を守らせ、尚且つ、それを破ってまで奪取しようと企む運び屋たちから標的にされない為の自衛だ。
そして、何より――。
ようやく女が離れると、顎に手を当て考え込み始めた。その顔からして、相当深刻なようだ。
ベンジャミンは、どうにか話しかけようとした時だ。
いきなり、ふ、と女の口角が上がった。
「ちょうど良かったわ、手伝って欲しいことがあるの」
「………はい?」






