ep.36 《入れ違う猫》
クラウンの居所は、どす黒い積乱雲のような重苦しい気配によって判明した。
厩舎郡より更に奥の巨大な倉庫の廃墟が、北上し続けた先にある。
黒い気配がやってきた直後、アートベルトとフーランの耳は、アルトンの銃声もしっかりと聞いていた。
フーランの魔力は底を尽きかけていたが、疲労を上回る焦燥感に比例して、飛行速度は上がっていく。
見えてきた倉庫の出入口にフーランが降り立ってから、アートベルトは、早足で先に中へと踏み入る。
「!」
少し入ったところで、血溜まりの中に倒れた人影を見て、足が止まった。
弾かれたように仰け反ったヴィドーの頭部。
頭蓋骨を撃ち破り、飛び散った脳味噌などの肉片と一緒に血が、綺麗な扇状になって広がっていた。
そして、それを静かに見下ろすクラウンがいた。その両腕には、横抱きにしたハインがいる。
「おっかねぇや、坊は」
後続してきたフーランが、小さく呟いた。無意識に、緊張から耳が後ろに倒れている。
アートベルトは、溜息を漏らしながら、中折帽を目深に被り直した。
ヴィドーの死に顔は、怯えた表情のまま固まっている。
「ビビり女……」
フーランが、クラウンの腕の中にいるハインに気づいて驚愕した。
瞳を閉じることも叶わず半開きの状態で、呼吸音は虫のように僅かに聞こえるのみ。
何より、だらだらと流れる血は刻一刻と彼女を死へ導いている。
「……クラウン、どうするつもりだ」
今だに死体を睨みつけるクラウンに聞いたが、黙ったままだ。
アートベルトは、物言わぬ死体から腕の中で虚脱しているハインを見る。
「その…残念だが、彼女は、もうすぐ、」
「――死なせません」
「なに?」
食い気味で断言したクラウンに対して、アートベルトは眉を顰めた。
聞き返したが、クラウンは小さく誰かに語りかける。
「……あなたの依頼人にも、その内挨拶に行きますよ。雁首揃えて、あの世で精々恨んで下さい」
死してなお、そんな餞別をするのかとアートベルトは背筋が凍りつく思いだった。
少し反動をつけて、ハインを抱え直すと、ようやくクラウンが死体から離れる。
「でも…、お前の道連れに彼女は選ばせない」
何事もなかったように、倉庫の奥へと進んだ。
アートベルトは、足早に彼の背中を追って、先の言葉の続きを問いただす。
「し、死なせないとはどういうことだ?クラウン」
「禁術を使います。二人も急いで準備を」
その返答にアートベルトは、あんぐりと口を開けて絶句した。何か言おうと、はくはくと動く唇が虚しい。
フーランは意味を理解できなかったのか、そのまま硬直するアートベルトを放って、クラウンの後に続いた。
再びクラウンを追って走った。驚きを隠せないが、それよりも詰問せずにいられない。
「き、禁術だと!? クラ坊、お前…!」
議論の余地なしと判断したのか、クラウンは何も答えなかった。
崩れ落ちた天井から月光が差し込んでいる。空中に舞う埃は、光を反射してきらきらと可視化されていた。
クラウンが、月光のもとに抱えたハインをゆっくりと寝かせる。その傍で片膝をついて、ハインを見下ろす。
アートベルトは、毛並みの中で汗が流れる感覚を覚えた。
「おい、アートベルト。禁術って何の話だ」
状況をまだ飲み込めていないフーランから、そんな質問が飛んできて我に返る。
「…禁術は名の通り、禁じられた魔術のことだ。その多くは神話時代に生み出された古代魔術で、効果が絶大なんだ。とは言っても、禁術を発動する為の魔力消費量も尋常ではない…。しかも今世紀の魔術師にとって、魔力のカスすら残るか分からないほど計り知れないものだ」
説明すれば、フーランは「なるほどな…」と呟く。それから、クラウンに視線を向けた。
「で、坊は、その禁術の中でどれを使うつもりなんだ?」
「恐らく…、『入れ違う猫』だろう」
「イレキーゴ?なんだ、それ」
「我々チェシャ猫が持つ九つの御魂を発動条件に行う、延命魔術の一種だ。術者と対象者の魂を繋留することで、瀕死の人間を生き長らえさせる」
「オルガの治癒魔術の上位互換みたいなもんか」
「上位も上位だ、馬鹿者。そもそも禁術自体、『人の王』ならいざ知らず、並の魔術師が使って良いような魔術ではない」
中折れ帽のつばを掴み、少し語気を強めて釘を刺す。
古代魔術は、絶大な効力を得られるが、それに比例して代償が付き物だ。
(いや、それよりも……)
アートベルトから教えられたことを理解したフーランが、ぐっと目を見開く。
これから起こるであろう事実に愕然とした。
「…坊は、その禁術を使ったら、魔術師生命を絶たれるのか?」
独り言のようなそれに、ギリッとアートベルトの牙が音を鳴らす。
この行いは、クラウンにとってデメリットしかない。
そして、誰よりも真っ先に理解しているはずのクラウンは、何の躊躇もしなかった。
魔力とは、魔術師にとっての生命力に等しい。魔力の著しい枯渇は、死すら意味してもおかしくない。
仮に成功したとしても、今後、魔術師として魔術を正常に発動できるとは限らず、更には身体的な影響も十分に考えられた。
そもそもこれらのことを前提とした上での、『禁術』なのだ。
このことをいち早く察していたのは、言わずもがな、禁術を行うクラウン自身。
憤りを覚えたのは、代償を顧みず『躊躇いすらなかった』クラウンの態度だ。
何が、そこまで、彼を突き動かしているのか。
理解ではない。クラウンの行動…そして真意、何一つ取っても、不透明で不安を掻き立てる。
それは、苛立ちに繋がった。
「クラ坊!やめないか!禁術を使ってまで、彼女を助けるなんて…いくら何でも入れ込みすぎだ!」
すぐさま咎めたが、同時に有無を言わせないように、仰向けになったハインの背中…石床の地面から、ぶわっと勢いよく円陣が展開された。
神々しく翡翠色に発光するそれは、二重の円と丁度ハインの背後にある一つの丸からなるシンプルな魔術陣。その魔術陣をぐるぐると廻っているのは、二つの三日月の紋様だ。
思わず、アートベルトとフーランは息を呑み、光景を眺めた。
「僕は、」
唐突に、クラウンが声を上げた。伝えたい事が先走ってしまったのか、一呼吸置いてから呟く。
「…奴の言う通りだ。長い間、こんな暮らしを続けたから……。不意打ちを食らう羽目になった」
死体と見間違うほど血の気がなく、眼も虚ろなハインを見る彼の表情は、どこか失望しているようで憂いているようにも見えた。
「魔術の一つも使えないのに、生身で誰かの盾になるなんて。一体どこの誰に吹き込まれたんだか」
そんな小言を言ってから、クラウンは立ち上がる。気を取り直して、こちらを見た。
「一回、この人をブン殴らないと気が済まないんだ。馬鹿げたことをした彼女に、僕はムカついてるんです」
「なにを、言って…!」
そんなのは、嘘だとすぐに分かった。だが真の理由を問い質しても、言いはしないだろう。
しかし、今だに抗議の気持ちは消えていない。
「黙って聞いていれば…ッ!お前は、大馬鹿者だ!クラウン!」
堪らず怒鳴りつけると、隣にいたフーランが大きな体をびくつかせた。構わずに続けて、
「甘い顔をしていた私達にも原因はあるだろう。それでもだ!自殺行為にやすやすと手を貸す『友人』が、どこにいる!この魔術がどれ程危険か、聡いお前なら分かっているだろう!」
「………、」
それでも、言い出した馬鹿者は。その全てを受け入れ、些末なことだと潔く割り切り、頑なまでに意志を変えない。
そして、こちらの心配を無下にしない為に、何も反論しない。
聡明でありながら、臆病風に吹かれることがなく、『何とでもなる』と自信すら感じさせて、崖から飛ぼうとしているのだ。
(いっそのことなら…、腑抜けな方がまだ人間味があるじゃないか…!)
見るに堪えない。アートベルトは苦渋の表情で、顔を伏せる。
閉じた瞳の裏に浮かぶのは、屈託なく笑う幼きクラウンの姿――。
あの頃は、大人びたこともせず、与えられたものに年相応に素直に驚嘆して、歓天喜地していたものだ。
それが、今ではどうだろう。
自ら深く考えて、それらによって起こる様々な危険を理解しても尚、皆に心配をかけまいと無理のない笑顔で平然と振舞う。
そして、彼は、あの頃と変わらない笑顔で、何の気なしに言ってみせるのだ。
「アートベルト、僕は『大丈夫』ですよ」
それは、根拠のない言葉だ。だが、その一言が気高く思えて、そして憎い。
この禁術には、使い魔の協力は絶対不可欠。
それを得られなければ、ハインは、死に絶える――。
彼女からクラウンを見ると、是しか答えを求めていない微笑みがそこにはあった。
ぽきり、とアートベルトの強硬な意志はそこで折れてしまった。
小さな下唇を軽く噛み締めた後、「はぁあー…っ」と大きな溜息を吐いて覚悟を決める。
「…分かった、やってやろうじゃないか」
「ほんとですか!?」
「何を今更…。どうせ、許可が得られなかったら、人権ならぬ猫権無視の強制命令を下すつもりだったんだろう」
「はい…、まあ…それも考えてました」
クラウンが居心地悪そうに苦笑いして、頭を掻く。
その図太さは、目に余るが。アートベルトは、呆れる他なかった。
「全く…お人好しそうな顔して、考えることは意外と冷酷なところがあるからな。お前は…」
全て自らが背負い込めばいいという己を顧みないところを、成長したと褒めて良いことではない。
だが、彼が『誰が為に』成し遂げようとしている事を、頭ごなしに突っぱねるのもまた良いことではないはずだ。
どちらの主張も正しく、間違いなのだろう。それを見定める匙加減も、猫毛が逆立つ程、悩ましく難しい。
(クラウンは立派な魔術師になりましたよ、『先代』)
それでも彼を誇らしく思う親心を、どうか今は許してほしい。アートベルトは、星屑の中に堂々と浮かぶ大きな満月を見上げた。






