序章 魔術の仕組
麗らかな陽射しが、床から天井まである大きな窓から部屋に降り注いでいた。
風に乗って、近くの花畑から花々の香りが鼻腔に届き、心を晴れやかにさせる。
その洋室は五十平米ほどの広さで、床全面には上質な絨毯が張られていた。奥にはガラス張りで木製の本棚とアンティークな色合いのキャビネットが隅に置かれている。
豪壮さの中に風雅な趣きもあり、嫌味は感じさせない。
部屋の真ん中には、机と一人掛けの椅子があった。座っているのは、綿毛のような金色の髪を持つ齢六歳ほどの少年だ。
少年が見る先には、二足歩行の成人男性と変わらないスレンダーな猫――《精霊猫》が黒板と教壇の間に立っていた。
精霊猫は、教壇に両手を置くと徐ろに口を開く。
「さて、今日は『魔術』の根本定義について講義したいと思う。早速だが、クラウン、基本魔術における四大元素は言えるか?」
「はい!火、土、風、水です」
元気よく挙手して答えた少年の姿を見て、精霊猫は「正解だ」と優しげに花丸をつけた。
「では、それも踏まえた上で、なぜ魔術が発動するのか。そして、なぜ魔術を扱える者と扱えない者との違いがあるのか、教えていこうと思う」
精霊猫は、少年に背を向けて黒板と向き合う。
チョークを持つと、書き出しながら説明した。
「まず、魔術はどういった原理で発動しているのか、だが……。この世界には、空気中に『魔素』と呼ばれる物質が存在している。
魔素とは、ある一部の事例を除けば、基本不可視で感知することもできない超自然的な物質だ。
しかし、この目で見ることも感知することもできない魔素があってこそ魔術は発動している。では、なぜ魔術師たちは魔素を感知して操作できるのか……。クラウン、分かるか?」
精霊猫は振り返ると、少年が腕を組んで「うーん…」と悩んでいた。こちらに遠慮がちな眼差しを向けると、
「魔術を使えない人とは何かが違うのかな…?体の仕組みとか……」
「いい答えだ。そう、魔術師と一般的な人では、決定的に身体構造上の違いがある。それが『魔力臍帯』と呼ばれるものだ」
「まりょく、しょうたい…?」
「魔力臍帯とは、魔素と同じく目には見えない特殊な器官のことだ。時代によって濃度の差こそあるが、魔素は幾星霜の時をかけて人類の遺伝因子に影響を及ぼした。
それによって生み出されたのが魔素を感知し、操作することができる器官……。五臓六腑に加わった新たな器官『魔力臍帯』は、言わば人類の進化と呼べるだろう」
精霊猫は、今だかつてどんな形状をしているかも分からないそんな器官を分かりやすく形として伝える為、黒板に自分が有する魔術陣を描いた。
少し視線を後ろに向ければ、少年は理解したように頷いたのが見えて、精霊猫は続ける。
「人類とは言っても魔術師の数を考えれば、それもごく少数の限られた人間にしか現れていないんだ。余談はここまでにして、魔力臍帯について詳しく話したい。
魔力臍帯は、基本腹部にあると考えられているが、中には腕や目など、魔術師によってそれがある場所も変わる。クラウンの場合は、無難に腹部だろう。目立った身体的特徴がないからな」
精霊猫は観察するように少年を見ると、彼は軽く首を傾げて自身の体に目を向けていた。
少年は、不可解に思ったようで、こちらを見て質問する。
「…身体的特徴って、体にも現れるってこと?魔力臍帯は目には見えないってさっき言ってたけど、見える時もあるの?」
「うん……、いい質問だ。それに答える為にも、先に話しておきたいことがある。
魔力臍帯から発せられるエネルギーが、俗に『魔力』と呼ばれているものだ。このエネルギー……、つまり、魔力が強ければ強いほど空気中の魔素を大量に操作することが出来る。要は、より強力な魔術を発動できるというわけだ。
…魔術を発動する際、魔力によって身体的特徴が現れる場合がある。腕や足にある場合は、魔術的な事象で外見上変化はするが、魔術を発動していない時は普通の四肢と変わらない。さっき言った通り、魔力臍帯は目には見えないからな。しかし、判別できる部位もある。それが、目だ」
精霊猫は、自分の下瞼を引っ張り、猫目の眼球を見せる。
少年が、譫言のように「目…?」と呟く。
「そうだ。目に魔力臍帯がある場合、それは『魔眼』と呼ばれる特殊な性質を持ったものになる。魔眼は、まるで人の目とは思えない美しい瞳をしているらしい。まあ……、魔術師の数を考えると実に稀な事だ。一生涯の内に魔眼と遭遇する確率は、限りなく低いだろう」
『魔眼』と呼ばれる新たな未知の存在に、少年は「すごいや…、見てみたいなぁ」と感嘆の声を漏らす。
胸を躍らせる少年の姿に、精霊猫は満足したように笑った。
「さて、大体の魔術の仕組みは理解してもらえたかな?」
「はい!」
「それでは、次は魔術と魔力臍帯の相互性について補足していく」
再び黒板の方に体を向けると、精霊猫はチョークを走らせた。
「魔術には術式、陣式の仕組みさえ理解すれば使えるものと、そうではないものの二種類が存在する。
例えば、古来より使われてきた魔術師の簡易的な移動手段『扉渡り』、目には見えない魔素を何かしらの形として形成する『造形魔術』。こういったものを基本魔術と呼ぶ。
そして、魔力臍帯の性質を活かした魔術のことを『性質魔術』と呼ぶ。私の場合なら、武器を召喚する簡易的な『空間魔術』、オズの『治癒魔術』、ピウニカの『地属魔術』、フーランの『飛来術』、ミミの『精神魔術』、これらは全て性質魔術だ。クラウンの場合なら『増強化魔術』が、性質魔術に当てはまるな。勿論、性質魔術は他の魔術師と同一の場合もある」
絵や図式、文字を一通り書き終えると、精霊猫は少年の方を見て質問した。
「では、ここで問題だ。仮に酷似した性質魔術を使う魔術師が二人いたとしよう。そこで戦いが起きた場合、勝敗を決める要因は何だと思う?」
「うーん…、隙を狙ったものが勝つ!」
「それは、魔術師同士の戦い以前に基本的な戦法の一つだぞ。それ以外では?」
「えー、分からないよ…。さっきも言ってたけど、魔力の…強さとかかな?」
少年が先ほど教えた内容を思い返して、それとなく答えるが、「惜しい」と精霊猫は、及第点の評価を口にする。続けて、
「が、いい線だ。答えは魔力の『洗練さ』だ。魔力臍帯は目には見えないが、存在している器官だ。そして、筋肉と同じく鍛錬することで、発する魔力も強くなる。
つまり、性質魔術が似ていようが同一であろうが、より洗練された方が戦いにおいては優勢だ。
身体能力を向上させる魔術を使う者同士が戦うと仮定して…。片方の魔術師は、十年その魔術を磨き、もう片方の魔術師はその魔術を磨いて五年。
十年鍛錬を続けた者と五年鍛錬を続けた者では、前者の方が魔術も洗練されて強いだろう。剣を丁寧に研ぎ上げると切れ味が増すのと同じように、魔術も腕を磨けば磨くほど強力になるんだ」
「はい!アートベルト、質問!」
「ん?なんだ」
積極的に挙手する少年に、精霊猫は聞き返した。
少年は、興味津々な笑顔を浮かべながら言う。
「魔力の強さにも個人差があるの?」
「…ああ、勿論だ。生まれながらにして強大な魔力を持つ魔術師はいる」
「じゃあ生まれた時から強い魔力を持った魔術師が、たった五年しか鍛えていなくても十年鍛えた人に勝つこともあるの?」
「そうだな…。如何に鍛錬を続けても、その者を遥かに上回る魔力を持つ者には、敗北してしまうかもしれないな」
少年の質問に、煮え切らない態度で精霊猫は答えてしまった。
こちらを見る少年も、少し訝しむような表情を浮かべている。きちんと答え直そうと、精霊猫は改めて口を開いた。
「だが、何も魔力の強さが戦いにおいて重要ではない。テクニックやセンス、戦闘経験などが重要なのだ。いくら魔力が強くても発動する魔術が荒削りでは、長年鍛錬を続けた魔術師には敵わないだろう」
「なるほど…」
良い回答が聞けた、と少年は納得したようだ。真面目に机の上にあるノートに黒板の文字や図式を書き写す。
そんな少年を見て、精霊猫は身が竦むような気分になりながらも続けた。
「……良いか、クラウン。先に言っておこう。お前は、その身に余る強大な魔力を宿している。だからこそ、それを使い誤ってはいけない。鍛錬を続け、無闇に魔術を使わないことが肝心だ。…なぜだか、分かるか?」
少年は、ペンを握ったまま顔を上げたが、戸惑っている様子だ。
うまく答えられないそんな少年に精霊猫は真摯な猫目の眼差しを向けながら、
「簡単な話だ。それは誰かを傷つけ、時に誰かの命を奪ってしまう。私の言いたいことは、ちゃんと伝わったか?」
はぐらかすだけでは、教壇に立つ資格はない。少年には、絶大な力が潜在している。
精霊猫は、憂いていた。
四六時中、少年を見守れるわけではない。こうして偉そうに教えていても、彼が進むべき道に迷った時、すぐに駆けつけて助言できるだろうか。
もし、少しでも時機を見誤ってしまったら、彼は一体『何者』になってしまうのだろうか。
だが、少年は、そんな憂鬱を照らす太陽のような明るい笑みを浮かべた。
「うん!分かった!でも、アートベルト、大丈夫だよ」
「ん?」
「ぼくは、この力でたくさんの人を幸せにするよ。だから、心配しないで!」
どこまでも純真で眩い笑顔で、なんて事のないように、それでも彼は高らかに宣言した。
少年の笑顔に釣られて、精霊猫・アートベルトの杞憂は消えていく。
そして、彼の栄光輝かしい明るい未来が見えたような気がして、こう言わずにはいられなかった。
「よろしい。それでこそ、我らの『王』だ」






