ep.8 手乗りウサギ
ベンジャミンのアタッシュケースは、事の成り行きを見守るかのように彼のすぐ足下にあった。
時間は正午を回り、太陽が真上に差し掛かる中、その真下では身振り手振りを交えて、黒髪の女が経緯を話している。
「…ていう事なんだけど、」
しばらくして、話し終えた女は、神妙な面持ちでベンジャミンの答えを待った。
「……なるほど、事情は分かりました」
話を聞いていたベンジャミンは、顎に握りこんだ指先を当てた。
女は、目を爛々と輝かせ、「なら、手伝ってくれる?」と声高に聞き返してくる。
ベンジャミンは頷いてから、続けて、
「アタッシュケースを盗まれるのは、協会としても不本意でしょうから。手伝います」
「やったー!ありがとう!一人じゃどうしようもできなかったし、助かるわ」
プレゼントを貰った子供のように、女は両手を天へと向けて喜ぶ。
ベンジャミンは、そんな彼女を侮蔑するような眼差しを送った。
女が経緯を話す中で少年に言われたことを思い出す。
「お間抜け運び屋という点では、僕も少年に深く同意します」
「……、はぁあああ!?」
一拍置いて、女が吠えながら詰め寄る。
ベンジャミンは、とっさに耳を指で塞いで鼓膜を保護すると、辟易した。
「だって、そうでしょう。武装してアタッシュケースを持って歩いている人間なんて、運び屋以外いませんし。売られた喧嘩にまんまと乗って、挙げ句アタッシュケース損壊、更には盗まれるなんて。正に、間抜けですね」
「あ、あんたねぇ……」
「協会側も再三に渡って、僕ら運び屋に忠告してます。売られた喧嘩は春の小川のように流し、アタッシュケースは餌を獲た猛獣のように死んでも守れと」
「わ、分かってる…わよ…」
どしっと正論を胸に叩きつけられた女は、一旦は飲み込んだ様子だ。
しかし、
「でも、間抜けは余計よ!私だって、アタッシュケース狙いの強盗なんて初めてだったし!それにあんな年端もいかない子供が危ないマネして…、どうしていいか分からなかったし……」
言葉尻に向かうほど、女の表情はどこか悲しげな色に変わっていく。
ベンジャミンは、その様子を黙って静かに見ていた。
その視線に気づいたのか、女はとっさに睨んできた。
「……なによ。なんか、言いたそうな顔してるわね」
「お間抜け運び屋」
ベンジャミンは容赦なく言い放つと、ついに女の堪忍袋は引きちぎれたらしい。
「叩っ斬ってやるわよ!もじゃもじゃ頭!」
子供のような悪口を叫んで、女は即座に背中の鞘から抜いた大刀を振りかざす。
「出会って十分とも経ってないのに!よくもそこまで人を!馬鹿にできるわね!」
「僕は、思ったことを、言っただけ、です」
冷静さを欠いた剣筋を読みやすい。ひょい、ひょい、とベンジャミンは跳ねるウサギのように躱した。
女は、蒸気のように鼻息を吹き出しているが、突然振りかざそうとした大刀を止める。
「そう言えば、あんた」
「?」
「名前は?」
「………。それは、その…名乗った方がいいんですか」
「せっかく協力してくれるんだし、名前くらい知りたいわ」
とんとん、と大刀の峰で肩を叩きながら、女は平然とした様子だ。
ベンジャミンは、僅かに唇を引き結ぶ。どうすべきかと悩めば、視線は自然と落ちた。
さっきまでの威勢は鳴りを潜めて、女は気まずそうに顔を逸らす。
「無理に名乗れって言ってるわけじゃないから」
「クラウン、です」
「え?」
「クラウン=ラウス、僕の名前です」
「……そう。私は、ハイン・リッヒ。よろしくね、クラウン」
ハインと名乗った女は、にっこりと笑ってみせた。
ベンジャミン――改めクラウン=ラウスは、名を呼ばれた瞬間、少し目を開いた。
すぐに切り替えて、
「それじゃあ、アタッシュケースを探しに行きましょうか」
「そうね。でも、徒歩で探すのは大変だと思うんだけど……」
さらっと自身の考えを話すハインに、クラウンは驚きを隠せない。
あからさまな表情の変化に、ハインも「なによ…?」と遠慮気味に声をかけた。
「まさか…、こんな広い町を歩いて探すつもりですか?」
「それしか方法がないんだもの、仕方ないじゃない。魔輪も195番地の外れにある駐輪場に置いてきちゃったし、それにここは魔輪走行禁止らしいし」
『明日は筋肉痛で、足パンパンになってそう』と付け加えるハインに、クラウンは冷めた視線を送る。
「ちょっと…なんて顔してるのよ。そんなに変なこと言ったかしら?」
「だいぶ変なこと言いましたよ。非効率です。もっと楽な方法で行きましょう」
あまりに無鉄砲な策に、聞いて呆れた。
地面に片膝をついてしゃがみ込むと、その様子を見ていたハインが小首を傾げる。
「何するのよ?」
「まあ、見ていて下さい」
ふんわりと微笑むと、徐ろに右手を地面に翳す。
ずっ、と周囲の空気が鉛のように重くなった気がした。見えるわけではないが、『何か』が、まるで渦を描くように流動していくのが服の上から伝わる。
同時に、クラウンの右手の真下で、ふわっと黄金色に輝く魔術陣が浮かび上がった。円形の中に文字と複数の図形が重なり合い、それらが廻っている。
そして、何より、その真ん中で他の図形や文字とは違い、不動に煌々と輝くのは、王冠を模した図だ。
「すごい……」
ハインから、感嘆の声が聞こえた。
クラウンは、射るような眼差しで魔術陣を見つめると、
「おいで、」
魔術陣の真下に、仄かな白い光が集束していく。小さな光は、パンを捏ねるように徐々に『何か』を象る。
ふわりと魔術陣が消える頃、重かった空気は一気に軽くなった。
恐る恐るハインが近寄ってきて、クラウンの足元を覗き見る。
すると、
「わあ~!可愛い…!」
クラウンの足元には、青白い燐光を纏った手の平サイズの八匹のウサギがいた。
魔術で造形されたものとは思えないほど、精巧だ。 唯一差異があるならば、そのサイズ感と、動く度に粉雪のようなきらきらとした青白い粒子が散るくらいだろう。
ハインは、目をキラキラと輝かせながら、しゃがみ込んで、
「ね、ねぇ!触ってもいい?」
「ど、どうぞ」
「ありがとう!」
半ば押しの強さに流されて了承すると、早速ハインがウサギを手招く。
手招きされた手乗りウサギが軽やかな跳躍で、彼女の肩に飛び乗る。
手乗りウサギは愛想良さげに頬擦りすると、その仕草にハインが黄色い声を上げた。
そんな姿を見て、クラウンはゆっくりと立ち上がると、残りの手乗りウサギたちが頭や肩に飛び乗ってきた。
「珍しいですね、人に懐くなんて滅多にないのに」
「そうなの?すごく人懐っこくて可愛いわ」
ハインは肩に乗った手乗りウサギを人差し指で撫でる。
手乗りウサギは、居心地悪かったのか、ふるふると粉雪を散らせながら頭を振った。
「とても綺麗ね、この子達」
にこり、と柔らかく微笑むその表情は、どこかのおとぎ話に出てくる姫のように美しく慈愛に満ちている。
思いがけず、手乗りウサギも見とれて、その小さな頬が紅潮した。
見とれていたのは、その手乗りウサギだけではなく、クラウンのところにいる他の手乗りウサギも、釘付けにされたようだった。
クラウンの頭や肩にいる手乗り白ウサギたちは、何かを伝え合うようにお互いを見合って、鼻をひくつかせる。
すると、
「あ、」
七匹の手乗りウサギが一匹を愛でる女に一斉に飛び移ったのを見て、クラウンは声を上げた。
「え!なになに?どうしたの?」
質量がない為、特に重くは感じないだろうが、いきなりのことにハインは驚いている。
細身の彼女の肩に全匹は乗れず、頭頂部や後頭部の髪にしがみついたり、はたまた彼女の顔にへばりついている手乗りウサギもいた。
あれよあれよと慌てふためく姿を見て、クラウンは、一瞬吹き出して笑った。
「ち、ちょっと!笑ってないで、何とかしなさいよ~!」
「い、いや…、彼らにもそんな感情があったんだなって思ったら、少しおかしくって」
「はぁあ…?」
ハインは、落ちそうな手乗りウサギたちをつまみ、安全な片腕の中に移動させる。
クラウンは、特に説明せず、笑いすぎて生理的に出た涙を拭う。まだ笑いが尾を引くが、ぱんぱん、と手を叩いた。
「お遊びはそこまでにして、」
その瞬間、手乗りウサギたちが、ハッとしたように耳を立ててこちらを見る。
ハインも釣られて目を向けると、息を飲んだ。
柔らかな微笑みを携えて、暖かみのある琥珀色の虹彩が、妖しげぼんやりとした光を帯びていた。
「…頼みますね、皆さん」
命令を下せば、クラウンの瞳に帯びた光は消えた。
手乗りウサギたちは、ハインの腕や肩、頭から、驚異的な脚力で一斉に散開する。裏道や、建物の屋根、道の奥へと消えていった。
その様子を見たハインが、「行っちゃった…」と残念そうに呟いた。
きらきらと舞い落ちる粉雪を、手の平で受け止めた彼女は、こちらを見る。
「あの子たちは、魔法の生き物なの?」
「あれは、偵察用の造形物ですよ。彼らの捜索能力なら、アタッシュケースは三十分くらいで見つかると思います」
「そうなのね……、あんたの元に帰ってくるの?」
「いえ。僕と彼らは視界を共有しているので、何か見つけたら手乗りウサギの目を通して、直接僕に伝わります。なので、見つけた暁には現場に直行です」
「な、なるほど……効率的ね」
「はい、徒歩での捜索よりは断然」
屈託ない笑顔を向ければ、ハインは、ムカついたように顔を顰める。
「……あんたの物言いが、嫌味っぽく聞こえるのは気のせいかしら?」
「いえ、嫌味です」
「開き直るなっ!」
瞬発的に怒るハインに対して、クラウンはただ愉快そうに笑った。






