ep.5 195番地
195番地のとある飯屋。
年季の入った木製のテーブルが数脚設けられ、左手にはカウンターテーブルがある。昼間は大衆食堂で、夜には酒場になるというここは、地元民から長らく愛されていた。
そんな顔馴染みが集まる中。
カウンターテーブルで齧歯類のように両頬を膨らませて、次々に料理を頬張る女がいた。
ごくり、と細い首が大きく膨張するほどの量を流し込む。
とんだ暴食ぶりに目を見張る周囲の客は、食べることを忘れて固唾を飲んだ。というより、この食いっぷりを目にして、ただ食欲が失せているようだ。
「うーん!美味しかった!」
暴食女・ハインは、幸せそうな笑みを浮かべ、樽のように膨れた腹を満足げに叩く。
少し経つと、樽っ腹はすっと引っ込んで程よく筋肉のついた腹になる。
ハインの隣の席にいた男は、その現象を目の当たりにして「ひっ…!?」と小さく悲鳴をあげて目を剥く。
積み上がった皿は、グラグラと不安定に揺れ、今にも崩れそうだ。
「女将さん、ごちそうさまでした!」
ハインは周囲の視線を気にせず立ち上がると、金貨数枚の勘定をテーブルに置いて、カウンターの向こうであんぐりとしている女店主に挨拶を済ませる。
足元にあるアタッシュケースを拾い上げ、軽い足取りで出入口へと向かうと、
「市場の屋台では、なに食べようかしら……」
そんな独り言を残して、店内を後にする。
健啖家を超越した食いっぷりに客らは、胸焼けを起こして顔を青ざめた。
※
前日の夜に、ハインは195番地へと到着した。
二日前に依頼で訪れた場所は、過ごしやすい気候だったが、ここは少し違うようだ。
憎たらしい程、陽射しが照りつける。降雨が少ないのか、空気は乾燥していて、鼻腔から気管支にかけて乾きを感じた。
砂漠らしい当然の陽気だ。空も、綺麗なほど真っ青で雲一つない。
ハインは、顔に腕を翳して、そんな空を見上げる。
そうしていると、突然、小鼻がひくついた。
「この匂いは……」
とっさに、その目は獲物を見つけた狼のように鋭くなる。
ザッ、と素早く振り返ると、その視線の先には、
「肉串!」
ある屋台では、串にぶつ切りの肉を突き刺して、ただ焼き、塩コショウで味つけをしたシンプルな一品を出していた。
喜びのあまり、ハインの瞳は星のように輝く。
その食いつきようには、肉串を売る店主も困惑した。
平静を取り戻して肉串を購入するハインの顔立ちを見て、「食い意地張ったべっぴんさんには足んねぇだろ」と店主は豪快に笑い飛ばすと、もう一本、肉串をおまけされた。
ハインは、仕事量の少なさなど忘れて更に上機嫌になった。
※
市場は、人でごった返しており、賑わっていた。
その道中に寄ったアクセサリーを取り扱っている露店の老婦人の店主から、
「ここはいつもそうなのよ。地元民以外にも他の番地からやってきた行商人や運び屋の人も足を運んでいるらしいから」
という話を聞いた。
確かに、現地民の一般的で涼し気な装いとは異なる服装の者も多く見かけた。
ハインは、老婦人の店主から聞いた武器装備の露店の情報を頼りに、そこへ向かう。
「あ、」
ほどなくして、ある露店前でその歩みを止めた。
目に止まったのは、腰より低いテーブルに陳列した、ドライフラワーで作られた花輪だ。
生花のような鮮やかさはないものの、ドライフラワー特有の褪せた色味は、どこかアンティークのような特別さがある。
しばらく、それを眺めていると、
「おねえさん!お花のねっくれす、どうですか!」
幼い少女の声がかかったと同時に、目の前に花輪を突きつけられた。
七〜八歳くらいの少女は緊張しているのか、その顔は怒っているようにも見える。
ハインは優しく微笑んで、少女と視線を合わせるようにしゃがみ込むと、
「綺麗ねー…。一つ、貰おうかな」
「ほんと!?かってくれるの!?」
少女が、目を丸くして驚く。
ハインは笑って、少女の手から花輪を受け取り、首にかけた。
ズボンのポケットから金貨を一枚取り出し、少女の手を取った。小さな手の平に、それを置いて優しく握り込ませる。
「ありがとう!べっぴんのおねえさん!」
「えっ?べ、べっぴんって……どこでそんな言葉を…?」
「おとうさんが、おんなのひとにはそういえば買ってくれるっていってた!」
「あはは……、商売上手なお父さんね」
思わず苦笑してしまうハインだったが、立ち上がって、
「ありがとう、素敵よ。このお花のネックレス」
そう微笑むと、なぜか少女は口をあんぐりと開けて、きらきらと目を輝かせた。
やがてハインが露店から離れた頃、その奥にある垂れ幕をくぐって、裏方で準備をしていた少女の母親が出てきた。
即座に少女は、母の元へと駆け寄り、抱きつく。
「おかあさん、きいてきいて!」
「えー?なぁに?」
「おひめさまが、おはなのネックレスかってくれたんだよ!」
その小さな手に握り締めていた一枚の金貨を、堂々と見せた。
露店の品にしては、あまりに高額な代金に少女の母が困惑したのは、その後すぐのことだった。






