ep.5 その日の夜
77番地の酒場『ヴェルディ』で食事を済ませたクラウンとハインは、久しぶりにキュルヴィ協会の居住区に戻った。
クラウンの部屋は居住区の奥だったが、『入れ違う猫』の制約で、現在はハインの部屋の隣に移動している。
部屋の間取りは狭く、入ってすぐ左側にユニットバスが、右にはベッドがある。しかし、今の二人は範囲十五m以上離れることができない。
部屋同士の壁は薄いものの、用足しや入浴する度にコミュニケーションを取るのは、さすがに億劫だ。
そこで、クラウンは《精霊猫》であり、簡易的な空間魔術を使えるアートベルトを召喚。クラウンの部屋は右側に、ハインの部屋は左側にユニットバス、ベッド、机の配置を入れ換えた。
以前であればこの程度の魔術は片手間で出来たものだが、今では著しく消耗してしまう。
「疲れた…」とクラウンが珍しく汗をかいて言えば、ハインは「悪いわね…、ありがとう」と申し訳なさそうに礼を言ったのも、もう二時間前の話だ。
互いに次の仕事に向け、体を休める……はずだったのだが。
テーブルランプが照らす中、クラウンは机に向かっていた。
机に前のめりになっていた体を少し起こして、「うーん…、」と考え込む。
机の上には、手書きの魔術陣と一緒に何かの鉱物を模した絵が描かれた羊皮紙と、インク瓶に突っ込んだ羽ペンがあった。
(これを実行するには、高純度の魔石がいるな……。魔輪に内蔵された魔石でも代用できるかと思ったけど、消耗品の魔石だと賄えそうにないか……)
製図らしき羊皮紙を眺めて、一頻り思案するも正解が遠のくばかりだ。クラウンは、大きく溜息をついてそれを丁寧に丸めた。
ある程度の作業を終えて、目一杯背伸びをする。固まった筋肉が、一気に弛緩していく感覚が心地良い。
床につく準備が整って、席を立った。ベッドに向かう途中、まだ重苦しく感じる首を回して骨を鳴らす。
ベッドに腰を下ろしかけた時、コンコン、とふと部屋の扉がノックされた。
「はい?」ととっさに返事をするが、来客からの声はなく、更に不気味さが増す。
少し様子を伺っていたが、返答してしまった以上、出ないのも無礼な気がした。
(こんな時間に、誰が……)
クラウンは、ベッドに片膝をついた足を引っ込めた。疲労が溜まっているせいか面倒に感じたが、「はーい、今出ますよ〜」と言いながら向かう。
ドアノブを握って、扉を開くと、そこに立っていたのは。
「あなたは……」
※ ※
ハイン、クラウンがキュルヴィ協会に帰還したその日の夜。
とある山岳地帯の拓けた場所に、ぽつりと佇む駅舎があった。
木製の屋根と、石床という質素な造りのそれは、魔鉄列車と呼ばれる魔石をエネルギーにして走行する列車の駅の一つだ。
その前では、一台につき馬二頭で牽引する幌馬車が三両も止まっている。それらとは別に、四人乗りの大型馬車があり、向かい合わせの座席に男たちが乗車していた。
四人の内、三人は詰襟のくすんだ深緑の軍服の上から、土埃で汚れたローブを羽織っている。彼らは、まるで素顔を隠すように軍帽の上からフードを目深に被っていた。
「全く…、外界ってところは不便な場所だ。魔鉄列車で102番地近くまで降車できるかと思えば、燃料不足だと?一体どこの誰が設計したんだ、あの鉄クズは」
恨めしそうに窓から見える駅舎に向かって悪態をつく男は、小太りで、艶というには少し脂性っぽい髪を七三に分けている。彼の胸元にはリボンにメダルのついたピンバッジ式の勲章があり、他の三人より少し格式の高い作りの軍服だが、ぼてっとした腹回りにベルトが食い込んでいた。
「外界は、後進的な土地です。こういったことも多々あるのだとか。長旅でお疲れでしょう、ブクタス少佐。ゆっくり馬車の中でお休みになられては?」
ブクタス、という士官の男を諭すが、返って来たのは大きな舌打ちだ。
窓際のヘリに肘をどかっと置くと頬杖をついて、ブクタスが続ける。
「大体、なんだあの列車の客車は。宿泊部屋のベッドマット、見たか!?まるで石だ。あんな上で寝るなんて、俺は囚人かッ!?国から出てみれば、いざこれだ!任を受けたとは言え、苛立つなって方が無理があるだろ!その上なんだ?今度は馬車に揺られながら、寝ろだと!?ここは寝室にも値しない!」
「…少佐、どうか冷静に」
「俺は、冷静だッ!冷静に抗議してるんだ!とにかく、こんな状態で102番地に向かえるか!俺はイェロヴェルリの軍人だぞ!?外界の虫ケラ共とは違う!」
不満で癇癪を起こすブクタスに、護衛役の内一人が「では、我々にどうしろと……」と困ったように聞く。
言葉の端々で窓のヘリをバンバンと叩いていたブクタスが、それを待っていたかのように、にやっと肉ぼったい口角を上げた。
「102番地には約束通り向かってやろう。但し、女を買ってから取引に応じる」
そんな言葉が返って来て、誰かの口から、また始まったと言わんばかりの呆れた溜息が聞こえた。
不躾な態度を注意するよりも先に、「つまり、明日の『献上品』受領は明後日に先延ばしにすると?」と誰かが聞けば、「あったり前だッ!」とブクタスがすかさず声を張り上げる。
「女でも抱いてこの鬱憤を晴らさないと、とてもじゃないがやってられんな。それに外界の女は、安く買えるそうじゃないか。国の娼婦は確かに上玉揃いだが、高飛車が過ぎる…。その点、はした金さえ払えば、簡単に言いなりになるこっちの女の方が気兼ねなく可愛がれそうだ」
「了解しました。それでは、先方にはこちらから伝えておきます。……少佐は、ごゆっくりと」
ニタニタと薄笑いを浮かべるブクタスの姿を見て、護衛役の男は呆れを隠すように深く目を伏せた。
三人は馬車から下車し、最後に護衛役の隊長である男が扉を閉める。
一息ついて、ふと空を見上げた。祖国とは違い、澄み切った夜空が広がっている。そんな景色を見ても、心は晴れない。むしろ、重くなる一方だ。
(幸先が不安だ……)
そう思えば、憂鬱になって自然と瞼を閉じた。






