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ハインリッヒの旅枕  作者: えくぼ えみ
第一部 相容れない運び屋
21/141

行間 ブレークタイム

 

 真鍮(しんちゅう)(かたど)られた鶏の看板プレートが、そよ風に煽れていた。揺れる度に、きいきい…と鳴き声のような軋んだ音を上げている。


 日が落ちかけ、橙色の夕日が一帯を包み込んだ。


 ここは、195番地きっての一等級の宿屋。だが、その周辺は騒然としていた。


 野次馬が集まり、彼らの視線の先には、出入口扉が無残に大破されていた。


 店内の飾り家具はひっくり返って破壊され、明らかに人の手によって荒らされた形跡が見受けられる。


 受付カウンターの前で座り込んで項垂(うなだ)れているのは、この宿屋の店主だ。


「なんてこった……。今まで、こんなことなかったのに、どうして……」


 店主は泣き声を押し殺し、彼の周りに集まった数名の従業員たちも、しくしくと涙を流していた。


 それぞれ慰め合うように身を寄せ合っていたが、心なしか、一様に怯えているように見えた。


 こぞって店内を覗き込む野次馬の群れからは、ぽつぽつと、経緯が呟かれる。


「荒くれ者らが急に宿屋を襲ったらしい……」


「金銭は盗まれなかったってほんとかい……?」


「私、襲われたところを目撃したけれど……」


「見慣れない『鞄』みたいなのを持って出ていったらしいぞ……」


「物騒ね……、強盗だなんて……」


「命あっただけ、儲けもんだろうさ……」


 野次馬の心配そうな声々が、静かに広がる。


 そんな中、その足元を縫うように小さな白い影が駆け抜けた。


 人ごみを掻き分け、先頭に出てきたのは、一匹の手乗りウサギだ。


 ひたりと足を止めて、前足を浮かせ器用に立ち上がる。


 桜色の鼻をひくつかせ、熟れた木苺のような双眸が悲惨な店内の様子を捉えた。


 ただ見つめるその丸くつぶらな瞳を縁取(ふちど)るように、眼光が走った。




 ※ ※ ※




 襲撃を受けた宿屋前に野次馬が集まる、ほんの数分前。


 クラウンは扉渡りで、宿屋街の外れにある二等級宿屋の一室に直接飛んだ。


 先に部屋に入ったのは、ダンやカイルを背に乗せた手乗りウサギ一行だ。


 ここは、スライドドアで部屋と寝室を仕切ることができる仕様のようだ。部屋には、テーブルと二脚の猫脚ソファーがある。


 手乗りウサギが寝室へと駆け込むと、クラウンは、戦闘で片足を負傷したハインに肩を貸して後続する。


 ハインが不安げに部屋を見回す。無断宿泊を気にかけたようだが、すぐに激痛が走って顔を歪めていた。


 寝室には小窓が二つあり、上等なベッドが二つ並んでいる。片側には手乗りウサギ達が力を合わせて、ダンとカイルをベッドに上げていた。


 クラウンは、なるべく痛みが出ないように、もう片方のベッドにハインをゆっくりと座らせる。


「ありがとう……」


 礼を言われたが、特に返すことはない。スライドドアが全開で仕切られていない部屋を一通り確認する。


 誰かが使用してる形跡はない。それが分かり、また彼女を見た。


 ハインの額から頬にかけて、痛みから来る大粒の冷や汗が流れ、その呼吸は浅く短い。


 クラウンは、彼女の前に(ひざまづ)くと、


「ちょ、と…」


 ハインは抵抗感を露わにするが、問答無用で右足のブーツを脱がせる。


 クラウンは彼女の踵を包むように右足を持ち上げると、ハインが苦悶の表情を浮かべた。


 一頻(ひとしき)り、足の状態を観察する。


(早めに治療した方が良さそうだ)


 右脚のアキレス腱が切れてから、それほど時間は経過していない。だが、治療が長引けば後遺症が残る可能性はある。


 白ウサギの頭でハインを見上げると、


「ハインさん。これから足を治すので、少しの間眠っていただけますか?」


「へ…?寝るったって…、この激痛でどうやって……」


 言い終わった瞬間、ハインは何かの気配を感じ取って、とっさに振り返る。


 そこには。


「こんにちは、『男たらし』」


 小窓から差し込む逆光で、その姿は輪郭しか捉えられないはずだ。


 突然現れたその者は、ハインの両の蟀谷(こめかみ)に触れないかの距離で両手を(かざ)す。そこから、薄紫色のぼんやりとした光が現れた。


「な…に…?」


 ハインの瞼が、ゆっくりと強制的に閉じられていく。


 彼女に悪態をついたその者は、人らしい『影』はしていたが、人にはない『もの』があった。


 ふるりと揺れる獣の耳と、長い尻尾。


 きっとその姿を、ハインは脳裏に色濃く焼き付けたことだろう。


「平気ですよ、眠らせるのは『彼女』が手伝ってくれます」


 そう伝えると、ハインの体はぐらりと大きく傾いてベッドに倒れた。





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