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ハインリッヒの旅枕  作者: えくぼ えみ
第二部 『名もない花畑より。』
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ep.20 例え一人でも

 


 荷札の召喚作業をしていたクラウンの長く白い耳が、何かを察知したようにピンと立ち上がる。


 その直後、エントランス奥にある扉が、勢いよく開かれ、同時にクリスティーナが飛び出してきた。


 その場にいた全ての者が、一斉に視線をそこへと集中させる。


 受身を取り、跪いた体制になったクリスティーナにクラウンは声を張り上げる。


「クリスティーナさん!」


 クリスティーナはちらりとクラウンを見ると、再び飛び出してきた応接間を睨みつけた。


 煙幕にしては、明らかに沈み過ぎている。ゆるゆるした動作で大理石調の床を黒い煙が、部屋から()(つくば)ってきた。


 だが、そこから先。


「!?」


 まるで獲物を見つけたように黒煙は、強い気流を撒き散らし、一瞬にしてクリスティーナを横切る。


 狙う先は、エントランスホールにいる兵士達だ。


「な、なんだ?」


「う、わあああぁあああ!?」


 黒煙は、彼らを丸呑みにするように覆い尽くす。渦を巻く黒煙の中では、兵士たちの恐れた絶叫が(とどろ)いた。


「な、なによ、あれ…」


 呆然と眺めることしか出来ないハインは、狼狽えたように目を泳がし危険を感じ取って、無意識に後退(あとずさ)る。


 謎の現象が巻き起こるエントランスは、今や絢爛な宿屋の姿は跡形もない。そこに残されているのは、得体の知れない脅威と恐怖だけだ――。


「ともかくも、撤退よ。急いで、外へ!」


 異常事態とも言える状況下でもクリスティーナは、ハインらの(もと)へと駆け寄りながら、落ち着いて指示を出す。


 一刻も争う事態だ、どうやら猶予はないらしい。クラウンは、今だ荷札が詰まったアタッシュケースを閉じると人目のつかない場所へと蹴り飛ばす。


「た、助けてくれぇぇぇえ!」


 (ひる)んでいたハインは、その声で我に返った。反射的に、半歩足が前に出てしまったが、


「ハインさん」


 それを制止したのは、クラウンだ。少しでも動こうものなら、ハインの腕を掴む手に力を込める。


 腑に落ちないハインは、眉を下げて悔しげに唇を噛み締めた。


「…行きますよ」


「うん…、」


 彼の言葉が、決定打となった。もう手遅れだと何とか気持ちを飲み込んで、ハインは兵士達に背を向ける。


 もう一度、振り返ったら、きっと飛び込んでしまう。繋がっている以上、どちらかの意志には従わなければならない。


 そんな歯痒さと共に、ハインは外へと向う。


 その頃。ヨハネスは、まだその場から動くことはなく、並べられた木箱一つ一つに目配せをして、何かを探しているようだった。


「……あった」


 そう呟くヨハネスの足下には、のろのろと黒い影が迫る。


 それが彼女の靴先に触れようとする前に、ヘルはヨハネスを脇に抱えた。クリスティーナの指示に従って、出入り口へと走り出す。



 ※



 イェロヴェルリ軍、第三十一分隊隊長。少佐という士官に就くブクタスには、長年に渡る切願がある。


 それは、国から出る、という単純な願いだ。


 十三年前、草木や花が咲き誇るほどに緑豊かで、どんな苗も健やかなに育つ豊作の地から、イェロヴェルリの国土は不毛の地へと変わった。


 原因は、(わか)っている。だが、その内容は機密事項とされ、国民はその真実を知らない。知らされているのは、今や国を統治する軍部のみ。


 当初、イェロヴェルリには莫大な財政資金があると思っていた。しかし、不毛の地と化した国を建て直すのに、それら全てを充ててしまったが為に、情勢は一変。国全体が不況へと(おちい)ると、官吏(かんし)ですら以前の生活を送ることもままならない状態へと転落したのだ。


 痩せた家畜から取れる肉は少なく、主食であるパンは生産者が小麦を上回るほどの添加物で嵩増(かさま)ししているせいか、味気がなく、喉に引っかかりを覚えるほどぱさついている。


 酒どころか娼婦すらも今や官吏の給金以上の破格の金額で売買されている。支え合って慎ましく暮らしていた国民は、今や関門の前に押しかけては軍人を罵倒する日々。


 不満という巨大な時限爆弾を抱えた国は、いつか(つい)える。


 ブクタスは、そんな軋轢(あつれき)した国から抜け出したかった。


 どんな手を使っても、例え一人だけでも、この国から逃げたかったのだ。過去の過ちにすら、目を瞑って――。


「散々下手打ちやがって…!はっ…はぁ…ッ」


 ブクタスは、(ひら)けた応接間に一人、立っていた。


 その息は苦しげだ。全身が熱く(たぎ)る。燃えているかのような感覚が、(さいな)んだ。


 ぷくぷく、と右の手の甲の血管が脈動すらも見えるほどにくっきりと浮かび上がる。同時に、脳が圧迫されているような頭痛が走った。


「まあ、いいだろう…ッ、しっかり働いて償え!腕を失おうが、足を失おうが、俺が逃げ切った後だろうが、きっちり制止しろ…!」


 縄できつく締めつけられるような、痛む頭を抱えて、ふらふらと応接間を動き回るとソファーの上に置いていた木製の六面体を手に持つ。


 それから、エントランスへと向かった。


 沸騰する血は、彼の顔の毛細血管すらも浮き上げる。ブクタスの右目が、獣のように丸くなり目玉は濁った赤い光を携える。


 エントランスに充満していた黒煙は、綺麗に消えていた。代わりに黒煙から解放された兵士たちが、そこら(じゅう)に倒れている。


 その中を千鳥足で歩くブクタスは、献上品が並べられた真ん中に立った。そのまま、手に持っていた六面体を床へと放り投げる。


「ようやく…、ようやくだ……。この莫大な財産は、全て俺のものだぁああ!!」


 切願を果たした歓喜で、ブクタスは叫ぶ。


 それに呼応するかのように、転がっていた六面体がぴたりと止まった。その瞬間、目を()くような(まぶ)しい閃光を放つと、ガタガタと小刻みに振動する。


 スゥ…、と瞬く間に光は収束した。しかし、その場にあったはずの献上品の木箱は、影や形もなく消えている。まるで、光と共に吸い込まれたようだ。


 ズキズキ、と頭蓋骨の内側から脈動(みゃくどう)が鼓膜を叩く。全身は、高熱を出したように熱い。


 それでも心は、いつになく清々しいのだ。


 切願の一つは果たせど、終わりではない。まだ、それを阻む者がいる。


 体の変調など気にも留めないブクタスは、鼓舞(こぶ)するように手を払った。


「お前たち、最後の命令だ。運び屋を足止めしろ。ここの住民なんぞに構うな!弾が尽きるまで撃ち殺せ!この町を、戦火で包んでやれぇえッ!」


 彼の高らかな声と共に、倒れていた兵士たちがゆらゆらと立ち上がる。


 だが、それまでの兵士らとは、まるで容貌(ようぼう)が違っていた。


 肌は赤土色に変わり、浮き出た血管を通る血は黒く、赤子のように開きっぱなしの口から唾液を垂らす。


 顔を上げたその眼光は、ブクタスと同じく濁った赤い光を(たず)えていた。


 ローブの下に隠し持っていたアサルトライフルを構えて、彼らは侵攻を始める――。





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