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ハインリッヒの旅枕  作者: えくぼ えみ
第一部 相容れない運び屋
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序章 それから数日後



 (こん)の空には、窮屈に見えるほど、青白い星々が輝いていた。


 そんな美しい星空の中で、大きな満月が誰よりも優しい光で大地を照らしている。


 ここは白い砂の砂漠に覆われた、143番地。


 鳥や虫さえいないような殺風景な白い砂漠には、町がある。


 町の建物は、土地特有の白い砂を利用している為か、全てが絹玉のように白かった。


 時刻は、深夜。住人たちは寝静まり、物音一つさえ聞こえてこない中、通りで数人の慌ただしい足音がこだました。


 男たちの、荒々しい息遣いがどこからともなく聞こえてくる。


 (おび)えた表情を見るに、何かから逃げているようだ。中には「ひぃっ…!」と短い悲鳴を上げる者もいた。


 その集団は、建物間にある小道へ駆け込んだ。


「こ、ここまで来れば…、さすがに追ってこねぇだろ……」


 一人の男が、物陰から逃げてきた道を覗き込む。


 他の男たちも膝や壁に手をついたり、腰に手を当てて休んでいた。


 数は、十人強だろうか。(みな)、色は違えど頭にターバンを巻き、風通しの良い生地でここ一帯の一般的な装いに身を包んでいる。


「にしても、今日はツイてなかったな」


「全くだ…。まさか『運び屋』に絡んじまうとはな」


「でもよ、あの女、強かったが少し抜けてるらしい」


「どういう意味だ?」


 災難を口にしていた仲間たちが、怪訝(けげん)な面持ちになった。


 物陰から様子を見ていた男が、「じゃーん!」と連中に見せつけるようにして何かを掲げる。


 その手には、古びた茶革製のアタッシュケースがあった。


 それを見た男たちに、「おぉ…!」とどよめきが走る。


「運び屋のアタッシュケースじゃねぇか!」


「あの中、どうやって……」


「へへ、盗っ人の意地ってもんよ。あんだけの乱闘だ、腕が鳴ったぜ」


 男は、誇らしげに鼻の下を指で拭った。


 すると、後ろの方にいた仲間が興奮した様子で前に乗り出す。


「は、早く中を見ようぜ!」


 アタッシュケースを持つ男は、「待て待て」と『大物』を前にして催促する仲間を(なだ)めながら、アタッシュケースを地面に置いた。


 すぐに留め具を指で跳ね上げると、簡単に鍵が外れる。


「そう焦せるんじゃねぇや。今、確認するからよ…。腰抜かすなよ?」


 前置きしてから、男はにやけ面のまま、ゆっくりとアタッシュケースを開けていく。


 緊張の一瞬だ。周りの連中も物々しい空気に生唾を飲み込む。


「………?」


 アタッシュケースを半分くらい開けたところで、何かに気づいた。


 ぴたりと止まった手に、周囲も気づいて不審に思った。


「お、おい、どうしたんだよ?」


 一人の男が、聞いてみるが。


 アタッシュケースの中身を見た男は、なぜか青ざめていた。


 そして、


「なん…だ、これ…」


 虫が鳴くよりも、小さな声だ。


 周りの仲間たちは、ぽかんと口を開けたまま、顔を見合わせる。


 それと同時に、男はバンッ!と勢いよくアタッシュケースを開け、


「なんだよこれ!」


 その声は、どこか怯え交じりの怒号に変わった。


 仲間たちは、態度が急変してたことに驚き、わずかに退(しりぞ)く。


 しかし、彼らも気づいたのだ。


 足元にあるアタッシュケースの異変に。


 アタッシュケースの中には、金目になるような物はない。


 たった一つの、古びた紙束を除いては……。


「くそ…!どうなってんだ!」


「『荷札』が、たったこれだけ…?まさか、あの運び屋、仕事帰りだったのか?」


「てことは、俺たち…帰宅途中の運び屋を襲ったってのか?なんてツイてねぇ日なんだ……」


 先ほどまで大いに盛り上がっていたが、急激に落胆の雰囲気が漂った。


 だが、それは、吹き抜ける夜風と共に終わりを告げる。


「何言ってるの?私はまだ仕事中よ」


 凛とした女の声が、頭上から聞こえた。


 男たちは一斉に見上げて、目を見開く。


 その女は、三階建ての建屋の屋根に静かに立っていた。


 焦げ茶色のフードがついたロングコートを羽織り、足にぴったりと張りつくような黒いズボンとクリーム色の長袖、機能性を重視したヒールのないブーツ。


 背中には、身の丈程の仕込み刀風の大きな刀を背負っている。


 雪のように白い肌と風に(なび)く長い黒髪、灰色がかった青い瞳と二重瞼のきりっとした男たちを見下ろす視線は、まるで狼を彷彿とさせた。


 その目で見つめられた男たちは、まるで小動物のように体を震わせ、がちがちと歯を鳴らす。


 汗腺(かんせん)から、狂ったように冷や汗が流れた。


「お化けでも見たような顔するじゃない。扱いがなってないわねー」


 女は、男たちの怖気づいた態度に呆れていた。風で煽られて顔にかかった髪を、手で払う。


 それから、ある一点に視線を集中させる。


「ん…?」


 よく目を凝らす彼女が見たのは、あの茶革の古びたアタッシュケースだ。


「ひ…!」


 下にいた男達は、睨まれたと勘違いして悲鳴をあげる。


 しかし、女は、


「あぁあー!? 私のアタッシュケース!」


 さっきまでの冷徹そうな態度を吹き飛ばし、アタッシュケースを指差しながら大声を上げた。


 男たちは女から視線を外さず、じりじりと踵を後ろへ引き下げていく。


「返してもらうわよ、そのアタッシュケース」


 青筋を浮かべて、引きつった微笑を浮かべる女の顔には怒りが見える。


 その言葉を聞いた瞬間、男たちの恐怖は爆発した。


「に…逃げろぉおおおおー!!」


 誰かの情けない叫びで、男たちは押されたように一斉に走り出した。


 アタッシュケースなんて、知らない。一刻も早く、ここから逃げ出さなくては。


「ちょっと!あんた達!」


 女の引き止める声は、まるで警告のように聞こえてしまう。


 なぜ、男たちがたった一人の女にそこまで怯えているのか。


 理由は、簡単だ。


「捕まったらおしまいだぞ!死ぬ気で走れぇえ!あの女……見間違えじゃなけりゃ!世界屈指の女剣士だ!」


 男の一言が、夜空に(とどろ)く。


 

 それは女の耳にも届いていたが、優越感に浸るでもなく、どこか気まずそうだ。


「……取って食おうなんて思ってないわよ」


 ひっそりと呟いた言葉は、男たちには当然聞こえない。


 すると、何かに気づいた女が、男たちの逃走先を見る。


「待って!」


 強く言うが、男たちは待たない。


 いや、そもそも、それはこちらに向けられたものなのだろうか。


「待って、と言われても…僕の勝手じゃないですか?」


 大通りに行かせないためなのか、ただの通りすがりだったのか。


 だが、『それ』は優しげな声と共に連中の前に現れた。


 ふさふさとした真っ白な毛並みと、真上にピンと伸びた長い両耳。光沢を帯びて、生き生きとした赤い瞳。


 作り物にしては、あまりに現実味のある白いウサギの頭を持つ異形――。


 男たちはその異形の者を見るなり、急ブレーキをかけたように立ち止まる。


 細身だが180cm弱の身長に、黒いズボンとブーツ、ファーフードのジャケットを着ている。だとすると、人間だろうか…?


 すぐそこまで、大通りが見えていたが、それでも男たちは動けないでいた。


「あれ…?僕、ヘルメット被ってますよね。なんでだろう…」


 その人物は、ウサギの頭を少し左右に動かして『被っていること』を確かめる。


 人数差で、強行突破だって出来るはずだ。


 それなのに、何かが走ることを断念させる。


 男たちを足止めしているもの。それは、恐怖心――。


 額にぴたりと銃口を当てられているような、緊張感のある気配を、その場にいる皆が確かに感じ取っていた。


 急激に渇く喉を、生唾がゆっくりと通り過ぎていく。


 目の前にいる者の正体も、彼らは知っていた。


「おっと…、これは失礼。道を(ふさ)いでましたね。どうぞ、逃げてください」


 ウサギの頭を被った異形は気づいたように柏手(かしわで)を打った後、道を譲るように体を真横に向けた。


 突然のことに最前にいた男が、「え、」と声をあげる。


「逃げて結構ですよ。僕はあの狼女とは違って、あなた方を咎めま…――」


「誰が狼女よ!」


 遮るように、屋上から怒鳴り声がして、同時に女は異形に向かって蹴りを放つ。ドギャッ!と凄まじい音を上げて、道の石畳にヒビが入った。


「……逃げてんじゃないわよ、当たらないでしょうが」


「わざわざ当たりたい人がいるんですか?僕、痛いのは嫌いですよ」


 異形は、寸でのところで攻撃を(かわ)したようで、女が着地したところより、三歩下がっていた。肩を(すく)めて、呆れたように首を振っている。


 小馬鹿にした意志は伝わっているようで、女は青筋を浮かべた。


「あんたねー!いい加減にしないと本当に(さば)くわよ」


「剣士のくせに剣を抜かないあなたを見て逃げるのは、盗賊くらいですよー」


 異形は、赤い瞳の下目蓋を引っ張って挑発する。


 女は「うるさい!」と言うだけで、事実、その背中に背負った立派な武器を使わない。


 そこで、ふと思い出したのか、女ははっとした様子で振り返る。


「しまった…!?」


「今度こそ逃げろぉおお!」


 二人が会話している隙を狙って、盗賊たちは(きびす)を返し、走り出した。


「誰が逃がすと思って!」


 女も追いかけようと走りかけたが、ぐんっと一気に体が引き戻された。


「な、なに…?」


 その原因は……。蹴りを放った足が、ヒビ割れた石畳にめり込んでいたからだ。


 しばらく女の思考は停止し、地面に埋まった足を見る。


「……んもぉおおおおー!」


 悲しくも夜空に響く狼の遠吠えと、その近くでウサギが声を殺して嘲笑った。


 急ぎ、両手で(すね)を引っこ抜こうとするも、見た目以上にしっかりと埋まっているのか抜けそうにない。


 その間にも、盗賊たちとの距離は広がる。


「あー!もう!抜けないぃッ!」


 冷静さを欠いた女は、駄々っ子のように声を張り上げた。


 すると、


「いい方法がありますよ」


 ピン、と何かを(ひら)めいたウサギが耳を伸ばす。


 それを聞いて、女は胡散(うさん)くさそうに目を細めた。


「あんたが、そう言うと悪い予感しかしないんだけど?」


「まぁまぁ、そんな怖い顔しないで」


 異形は女を宥めながら、腰に回していた右手を胸元に持ってくる。


 その手には、白い羽根扇が握られていた。


「な、なによ…それ…」


「僕を信用してください。『あの時』みたいに」


 物腰柔らかな声だが、確かに女を安心させるように力強かった。


 少し不安があるが、迷いはなくなったらしい。女は半ば強引に覚悟を決めて、口を閉じる。


 応えるように、異形はゆっくりと頷き返すと、


「砂嵐には、ご注意を!」


 柔らかい声で、羽根扇を勢いよく払った。


 その瞬間、異形の前に魔術陣が横一列に四つ展開された。


 二重の円とその(フチ)沿()うようにして、言語らしき文字が並んでいる。真ん中にはいくつもの図形と小さな記号が複雑に重なり、黄金(こがね)色の神々しい輝きを放っていた。


 そして、一際(ひときわ)目立つのは、四つの二重円形の魔術陣より前方に浮かび上がる『王冠の魔術陣』――。


「ちょっ…!あんた!なんで魔法なんかっ!」


 女の声は、突如として吹き荒れた風にかき消された。


 (まばゆ)いまでに輝く四つの魔術陣が、周囲の空気を吸い込み、激しい気流を生み出す。


「まさか…!」


 それが見えた時、女は初めて異形の意図が分かった。


「それでは、ハインさん、盗賊団の方々。()い空の旅路を」


 異形は強風に飛ばされないようにウサギの頭を上から片手で抑えて、意気揚々と見送りの言葉を投げる。


 それを合図に、四つの魔法陣から生み出された旋風(つむじかぜ)は、王冠の魔術陣で一つに集束した。


 その瞬間、


「こんのっ!ウサギ野郎がああああああッ!」


 (ゴゥ)ッ!と大きな竜巻となって、女剣士ハイン・リッヒと盗賊たちを飲み込み、龍のように天空へと巻き上げた。


「良い夜空ですね。星が笑っているみたいだ」


 ウサギは、風で舞い上がり、落ちてくる男たちや女剣士を横目に美しい景色を堪能した。



※ ※ ※



「……もうちょっと良い方法があったでしょ」


 女剣士・ハインが、静かに怒りを燃やしていた。


 ウサギの生首を被った青年・ベンジャミンは、しゃがんだまま丸く赤い瞳で彼女を見る。


「まだ怒っているんですか」


「当たり前でしょうが!」


 怒号交じりの返答に、ベンジャミンは溜息をつく。相当、ご立腹のようだ。


 ハインが怒っているのは、先ほどのことだろう。


 話を戻すと、隙をついてアタッシュケースを盗んだ不届き者が逃げようとしたので、ベンジャミンは魔術を行使した。


 ついでに足が抜けなくなったハインを巻き込んで上空へと飛ばし助ける、という一石二鳥の妙案だ。


 そもそもハインの自業自得なのだが、多少荒っぽいことをした自覚はある。


 しかし、終わり良ければ全て良し。


(ハインさんはともかく。彼女のアタッシュケースは、無事取り戻せた)


 安心したベンジャミンは、屋上から大通りで目を回して倒れる盗賊たちを見下ろす。


 暴風で飛ばされた盗賊たちは、落下先で、露店の屋根やら(たる)や木箱に入っている野菜が衝撃を緩和したおかげか、大した怪我はしていないようだ。


「あ、ありがとう……」


「へ?」


 ベンジャミンは、突然礼を言われ、素っ頓狂な声を上げた。


 振り返ってみると、ハインは頬を赤くして(むく)れっ(つら)だ。


「なんですか?突然……。何か企んでます?」


「あんたじゃないんだから、そんな訳ないでしょ!そういえば、ちゃんとお礼言ってなかったと思って…、言っただけよ……」


 最初こそ威勢は良かったが、徐々に声を小さくして、ハインは顔を(うつむ)かせる。


 どうも、助けてもらった感謝を素直に言い出せなかったらしい。


 ベンジャミンが一人で物思いに(ふけ)っている姿を見て、勝手に『言い過ぎた』とでも思ったのだろうか。


 内心混乱したが、気を取り直して、とりあえず適当に話そうと口を開く。


「感謝なんていいですよ。僕も荒いことをしたと思ってましたから」


「……やっぱり自覚あったのね、謝んなさいよ!」


 ベンジャミンは、うっかり口を滑らせてしまい、「あ」と声を上げて口元に手を宛がう。悪戯がバレてしまった。


 謝罪の催促をされる前に、逃げるように屋上から飛び降りる。


「ちょっと。もう行くの?」


 屋上に取り残されたハインから、声がかかった。


 ベンジャミンは、着地した反動でウサギの頭に(かぶ)ってしまったフードを下ろすと、彼女を見上げる。


「ここ数日間で起こったことは『協会』に報告しましたけど、協会長は色々聞きたいでしょうし。とっとと帰りましょう」


 少し肌寒い夜風が吹いて、ジャケットのポケットに両手を突っ込む。


「僕らは、運命共同体になってしまったんですから。何をするのも一緒ですよ」


 辟易したように小声で言えば、直後にハインが複雑な表情を見せた。


 心臓のところに添えた手を握り、拳を作っている。


 この呪縛から、いつになれば抜けれるのだろうか、と。


 そんな叶わないことを、一瞬考えてしまった。それは、きっとハインも思ったことだろう。


「ほら、早く〜。僕ら心停止してお花畑を見ることになりますよー」


「……分かってるわよ、すぐ行く!」


 飄々と促せば、普段通りハインが気丈に返事をする。


アタッシュケースを持って、ウサギを追いかけるように屋上から飛び降りた。



 一騒動終えて立ち去る、とある二人の『運び屋』。


 彼らが出会った物語の始まりは、これより数日前へと(さかのぼ)る――。





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