ep.6 来訪者
ハインは、程よい固さのベッドの上で目を覚ました。
起き上がれば、部屋の中は朝の陽射しに優しく包まれている。昨夜は家具の配置を変えたせいか、最初は違和感を感じたが、195番地から帰還する道程で立て続いた野宿の疲れからか、いつの間にか夢の中へと旅立っていた。
そういえば、夢を見た。
195番地でアタッシュケースの強奪を企てた主犯格の男に瀕死の傷を負わされた時、死の瀬戸際で見た光景とよく似ていたと思う。
色とりどりの花、棚引く雲、青々しく広い空を飛ぶ鳥の声。蒲公英のような色をしたふわふわの髪が、ぼんやりとした記憶の端で揺れていた。
こちらに向かって何か話しかけていたようだが、距離は近いはずなのに、その声は遠くて聞き取れない。
「なんなのよ…、ほんと…」
ぼんやりと重い額に手を添えてしまう。ハインは、なぜかそんな夢を見て目覚めが悪かった。
その夢を見たのは、今日が初めてではない。偶然なのか、『入れ違う猫』で命を救われてからというもの、時折見るようになった。
悪夢ではないにしろ、どうにも引っかかりを覚える。言葉では上手く表せない、妙な気持ちを抱えていた。
ともかく、起きたからには悩んでいても仕方がない。そう思い立って、ベッドから降りると身支度を始めた。
※
焦げ茶のロングローブと、オフホワイトの長袖、ぴったりとしたボトムスにブーツという普段の仕事着。
ハーフアップに纏めた黒髪は、櫛で丁寧に梳いたおかげで美しい艶が生まれている。
身支度を終えたハインは、隣室の前に立っていた。
(ノックすればいいのよね…?)
この部屋は、クラウンの自室だ。配達仕事で届け先の玄関口を叩くのとは違って、どこか気まずさを感じる。
協会内で腫れ物扱いのハインには、ちゃんとした同僚もいないせいか、これまでに同じ運び屋の部屋を訪れたことはない。
(ノックすればいいだけでしょ!それで出てきたら、おはようって挨拶する…。それだけじゃない!)
何を今更そんなことでと些末に思えば思うほど、大袈裟な緊張は怒りに変わった。
その勢いで、コンコン!と少し荒いノックをする。
どきどき、と心臓がうるさい。だが、こちらの緊張に反して、扉の向こうからの返答は一向になかった。
「………?」
寝ているのだろうか、と思ったが。
認めたくはないが、彼はハインより協会の規則をきちんと順守する方だ。それでなくとも、運び屋にとって生活周期を整えておくのは基本と言っていい。
特別、朝が早いというわけでもない。正確ではないが、体内時計の感覚では朝の十時は回っているだろう。
(開ける…?)
そう思って、ドアノブに手を伸ばそうとした瞬間。
ガチャっ、と扉が突然開き、ハインは「ぅわっ!」と思わず声を上げて、慌てて手を引っ込める。
「ハインさん?」
出てきたのは、若干疲れた顔をした部屋の主であるクラウンだ。
だが、顔を合わせたそばから、「ななななによ!突然!びっくりするじゃない!」と急激に込み上げた緊張が爆発してしまう。
「は…?! いや…、ノックが聞こえたから出てきたんですけど」
戸惑った様子のクラウンは、軽く頭を搔いて至極真っ当に答えてきた。
一瞬でも開けようとした無礼な自分に、ハインは顔を赤くする。
「お、遅いわよ!始業時間、とっくに過ぎてるんだから!」
「ああ…、もうそんな時間ですか…」
理不尽に怒って誤魔化したが、クラウンはどこか浮かない様子だった。
最初に顔色を見た時から思っていたが、元気のない声音を聞いて、ようやくハインは気づく。
「あんた、寝てないの?」
「少しだけしか…。災難なもんで、実は夜に…――」
「くらぁああうぅうーん!」
「ぉ、わ!」
話の最中に、そんな酔いどれた女の声が飛んできた。がばっ、と彼の背後からワイシャツの両腕が伸びて、伸し掛る重さにクラウンは膝を崩しかける。
ハインは、「へ…?」と何とか踏みとどまり、頭を下げるクラウンを見て声を上げた。
彼の背中に抱きついたのは、女だ。
際どいミニスカートに、ワイシャツの胸元のボタンが三つ外れて、そこから暴力的な豊かさのある胸を支える黒いレースの下着が、ちらりと見える。
「クリスティーナさん!いい加減、酔い覚ましてくださいよ!」
「だってだってぇー!約束してたのに、あいつ来なかったのよぉ!楽しみにしてたのは、私だけだったのー!?ねぇねぇ、クラウン、あなたはどう思うぅ!?」
クリスティーナと呼ばれたブロンド髪の女は、眼鏡を掛けたまま彼の背中に顔をこすりつけて、わんわんと泣いていた。
クラウンが、「そんなの僕が知るわけないでしょう!離れてくださいよ!」と珍しく青筋を浮かべて声を張り上げている。
叱られたクリスティーナは、やだやだと駄々っ子のように首を振って、クラウンは引き剥がそうと奮闘していた。
完全に状況から置いてけぼりを食らったハインは、目を点にする。やがて、こちらの視線に気づけば、彼ははっとして我に返るではないか。
「ち、違いますよ!ハインさん!この人は、ただの…――」
「お邪魔して、悪かったわ。それは寝不足にもなるわよね。お楽しみ中なんでしょ」
なるほど、合点が行った。そういうことかと思えば、自分でも驚くほど抑揚のない声が出てしまう。
クラウンが、何かを言おうとして唇を動かし始めたが、言葉になる前にハインは彼に背を向けた。
「それじゃあ、私、部屋に戻ってるから。準備できたら、呼んで」
「ハインさん!ほんとに違っ…――」
「触るな、スケベウサギ」
引き止めようと手を伸ばすクラウンを、ハインはそんな一言で厳しく咎める。
戦闘さながらにひと睨みすれば、彼も息を飲んでそれ以上手を伸ばさなかった。大股で自分の部屋に戻り、バタンッ!とわざと力強く扉を閉めた。
扉の前から動かずにいれば、ハインは軽く溜息をついた。
「「最悪…」」
同じタイミングで、彼の呟きと自分の声が重なった。
嫌に思えるほどこの状況にぴったりな単語で、そこだけは完全同意だ。
――
足場が剥き出しの街の景観と建築作業に勤しむ職人の往来が激しい77番地の通りで、その少女は悠然と歩を進めていた。
「……………、」
白衣のような膝丈までのコートに、艶のある茶色の革製のブーツを履いていた。肩につくほどの、くるくると毛先がくるりと緩く丸まった癖毛は、陽射しを受けてより白銀に煌めく。見た目は、十代前半で背丈は小さい。
そんな少女の隣には、燕尾服とシルクハットを被り、顔や体は色褪せた包帯で巻かれ、身長二mはあろう人物がいる。
その巨体には見合わない小さな棺桶を模したリュックのベルトを握りながら、キョロキョロと興味津々に街を見ていた。
そんな二人組に好奇の眼差しが集まっていたが、彼女らは構うことなく目的地へと進む。
※ ※
ジョージは、執務室でデスクチェアに腰をかけて凭れながら天井を眺めていた。
静けさの中、紫煙を吐き出し、束の間の休みを堪能する。扉の向こうから駆け寄る足音が徐々に大きくなり、まるで休憩の終わりを告げる秒針のように思えた。
やがて、「協会長っ!」と呼び声と共に勢いよく扉が開かれる。
入ってきたのは、受付人アリアン=テーゼだ。他の事務員と違って修道女の格好をした彼女は、息を上げながらも驚きを隠せないようだ。
ジョージは、ちらりと目を向けるだけで特に返答せずにいると、彼女は続ける。
「あ、あの…!来客がお見えになっているのですが…、その方々が、」
「ここに案内してやれ。…つっても、もう来てんのか」
「はい…?あっ、」
アリアンが一瞬戸惑ったが、すぐ後ろに二つの足音が届いて振り返ると、白銀の髪の少女と燕尾服の人物が、そこにいた。
アリアンは会釈して道を譲ると、困惑した表情で身を引く。
机を挟んで少女とそれに対峙するジョージは、眉間に皺を寄せて、あからさまに嫌悪を示した。
「…何しに来やがった、『蒼馬』」






