行間 ブレークタイム
真鍮で象られた鶏の看板プレートが、そよ風に煽れていた。揺れる度に、きいきい…と鳴き声のような軋んだ音を上げている。
日が落ちかけ、橙色の夕日が一帯を包み込んだ。
ここは、195番地きっての一等級の宿屋。だが、その周辺は騒然としていた。
野次馬が集まり、彼らの視線の先には、出入口扉が無残に大破されていた。
店内の飾り家具はひっくり返って破壊され、明らかに人の手によって荒らされた形跡が見受けられる。
受付カウンターの前で座り込んで項垂れているのは、この宿屋の店主だ。
「なんてこった……。今まで、こんなことなかったのに、どうして……」
店主は泣き声を押し殺し、彼の周りに集まった数名の従業員たちも、しくしくと涙を流していた。
それぞれ慰め合うように身を寄せ合っていたが、心なしか、一様に怯えているように見えた。
こぞって店内を覗き込む野次馬の群れからは、ぽつぽつと、経緯が呟かれる。
「荒くれ者らが急に宿屋を襲ったらしい……」
「金銭は盗まれなかったってほんとかい……?」
「私、襲われたところを目撃したけれど……」
「見慣れない『鞄』みたいなのを持って出ていったらしいぞ……」
「物騒ね……、強盗だなんて……」
「命あっただけ、儲けもんだろうさ……」
野次馬の心配そうな声々が、静かに広がる。
そんな中、その足元を縫うように小さな白い影が駆け抜けた。
人ごみを掻き分け、先頭に出てきたのは、一匹の手乗りウサギだ。
ひたりと足を止めて、前足を浮かせ器用に立ち上がる。
桜色の鼻をひくつかせ、熟れた木苺のような双眸が悲惨な店内の様子を捉えた。
ただ見つめるその丸くつぶらな瞳を縁取るように、眼光が走った。
※ ※ ※
襲撃を受けた宿屋前に野次馬が集まる、ほんの数分前。
クラウンは扉渡りで、宿屋街の外れにある二等級宿屋の一室に直接飛んだ。
先に部屋に入ったのは、ダンやカイルを背に乗せた手乗りウサギ一行だ。
ここは、スライドドアで部屋と寝室を仕切ることができる仕様のようだ。部屋には、テーブルと二脚の猫脚ソファーがある。
手乗りウサギが寝室へと駆け込むと、クラウンは、戦闘で片足を負傷したハインに肩を貸して後続する。
ハインが不安げに部屋を見回す。無断宿泊を気にかけたようだが、すぐに激痛が走って顔を歪めていた。
寝室には小窓が二つあり、上等なベッドが二つ並んでいる。片側には手乗りウサギ達が力を合わせて、ダンとカイルをベッドに上げていた。
クラウンは、なるべく痛みが出ないように、もう片方のベッドにハインをゆっくりと座らせる。
「ありがとう……」
礼を言われたが、特に返すことはない。スライドドアが全開で仕切られていない部屋を一通り確認する。
誰かが使用してる形跡はない。それが分かり、また彼女を見た。
ハインの額から頬にかけて、痛みから来る大粒の冷や汗が流れ、その呼吸は浅く短い。
クラウンは、彼女の前に跪くと、
「ちょ、と…」
ハインは抵抗感を露わにするが、問答無用で右足のブーツを脱がせる。
クラウンは彼女の踵を包むように右足を持ち上げると、ハインが苦悶の表情を浮かべた。
一頻り、足の状態を観察する。
(早めに治療した方が良さそうだ)
右脚のアキレス腱が切れてから、それほど時間は経過していない。だが、治療が長引けば後遺症が残る可能性はある。
白ウサギの頭でハインを見上げると、
「ハインさん。これから足を治すので、少しの間眠っていただけますか?」
「へ…?寝るったって…、この激痛でどうやって……」
言い終わった瞬間、ハインは何かの気配を感じ取って、とっさに振り返る。
そこには。
「こんにちは、『男たらし』」
小窓から差し込む逆光で、その姿は輪郭しか捉えられないはずだ。
突然現れたその者は、ハインの両の蟀谷に触れないかの距離で両手を翳す。そこから、薄紫色のぼんやりとした光が現れた。
「な…に…?」
ハインの瞼が、ゆっくりと強制的に閉じられていく。
彼女に悪態をついたその者は、人らしい『影』はしていたが、人にはない『もの』があった。
ふるりと揺れる獣の耳と、長い尻尾。
きっとその姿を、ハインは脳裏に色濃く焼き付けたことだろう。
「平気ですよ、眠らせるのは『彼女』が手伝ってくれます」
そう伝えると、ハインの体はぐらりと大きく傾いてベッドに倒れた。






