ep.30 《ヨハネス》
102番地、東方に位置する別区画。
大規模な戦闘が起こる中、果敢にも避難誘導を続ける人々がいた。
率先して行う者の隣には、翼の生えた光の玉『光芒炉』が浮遊している。
「急げ!怪我人と子供を優先しろ!」
「みんな居住区に行くんだ!」
「落ち着いて、なるべく迅速に!」
逃げる人々に絶え間なく、避難誘導をする者が声を上げる。
だが、その内の一人に女が憔悴しきった顔で駆け寄ってきた。
「私の娘が見当たらないの!探しに行かせて!」
「待て!この先は危険だ!娘さんはこっちで探しておくから、あんたは先に居住区に避難するんだ!」
男に縋りつく女は嘆願して、来た道を戻ろうとする。男は力一杯、制止する。
これより先に進めば、いつイェロヴェルリの兵士が乗り込んでくるか分からない。今は、一人でも多く避難させることが優先された。
「状況は?」
『光芒炉』から、傍にいた一人の誘導員にヨハネスが声が聞こえた。
誘導員は、険しい表情を浮かべながら、『光芒炉』を見る。
「順調とは言えないな。何とか避難はできそうだが、見ての通りだ…。まだ多くの人が混乱している」
「わかった。そのまま続けて」
差し迫った状況である中、機械的な声色が続行を促す。だが、その直後。
「きゃああああ!」
どこからともなく悲鳴が聞こえた。避難していた者から、誘導に立ち会っている者まで一斉に振り返る。
それまで、一切居所が不明だったはずのイェロヴェルリの兵士たちの姿があった。のろのろとした足取りで、涎を垂らし、でくの坊のような間抜け面だ。しかし、そんな彼らの唯一の脅威はその手にしっかりと握られていた。で銃を構える。
「うわああああ!!」
「いやいやあああああ!」
目につくのは、重厚感のある鈍い光。構えられた銃を見て、まるで雷が落ちたかのように一気に恐怖が伝播する。人の波が、更に濁流のように押し寄せた。
「くそ!こんな時にッ!」
「みんな伏せろぉぉぉ!!」
押し流れそうになりながらも、その場に留まり続け、誘導員は悲鳴に負けじと声を張り上げた。
「きゃあっ!」
その中で人と衝突した小さな少女が、人波の中で倒れた。
大人たちの駆ける足が、巨大な槌のように見える。立ち上がることも出来ず、蹲ることでしか己の身を守れない。
「ぁ、あ…、」
混迷する人々に躊躇することなく、兵士たちは銃口を向けた。標的は多く、ノの字型の鉄に引っ掛けた指を引くだけで、誰かが倒れる。無情で、それだけに簡潔過ぎる。そんなことを考える思考すら、もう彼らには残されていない。
兵士たちが、引き金を引く。その瞬間、飛び出す弾丸よりも速く、何かが飛来した。
バララララッ!と銃口から火が噴き、あれだけの悲鳴を一瞬にして銃声が飲み込む。
誰もが、死を覚悟した。振り向くことすらできず、ただ走ることでしか逃げる術を知らない。誘導に当たっていた者までもが、目蓋を強く閉じた。
辺りは、人が消えたように静まり返る。
人の波の中で取り残されていた少女が、大粒の涙を流しながら意を決して目を開いた。
「ア……?」
隷属兵士は、猿のように首を傾げた。丹寧に銃撃したはずにも関わらず、人々は蹲って震えている。途絶えたと思っていた息が、怯えた声と共に聞こえる。
それだけではない。彼らの眼前には、人々を守るようにして、磨りガラスのように不透明で巨大なドームが現れていた。その大きさとは見合わない、小さな翼がある。巨大だが、以前の面影はあった。
『光芒炉方陣・墻壁座』
防御壁を形成する、『光芒炉』の造形魔術の一種――。
『墻壁座』の磨りガラスのような防御壁の外側――表面には、まるで水飴の中に放り込んだように、兵士たちがバラ撒いた銃弾がめり込んで、制止していた。
「助かったの、か…?」
痛みもなく、負傷もしていないと実感した誘導員の男が、『墻壁座』の中で見上げる。その声を皮切りに、住人達は唖然とした様子で辺りを見回し始めた。
「………、」
兵士たちは、何かの気配に気づき、空を見上げる。そこには防御壁の外で、薄いプレート状になった『光芒炉』の上に立つヨハネスが、上空から降りてきていた。
しばらくの間、微動だにせず、兵士たちは彼女を見つめる。だが、それは標的が『住民』から、『ヨハネス』に切り替わったに過ぎない。
兵士を見下ろすヨハネスに、彼らは銃口を向けた。
「あきらめて、」
ヨハネスがそう言うと、引き連れた数体の『光芒炉』の形状を変える。そこから紐状のような光が伸び、鞭のように兵士たちの手から容易く銃を払った。
銃を拾いに行こうとする前に、『光芒炉』から括弧状の光が兵士たちに向かって飛んできた。兵士に巻きつき、括弧状から完全な輪の形状に変化する。
『光芒炉方陣・帶座』
光を帯状に変化させ、鞭のように振るい、攻撃する。また射出することで、更に形状が輪っか状に変化し、その際は今のように捕縛することも可能だ。
「ぐぅ、あ、あ…!」
捕縛された兵士たちは身を捩り、何とか抵抗しようと銃が落ちた所まで這いつくばって動き出す。
それを見逃さなかったヨハネスは、『帶座』で更に銃を払いのけ、手の届かない位置にまで遠ざける。次に、彼らの両足を捕縛すると完全に自由を奪った。
「そこで、大人しくしていて。今のあなたたちを助ける方法を、私はしらない」
兵士たちは、呻くだけでその場から立ち上がることすら出来なくなった。
その頃、後ろで住人を守った『墻壁座』は、その形状を徐々に縮小させて元の形に戻る。
ようやく少しの平穏が訪れたことに気づいた人々は、ゆっくりと立ち上がった。
「ママ!」
蹲っていた小さな少女は、ようやく母の姿を見つけ、駆け寄る。
奇跡的な再会に涙を流して、親子は強く抱き締め合う。
ヨハネスは、そんな親子の姿を離れたところで静観していた。
「ありがとう!助かったよ!」
「…どういたしまして」
誘導員の男が駆け寄って礼を言うと、ヨハネスは親子から目を逸らして機械的に返答する。
すると、
「ヨハネスちゃん!」
聞き覚えのある声に、ヨハネスは振り返る。
そこには、ヘルに負ぶさったクリスティーナがいた。建物の屋上から軽やかな着地を決めて、ヘルの背中から降りると、クリスティーナはヨハネスに駆け寄る。
「クリスティーナ・シャルル、そっちは?」
「ヘルくんのおかげで、何とか片づいたわ」
擦り傷や所々煤汚れたクリスティーナは、笑顔で報告する。
それから、足元に目を向けると、そこにはヨハネスによって捕縛された兵士たちが転がっていた。クリスティーナは、驚いた様子で口元に手を宛がうと、
「あらっ!こんなところにも来ていたのね」
「まだ残党がいる」
「そうね、主犯のブクタスはまだ捕まえられていないみたいだし。クラウンとハインちゃんの方で、何か捕まえたかもしれないわね……」
「………、」
「ヨハネスちゃん?」
何かを考え込むような表情を見たクリスティーナは、声をかけた。
ヨハネスは、立っていたプレート状の『光芒炉』の上で、足を外に投げるように座った。すると、『光芒炉』の面積が少し広がり、空いたところにヘルが跪くようにして同乗した。
「避難がまだ終わってない。他のところにも行ってくる」
「あそこの彼らは平気なの?」
クリスティーナは、芋虫のように動く兵士を指さした。
「わたしが解除しない限りは、だいじょうぶ。あとは、任せる」
「あ、ちょっとー!」
クリスティーナの呼び止めも虚しく、ヨハネスはヘルを乗せた『光芒炉』と共に浮上していく。
見上げるクリスティーナは、早々にその場から離れていくヨハネス達を見て、困ったように息を吐いた。
「全く…、気分屋さんなんだから」
「そこの銃持った姉ちゃん!少し手伝ってくれ!」
残念そうに青空を見上げ続けていると、背後から男に声をかけられた。
「ええ!今行くわ!」
気づいたクリスティーナは、笑顔で答える。さっと気持ちを切り替えて、『ウルバン』を抱え直すと、次の作業に取り掛かる為に駆け寄った。






