ep.6 一悶着
「うーん…、案外これもいけるわね」
ハインが、手に持っているのは、薄緑の多肉植物に甘辛なタレがかかった焼き串だ。『ボテンダ』という195番地の名物料理らしい。
当初の大刀のホルダーを買う目的は、路肩に並ぶ屋台に魅了され、すっかり忘れていた。
今だに興味が絶えない視線は、あちらこちらへと泳いでいく。
人の往来が激しい中で、ハインはよそ見をしつつも対向からやって来る人々を、ひらりひらりと躱した。
すると、
「…ってぇ」
「…………、」
背中に背負っていた大刀の鞘が、どうやら、すれ違いざまに大柄な男の脛を打ったようだ。
ハインは、気に止めず、そのまま通り過ぎようとした。
「おい!待ちな!」
「ん?」
だが、大柄な男が振り返りざまに、肩を力強く掴んできた。
周囲にいた人は、一瞬足を止め、近くの露店の店主らも、何やら不穏な空気を察したのか、視線が集まる。
ハインは、特に表情を変えることなく、男の手を軽く払いのける。
「なに?」
「女のくせに、んなでっけぇカタナ背負ってんじゃねぇ。おかげで、スネ、ぶつけちまっただろうが」
「………、」
ハインは、相手の出方を伺うように男を見た。すぐに人当たりの良い笑顔を浮かべる。
「気づかなかったわ、ごめんなさい」
「分かりゃあいいんだよ、そんじゃあな…ってそんな訳にいくかあ!」
早々に謝罪して男の機嫌が直りそうになった瞬間を狙って、その場を後にする。
が、男は更に引き止める。
「まだ何かあるの?私、忙しいんだけど」
「んなボテンダの焼串かっ食らって何言ってんだ!満喫してるだけだろうが!」
もくもくとボテンダの串を食べる呑気なハインに、男は怒りながら突っ込む。
周囲の人々は恐怖からか、輪のように広がっていた。
「なんか…物騒だな…」「大丈夫かよ…あの姉ちゃん…」と口々に心配しているようだが、誰かが間に入って事態を収めることまではしないようだ。
諌めるような周りの眼差しすら気にせず、男は「まあいい…。ん、」と呟き、ハインに何かを要求するように、大きくゴツゴツとした手の平を見せた。
ハインは怪訝そうな顔で、その手の平をしばらく見たあと、
「手相でも見ろって言うの…?私、占いはからっきしなんだけど」
「んな訳ねぇだろうが!」
大男は、青筋を立てて怒鳴る。
ハインは、意図を汲み取ることが面倒に感じて、投げやりに聞き返した。
「…じゃあ、なんなのよ」
「金だよ、カ・ネ!治療費をよこせっつってんだ!」
男の大声に、ハインはうるさそうに軽く首を窄めると「はい、どうぞ」と、ピン、と何かを指で弾く。
男の顔に飛んできて地面へと落ちたそれは、要求された金――金貨だ。
「これで恨みっこなしね、鞘が当たったことは謝るわ。ごめんなさい」
ハインは、先を急ごうと歩き始めた。
その時、事態を傍観していた野次馬の誰もが目を剥いた。
なぜなら、彼女の背後で男が大きな拳を振りかざしていたからだ――。
バシィッ!と拳がハインに直撃し、その衝撃で砂埃が舞い上がる。
「きゃああああぁああッ!」
どこかで、女の劈くような悲鳴が響き渡った。
それに続いて、「やりすぎだろ!」「誰か!人を呼べ!」と野次馬が声をあげる。
騒然した空気の中でも大柄な男は、さして気にしていない様子だ。
それよりも砂煙で見えないが、拳から伝わる確かな『手応え』を感じて不敵に笑う。
しかし、
「まだ…因縁つける気?」
「なっ…!?」
その砂煙が、どこからかやってきたそよ風に乗って流れる。
晴れた先に、女の品やかな手の平に受け止められた男の拳があった。
ハインは、ぷっ、と勢いよく完食し終えた串を口から飛ばす。
その眼差しは、前髪の影も相まって氷のように凍てつき、さながら刃のように鋭い。
一瞬、男が身じろぐ。まるで秋風にでも吹かれたような肌寒さを感じたのだろう。
ハインが纏う殺気にも似た『闘気』が、剽軽な空気を一変させる。
だが、男は生唾を飲み込むだけで、いまだ対峙し続けた。
「へっ、やるじゃねぇか。謝罪もいらねぇ、金もいらねぇ。ただ殴らせろよ、『運び屋』さんよぉ」
「白々しいわね。本当は、これが目的なんでしょ」
ハインは、片手に持ったアタッシュケースをちらつかせた。
人と衝突しない間合いを作っていたのにも関わらず、男が不自然に詰め寄り、わざと脛に鞘を当てに来たことに気づいていた。
見抜かれた男は、はっ、と軽く笑い飛ばすと、
「察しがいいなぁ。綺麗なお顔をぐちゃぐちゃにされたくなけりゃそれを寄越しな、運び屋さんよ」
「それは、聞けないお願いね」
「そうかい、それじゃあ…力づくで奪うぜぇ!」
男は叫ぶと、拳を受け止められた腕に力を込めた。
丸太のように太い腕の筋肉が、ボコッ!と盛り上がり、更に威圧感が増す。そのまま、ハインの細い手首を折ってやるついでに顔を殴ろうと押し返した。
が、
「治療費は先に渡したわよ」
ハインは、逃げもせず真っ向から男の拳を握り込む。
片足を前に出し、もう片足は後ろへと、全身で踏ん張りを利かせ、男と張り合ったのだ。
「!?」
男が、目を見開いた。
ズサッ、と少し後ろに下がったものの、手首どころかハインの体すら微動だにしない。
頭三つ分ほどの体格差があるにも関わらず、目の前の女はその出で立ちからは想像もできないほどの力で、男の力を相殺している。
いや、同格ではない。
「気ぃ抜いてると、死ぬわよ」
ハインは、男の力んだ拳を掴んだまま、地面に向けて軌道を外す。
男が体勢を崩して前に倒れ込んだところに、ハインは即座に両手で持ち直したアタッシュケースを、男の顔面めがけて振りかぶる。
ガンッ!と鈍い音をあげて、ケースの角が男の左頬に直撃した。
「っでぇ!」
「まっだまだ!」
アタッシュケースを振り回して一回転した体を更に半回転させ、細く長い脚を撓らせると、
「ぐふッ!」
右手から大柄な男の顎をめがけて回し蹴りを放った。
直撃した瞬間、男の下顎がズレたように見えたが構うことなく蹴り抜き、男の体は路肩へと吹き飛ぶ。
ガラガラ、と音を立てて樽や木箱に突っ込み、尻を空に向けて屈曲した体勢で倒れた。
男が飛んできた軌道上にいた野次馬たちは、体をこれでもかと反らせて回避したが、驚きからか誰も言葉を発さなかった。
「……ふぅー、一件落着かしら」
ハインは深呼吸をしながら、少しも汗をかいてない額を拭う。
誰かが徐ろに、パン…パンと手を叩く。それを皮切りに次々に広がり、一転して賞賛の拍手が響いた。
「姉ちゃん、すげぇな!」
「あっぱれだ!今の蹴りは強烈だったぜ!」
(やってしまった……)
賞賛の声の中で、ハインは、恥ずかしそうに笑いながら軽く会釈するが微妙な心境だ。
武装している運び屋は、協会の意向で一般人に危害を加えることを良しとしていない。
協会における『自衛』とは、あくまで命の危機に晒された時のみであり、どれだけ絡まれようが実力行使なしの解決を望んでいる。
なぜ、そこまで厳しく線引きがされているかは、彼女の戦闘力が全てを物語っていた。
(またジョージに叱られるわね……、修理費がなんだとか)
不要な出費を悪しきことだと糾弾するキュルヴィ協会のトップの顔を思い浮かべて、苦い顔をする。
と、ここで、違和感に気づいた。
アタッシュケースを持っていた右手が、えらく軽い。
「…へ?」
手を見ると、アタッシュケースの真鍮の取っ手『だけ』が、しっかりと握られている。
どうやら、男の顔面にアタッシュケースをぶつけた時に取っ手の金具に大きな負荷がかかり、回し蹴りを放とうと体を更に回転させた拍子に、完全に金具が外れ、どこかへと吹っ飛んでしまったようだ。
「う、嘘でしょ?」
見る見る内に、顔は青ざめて、湧き出た冷や汗が滝のように流れていく。だが、動揺している暇はない。
「と、とりあえず…探しに行かないと……」
気持ちを切り替えて、来た道に戻ろうとした。
その時、とん、と腰あたりに誰かとぶつかった。
身長的に子供のようで、ハインはとっさに目線を下へ向ける。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「あ、」
「……た、」
ハインとぶつかったのは、ボロ布のような服を着た褐色肌の少年だ。
いや、それよりも。ハインが、一音だけ呟いたのには理由がある。
その少年は、取っ手のない茶革のアタッシュケースを大事そうに抱えていた。
そして、ハインの手には、役立たずな真鍮の取っ手がある。
まるで運命の巡り合わせのように、欠損した二つがその場にはあったのだ。
ハインと少年は、時が止まったように見つめ合った。
が、
「ゃっべぇ!!」
少年が、焦った顔で弾かれたように逃げ出す。彼の方が、いち早く事態を理解したようだ。
アタッシュケースの持ち主が、この女であることを。
「ちょっと!」
ハインも慌てて、少年を追いかけた。
一方は、その小柄な体格で人波の間を糸を縫うように駆け抜け、もう一方は人ごみを掻き分けていく。
ハインも足の速さには自信があったが、その差は一向に縮まらない。
(さっきの奴の仲間なの…?アタッシュケース狙いなんて、なんでそんな…)
武装し、尚且つ戦闘力の高い運び屋の商売道具であるアタッシュケースを奪うなど、とても危険な行為だ。
ハインの頭には疑問が巡るが、今はとにかく――。
「返しなさい!」
人混みの先にいる褐色肌の少年が、少し振り返る。制止に答えてくれたのかと、ハインは思った。
だが、少年は、そこでほくそ笑んだ。
「やーい!お間抜け運び屋!捕まえてみろー!」
舌を伸ばし、小馬鹿にしたように下瞼を指で引っ張る。
その姿を見たハインの額に、ぴきっ、と青筋が浮き出たのは直後のことだった。






