終章 ep.5 ご贔屓に
二等級宿屋の男店主が、手元にあるメモをゆったりとした口調で読み上げる。
「195番地で人手不足で困ってる露店が、何店舗かある。そこの人達から、ある運び屋さんに『街のロストチルドレンを労働者として雇ってくれないか』と頼まれたらしい。
まあ…二人組の運び屋が破産寸前まで各屋台店、食堂で飯を食い散らかしたらしいんだが、なんでも支払いができずにそのツケを、君たちロストチルドレンに擦りつけたそうだ。加えて条件まであって、衣食住を確保した上で君たちを労働力にしてくれとのことらしい。
伝言によれば、ツケ金は、君たちが肩代わりに働いたところで、到底支払える額ではないようだが…。各店のツケ金の半分は、追々協会側から支払われるとのことだよ。遅れてだが、店側からしたら大金が入るから繁盛したと言えるだろう。お金が入ってこない間は、大変そうだが…。
全く、最近の運び屋は図々しいなぁ…。そのことに関して、195番地から協会に不服状を送るとして。
…運び屋からの条件を完全に満たせる店がどれだけあるかは分からないし、雇える人数にも限界はあるそうだ。それでも、これだけの店舗から申し出があるから相当数は働けるだろう。
風呂や寝床は色んな店の店主たちから日替わりで借りると良い。ツケを支払った後のことは、それぞれの雇い主と要相談。上手く成果を出せば、継続して雇うと申し出る店も少ないが、あるそうだ。
…正直に言うと、ロストチルドレンに対する信用性は、かなり低い。これまで君たちが仕出かしてきたことは、そういうことだ。それでも雇うという人がいるんだ。その人達をどうか裏切らないでくれ、良いかね?
困った時は、これまで通り、互いに助け合うといいだろう。今後の君たちの仕事ぶりや態度にかかってきているが、その内懇意にしてくれる人も現れるさ。
それで最後に、聞きたいんだが…今のところ、この街にロストチルドレンは君を含めて何人いるのかね?」
ダンは、その内容を上手く理解することができなかった。右から左へと、耳を通り抜けていくような情報量だ。
そして、今、この身に何が起こっているのか。冷静さが、意識の外へ…外へと、運ばれていく度に体が脱力していく。
痩せこけた肩は下がり、力なく項垂れて、より一層弱々しく見えるだろう。
その様子を見ていたのか、「大丈夫かい?話は…ちゃんと聞いていたかね?」と店主が戸惑ったように声をかける。
簡単な問いかけに答えるための、首を振る元気もなかった。
ただ、ひたすらに頭の中には『なぜ』という疑問が覆い尽くされた。
あれ程邪険に扱われていたはずの己が、どうしてだか、人から心配されている。
徒党を卒業した元ロストチルドレンの者ならいざ知らず、何故だか、見ず知らずの人間に。
首の皮が、一枚、繋がった。
それまで生きてきた環境は、世辞にもならないほど劣悪だ。
『人としての生活』が、完全に確保されたと言ってもいい。
それも、ダンだけではなく、カイルを含めたこの番地のロストチルドレンの多くが救われたのだ。
その事実は、とても喜ばしいことなのに、どうしてだか素直に喜べない。
自問自答している内に、気づいた。
それまで必死で何かを盗み取ってきた手は小さいながらにも、誰かを、兄弟姉妹たちの命を繋ぎ止めていた。
意識はしていなかったが、とてもちっぽけだが、皆で無事に明日の朝を迎えるためだった。
では、今、伝えられた伝言は?その、内容は…?
明日の朝どころではない。数日…いや、それどころか、これから何年も先の未来が約束されたのだ。
今までの死に様にも似た人生が、昨日までの自分が、本当にちっぽけなことだと思い知らされた。
「お、おい…、ほんとに大丈夫かい?」
男の店主は、更に狼狽えた。
視界が霞んで、小さくて傷だらけの足の甲に水粒が落ちる。呻くような声が、口をついて出た。
堪えようと体が力む。ぐしゃ、と手の平に握った書き置きが、更に握り潰れた。
「しっかり、生きなさい」
居るはずもない女の運び屋の声が、聞こえたような気がした。
この世の全ての負から無縁そうな、憎らしいほど朗らかな笑みを浮かべている姿が、勝手に出てきた。
ああ、なんとも…。
そんな空想の次に溢れた感情が、ダンを突き動かした。
「お、おい!どこに行くんだ!?」
店主の制止する声を無視して、ダンは部屋を飛び出す。
※
宿泊部屋が並ぶ廊下を走り、階段を駆け下りてエントランスを抜けて、ダンは街に出た。
この街に置いていかれて、この街で育った。
人は生まれ育った街を、故郷、と呼ぶらしい。
だが、今までこの街をそんな目で見たことや、特別な暖かい気持ちになったことは、一度もない。
大通りには人が溢れ返り、露店がそこ狭しに並ぶ。
今よりも幼い頃から、人々が、己を、ロストチルドレンを見る目は『蔑み』と『嫌悪』だ。
ここにいる人の数よりも、ずっと多くの痛ましい視線を向けられた。
その視線に覚えた己の感情は、真上に昇る太陽のように煮え繰り返るような、憤りだ。
街の景観や、そよ風が吹き抜けて鼻腔を通って香る街の匂いにすら、憎悪を覚えた。
今までしっかりと見たくもなかった。はっきりと知りたくもなかった。
なのに、『街』を見る己の目が、まざまざと色を変えていく。
(いやだ、いやだ…いやだッ!)
ダンは、ただ懇願した。
心が勝手に暖かさを持って、急激に色づいていく街の風景が怖い。
今まで抱えていた思いが感情が、間違っていない、と誰かに言って欲しかった。
けれど、誰も答えを返してはくれない。
当然だ。この思いを、誰かに打ち明けたことがないのだから。
心の奥底に、ずっと押し殺し、物心ついた時から抱いていた問い。
『オレたちは、一緒じゃないのか』
走る度に、目の端から流れる涙が飛沫となって、空気中に散る。
唾液も出し切って、喉に急激な乾きを感じた。
誰かの手から水をくすねるという考えは、もう彼にはない。
それよりも、真っ先に突き破って氾濫するように一つの感情が溢れ返るのだ。
悔しい、と。
たった一日しか、経っていないじゃないか。
たった一日で、変えられてしまうじゃないか。
たった一日、
たったの一日…、
共に過ごしただけじゃないか。
「なんッだよ!!それ!!」
街の中で、ダンは叫んだ。
理解できなくて、意図が分からなくて、疑問が頭の中で悪戯書きされた下手な渦巻きのように、ごちゃごちゃと蠢く。
答えて欲しい、今すぐに、『どうして』に。
街の中で、彼女の姿を探した。
似た姿を見かけて腕を掴もうものなら、別人が振り返る。
違う、違う、と心の中で数えるように呟く。
その度に滲むのは、もういないのか、という焦燥感だ。
走り続けた足が疲れて、立ち止まった。思わず、両膝に両手をつけて中腰になる。
荒い息遣いが、その疲労感を物語っていた。
こんなことなら、昨夜はしっかり食べておくんだったと軽く後悔する。
やがて、どこからともなく、ドロロロ…という地鳴りのような鈍いエンジン音が聞こえてきた。
は、としてダンは振り返る。
その音に導かれて彼は再び走り出した。
今度こそ、という願いを込めて――。
※ ※ ※
「早くしてください、ハインさん」
「分かってるわよー、せっかちな奴ねー」
195番地の端に位置する駐輪場には、ハインとクラウンがいた。
頭に白ウサギの生首―ヘルメットを被ったクラウンが、すでに魔輪に跨ってエンジンを回している。
耳を塞ぎそうになる爆音に加え、腹の底が振動するような重低音。マフラーからは煙が上がり、車体の後部にはクラウンのアタッシュケースが括り付けられていた。
ハインは、アタッシュケースを車体後部に括りつけて、すかさず魔輪に跨る。そのまま後退し、駐輪場から出るとクラウンの魔輪と並ぶ。
キーを入れてエンジンを点火する前に、ハインはクラウンを見て思わず羨んだ。
「良いなぁ…。私にもそのヘルメット、創ってよ」
「……いきなり、なんですか?」
「だって、ここ砂漠じゃない?魔輪で走ってると砂粒が目に入って痛いのよ」
「ゴーグルくらい、195番地でいくらでも手に入るじゃないですか」
「お生憎さま。あんたと出会う前に、お金は屋台で使い果たしたわよ。だから、あんたの魔法でゴーグルを作ってくれないかなー、って思ったの」
「なんでお金がないことをそんな自慢げに……?ハインさんの自業自得でしょう。というか、僕の魔術をそんなパシリみたいなことに使わせないでください」
「……創って」
「嫌です」
ほぼ食い気味で即答されたハインは、「ケチ」と短く悪態をついてキーを差し入れるとエンジンを点火した。
キチチチチ…、と少し空回りした後、すぐにクラウンの魔輪と同じく煩い重低音のエンジンが唸り声を上げる。
「大体、さっきの勝負だって決着つかずにお開きになったじゃないですか。おまけに、あれだけあった金は吹っ飛ぶわ、支払い出来ずに結局僕のツケになるわで…。ハインさん、正直に言います。あなたの食い意地は、性根すら腐らせてますよ。その自覚、ありますか?」
「エンジン音がうるさくて、なんて言ってるか分からないわー!ごめんなさいー!」
「……。おかしいな、僕、それなりに温厚な性格のはずなんですけど。なんでしょうか、今すぐアルトンをブッ放したい気分ですね」
これ見よがしに両耳を両手で塞いで屈託ない笑顔を見せれば、クラウンは殺意にも似た怒りを感じたらしい。
それに動じず、ハインは両耳から手を離し、態度を改める。
「そんなことより…、これからどうするのよ?」
無碍に扱えば、クラウンは、「ああ…、とりあえず、143番地に向かおうかと…」と諦めた様子で答える。
「扉渡りは?使わないの?」
「今の僕の魔力では、扉渡りを使って一気に協会まで繋ぐことはできません。なので、魔輪と扉渡りを駆使しながら移動して、ある程度の距離を飛びながら、協会に戻ろうかと考えてます」
「うーん……、ちなみに聞くけど、その移動法だといつ協会に着けるのよ?」
「予定では、二、三日です。…扉渡りは、一度行ったことのある場所と場所を繋ぐことができますが、一度訪れたところから行ったことがない場所には繋げられません。
なので、協会からある程度近い番地、尚かつ一度訪れた番地に行きます」
「なるほどねー…。それで協会に帰るための最終的な目的地は、どこになるの?」
「62番地です」
番地番号を聞いたハインは、思わず「うげ」と苦い声をあげた。
「魔輪移動だけだと、三日以上かかるわね…」
「はい。そこで扉渡りと魔輪の両方で距離を稼ぎます。それで、大丈夫ですか?」
クラウンから再度提案に不満がないか聞かれ、ハインは「ええ、平気よ」とあっさりと返す。
「それじゃあ、出発しましょうか。あ、あと何度も言いますけど、二十m以上離れないでくださいよ?ちゃんと並走してください」
「分かってるってば。耳にタコが出来るくらい何回も聞いたっての!」
互いに魔輪のスタンドを踵で後ろへと蹴り飛ばす。ハンドルスロットを回すと、魔輪の車輪が目まぐるしく廻り始めた。
長いようで短い一日を過ごした195番地との旅が、終わりを告げる。
二台の魔輪が爆音と砂煙を携えて発車した。
すると、ふと何かが後ろを追ってくる気配がした。
「ん…?」
「待って…!待ってくれよぉおおお!」
振り返ると、そこにはダンがいた。必死に魔輪の速度に追いつこうと走っている。
呼び止められたが、ハインは魔輪を止められなかった。命欲しさだが、クラウンの言いつけを守っている。
(……あの子に気づいてたから、急かしたのかしら?)
ふと、ハインは隣で並走する白ウサギの頭を被った男を見た。
こちらの視線にもダンにも気づいてるはずだが、どうやら愛くるしく生々しいウサギの顔でやり過ごすつもりらしい。
それを見てハインはほくそ笑むと、再び後ろのダンに目を向けた。
「なんでっ!待って…!止まれよぉお!」
必死の形相で、エンジン音にも負けない声で叫んでいる。
何かを訊ねたそうな、そんな思いが見え隠れしていた。
だが、思いよりも体や足が先に限界を迎える。
「あ!?」
ハイン、ダン、どちらともなく声を上げた。
ダンの爪先が突っかかり、固い石畳の上に転倒する。
※ ※ ※
擦りむけた膝や腕から血が滲んだ。それでも、魔輪は止まらない。
即座に体を起こしたが、ずきずきと鋭い痛みが痛覚を辿って全身に走る。
痛みを堪えて、顔を上げれば、二つの背中は更に遠くなっていた。
女の運び屋が、心配そうにこちらを見つめてくる。
聞きたいことは、山ほどあった。
ダンの心の中に渦巻く疑念は、本人の口から答えて貰えない限り、きっと晴れることはない。
だが、それも、もう聞けそうにないのだ。
ダンは、ずっと手の平にある『手紙』を、強く握り締めた。
ありったけの空気を吸い込んで、この一言に全ての思いを込めて、力強く叫んだ。
「ありがとぉおおおおおおおおっ!!!」
その言葉が届いたのか、女の運び屋の笑顔が見えた。
そして、大きく手を振り返して、答えるのだ。
「キュルヴィ協会を、ご贔屓に!」






