第9話
少し痛々しい表現などがあります、ご注意ください。
ジェリダとルベルは無言でブレイブの後ろをついて行く。ブレイブにずっと警戒を続けているルベルは珍しくジェリダの前に立って歩いている。特にそれを不快に思うことも無くブレイブはいくつか角を曲がり、立ち止まった。
「ここだ。ここは魔法で結界が張られてる。よっぽどの衝撃が与えられない限り中も外も損傷することはない。だからよく冒険者がここで鍛えるために出入りしてんだが、俺がさっき貸し切って来たから誰のことも気にすることなく模擬戦闘ができる」
「貸切ったというよりあんたがここにいた人たちを追い出したんでしょ」
「まあな」
自分勝手、傍若無人。そんな言葉がよく似合う男だと言える。ブレイブが言った通り、中に入ってみるとシンとしていて他に誰もいなかった。適当に闘技場の奥に行くとブレイブは大刀を構えた。重さもかなりのものでもあろうその大刀を片手でぐるぐると回転させてどん、と床に大刀を立てる。
「よっしゃ、いつでもそっちのタイミングで掛かってきな。どれぐらいの腕前か見てやるよ」
戦力差は歴然としていた。だが、どうしてもこいつだけには負けたくないという思いがジェリダの心を占めていた。それはさながら同族嫌悪のようだった。
ブレイブは戦闘の構えを取らずに、楽に立っているだけだ。ジェリダは基礎魔法のスキルからいつもの炎の蛇を纏う。ルベルも剣を抜く。
「ジェリダ様、いいんですか?」
「何を今更。ぶっ潰す」
「いいねぇ。その威勢で来いよ」
最初に飛び出したのはルベルだった。一気に踏み込んでブレイブに切り込む。真っ直ぐに突き出した剣をブレイブは軽く柄で交わす。間髪入れずにルベルは切りかかる。それも軽く躱すブレイブの表情には余裕しかなかった。リーチが持ち前の大刀を持ちながらルベルをあえて懐に入れているのは遊んでいるとしか言えない。
「単調だな~。そんなんじゃ簡単に、死んじまうぞ――!」
「しまっ」
ルベルが少し後ろに下がったタイミングと同じくしてブレイブも少し下がった。そこでできた完璧なる大刀の間合い。横に薙げばルベルの首が飛ぶ。その時。
「うおっと」
一匹の蛇がブレイブの視界を遮る。そしてもう一匹が大刀の切っ先に体当たりをして狙いを外させる。ルベルは薄く首の皮に刃が掠るだけで済み、大きく後退して距離を取る。驚いた声を上げたものの、ジェリダの動きは読んでいたのか余裕は失われていない。
「すみません」
「気にしないで。あいつ、こっちを弄んで楽しんでる。殺す気はないんでしょうけど、やる気も感じない」
ブレイブは特にルベルのことを追撃することなくその場で大刀を肩に掛けて突っ立っている。
「なんだぁ、こんなもんで終わりか?」
そういうブレイブの大刀には先ほどの蛇の攻撃で掠り傷一つ付いていない。もちろん、ルベルの攻撃を防いだ柄にも傷らしいものは見えない。
「来ないならこっちから行くぞ」
その瞬間、空気が変わった。首を絞められるような圧迫感を感じたと思ったら二人の近くにブレイブが立っていた。思考が追い付かない二人は身動きが取れない。
「意識飛ばすなよ」
「がっ!!」
「きゃ!」
動こうと思った時にはもう遅い。一瞬の間にブレイブの蹴りで二人まとめて吹き飛ばされた。そのまま壁に叩きつけられる。
「かはっ」
「うっ!」
背中から壁に叩きつけられて肺から空気が押し出される。意識が飛びそうなほどの痛みが一気に襲い掛かって来る。ジェリダは蹴り飛ばされた時の脇腹が痛んだが、波は徐々に引いて行く。おそらく自己回復のお陰だろう。だが、回復能力を持たないルベルは痛みで動けないでいた。すぐに回復魔法をルベルに掛けようとしてまた一瞬で間合いを詰めたブレイブにジェリダは再び蹴り飛ばされる。
「あぁっ!」
「ジェ、リダ様!」
もんどりうつように転がされたジェリダは、早く体を起こそうと回復魔法を自身に掛けようとする。だがその前に、またブレイブはジェリダを蹴り飛ばす。何度も何度も蹴り飛ばした。まるでジェリダの体がボールのようによく飛ぶ。四度ほど蹴られた辺りでジェリダは気を失っていた。
「貴様ああああぁぁぁぁぁあああ!!」
ルベルは痛みを堪えてルベルが立ち上がり、ブレイブに斬りかかる。だが、力の入らない体ででたらめに剣を振り回してもブレイブには傷一つ付けられない。ブレイブは鬱陶しそうに溜息を吐くと、ルベルの鳩尾に深々と刃の付いていない柄先を突き込んだ。
「ぐうっ! …うっおえええぇぇ」
ルベルは飛ばされ、そして嘔吐する。その中には血が大量に混じっていた。どこかの内臓がやられているはずだ。骨も何本か折れている。
「お前は一番面白くねえな。この嬢ちゃんはまだ無詠唱が使えたり、まあそこそこいいタイミングで補助をしてるが、お前は何の特徴も必殺技らしいものもない。そんなんでよく剣を取ろうなんて思ったな」
「ゲホッ、ぐ、えほっ」
床と口元を吐しゃ物と血で汚したルベルはその顔を上げてブレイブを睨む。殺してやると殺気を籠めながら。その目にはかつてない程恨みの籠った瞳をしていた。
「俺を舐めるなあああぁぁぁぁぁああああ!!」
ピシリと、結界にひびが入る音が、聞こえた。
ジェリダは数度蹴られるうちにあの故郷の村でやっと手に入れた食料を大人たちに奪われ、上げく今のように何度も蹴られた経験が、水の上を漂う意識の中で思い返されていた。
あのような時、蹴り殺されたくなければジェリダは抵抗しなけばならなかった。どんなに大きな相手でも。だが、そんな大人を小さくする方法がある。
流れる時間のゆっくりとした中、ジェリダは夢現に思い出そうとしていた。脳が溶けて出て行くような思考速度の遅さ。
(どうするんだったっけ……)
その時、微かに音が聞こえた。水の中から何かが揺らいだ、そんな音。
(こえ……?)
水底から伝わってくるのは叫び声。泣き声にも似た必死の叫び。誰かが呼んでいる気がする。ジェリダは浮いていた状態から水の中に潜る。徐々に聞こえる声は大きくなり、やがて光に吸い込まれる様にしてジェリダは意識を覚醒させた。
「――っ、あ!」
勢いよく起き上がろうとして体のあちこちが悲鳴を上げる。苦痛に顔を歪めながら、近くを見ても誰もいない。ブレイブの物らしき大刀は近くに転がっているが姿はない。
「ルベルっ!」
ルベルの姿を探して背後を振り返った時、そこには信じられない光景があった。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
大人を小さくするには地面に転がせばいい。さっきまで考えていたことの答えが目の前にあった。ルベルはブレイブが仰向けに倒れた上にまたがり、笑いながら殴っていた。鈍い音と共にルベルの頬へ血が飛ぶ。下になったブレイブは意識はあるものの、それも限界に近そうだった。
「ルベル!!」
ジェリダはルベルから何かマズイものを感じ取った。勘と言ってもいいだろう。だが、こんな時の勘ほど当たるものだ。いまだに殴り続けるルベルを体の痛みをすっかり忘れて、後ろから羽交い絞めにした。
「ルベル! どうしたの! やめて!」
もがいてジェリダを引きはがそうとするルベルが一瞬、ジェリダの方へ首を向けた。
「――――――――」
その目を見た瞬間、ジェリダは金縛りにあった。ルベルの右目と目が合った時、血よりも赤く輝いて見えた。そのまま体から力が動けなくなった時。
「ふんっ!」
「っか……」
ルベルは上体を起こしたブレイブの拳によって沈められた。それと同時にジェリダの体に力が戻って来る。慌ててルベルの体を支えた。
「ルベル! ルベルしっかりして! 何があったの!」
ジェリダはブレイブに何をした、ではなく何があったのかと尋ねた。原因はブレイブにあるが、根本的にはルベルに何かがあったとジェリダは感じていた。
(この嬢ちゃん、中々鋭い所があるじゃねえか)
殴られて切れた口元を拭いながらブレイブは答える。
「嬢ちゃんが傷つけられたのにキレてここの外と中の結界をあそこに生えてる蔦で床をぶち破り、俺の足を拘束したと思ったら何発かいい蹴りを入れて、あの赤い目で金縛りにあった。で、あとは嬢ちゃんが見た通り、俺は金縛り状態のままいいように殴られたって訳だ」
ブレイブの視線の先を辿ると闘技場の床を破って伸びた蔦が、ブレイブの足に絡まっていた。
「……あの赤い目は何なの」
「さあね、だが、恐らくあれは魔眼だろうな。しかも両目でそれぞれ違う魔眼だ。あいつの蹴り、俺の蹴り方そっくりだった。偶然似てるなんてことはこの際ありえんだろ」
あーいてーと言いながら、殴られていた頬をブレイブはさする。ルベルは目を閉じたまま眠ったように静かだ。ジェリダは一先ずルベルの傷付いた体に回復魔法を掛ける。擦り傷や痣になってきていた部分が消えていく。その後に自分にも回復魔法を掛ける。
「なあなあ、俺には掛けてくれないのかよ」
「どうしてあんたに掛ける必要があるの? 私たちをこんなにした張本人に。自分でどうにかしたら」
「つめてーなー」
先ほどまで戦っていたとは思えないほどの気の抜けた言葉や態度。まるで小さな子供の様だった。
「俺はお前たちをギルドのポンコツ連中が止めなかったから、今からでも現実は厳しいんだぞって実践で叩き込んで止めてやろうって心意気じゃねえか」
「現実が辛いものなんて、いくらでも味わったわ」
それ以上二人は口を開くことなく無言でルベルが目を覚ますのを待った。しばらくして、ルベルは小さな呻きを上げて目を覚ました。
「お、れは……」
「ルベル!」
目を覚ましたルベルの瞳はもう爛々と赤く光っていなかった。ぼんやりとした目が宙を彷徨い、ジェリダを見て次にブレイブを見ると一気に意識が覚醒した。
「貴様!」
「待って、ルベル。もう戦闘は終わったから。落ち着いて」
「ですがっ!!」
「いいから落ち着きなさい」
有無を言わさぬそのジェリダの迫力にルベルは大人しくなる。だが、警戒を解かないルベルはずっとブレイブを睨んでいる。
「そんなに睨むなって。もう何もしやしねえよ。お前たちはルーキーだが、期待の出来るルーキーだって分かったしな。試すようなことをして悪かったよ」
「………………………………」
ルベルの目は信用が置けないと語っていた。だが、そこをジェリダが断ち切る。
「ルベル、さっき自分が何をしていたか記憶はある?」
「さっき……。俺はジェリダ様が傷つけられているのを見て頭が真っ白になって、それで……それで俺は……」
ルベルの頭には靄が懸かったみたいに記憶が消えていた。そこでようやくブレイブの顔に傷があることに気が付く。足に絡まる蔦も目に入った。
「俺は、俺は何をしたんですか……?」
「やっぱ記憶にねーか。ま、仕方ない。初めて魔眼を使ったんだろうし記憶が飛ぶのも仕方ねえ」
「魔眼?」
ルベルは自分の目に触る。自分が何をしたのか全く記憶にないルベルは不安そうな瞳をしていた。ジェリダはルベルのパラメーターを確認する。
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名前 ルベル
職業 剣士
種族 エルフ
年齢 15歳
称号 異端児
LV 28
HP 720
MP 548
《スキル》
弓術 LV 2
剣術 LV 4
槍術 LV 1
短剣術 LV 1
投擲 LV 1
《固有スキル》
緑の恩恵 LV 2 up
拘束の魔眼 LV 1 new
観察の魔眼 LV 1 new
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《拘束の魔眼》
右目に宿る魔眼。発動時に、目を合わせると相手を金縛りの状態にすることができる。目を合わせている間中発動し、目を離したり閉じたりすると効果は三秒後に切れる。
MPを50消費する。
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《観察の魔眼》
左目に宿る魔眼。発動すると見た者の動きをそれに近い状態で模倣することができる。一度模倣したものは自分の技術として吸収できる。
MPを50消費する。
*記憶が薄れると模倣ができなくなる。
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「固有スキルに魔眼が増えてる……。やっぱりその赤い目は魔眼だったんだね」
ブレイブの予想通り、ルベルのあの時爛々と輝いていた目は魔眼が発動していたからだったのだ。しかも両目がそれぞれ違う魔眼という類い稀なるものだった。ジェリダはルベルにそれぞれの魔眼特徴を話す。それを聞いたルベルは、自嘲気味に笑った。
「ハハッ、異端児などと言われたこの目はやはり、異端児らしく魔眼を持っていたんですね……」
その言葉を聞いてジェリダはルベルの額に渾身のデコピンを食らわせた。
「っつう!」
思わずルベルは額を抑えるとジェリダがパアン! と頬を叩いて目を合わせる。ルベルは驚いて声が出ない。そんなルベルにジェリダは怒ったトーンで話す。
「自虐的なこと言ったらデコピンだって言ったでしょ。いいじゃない、魔眼。しかも両目! 他にはない特徴なんだから、何を自嘲する必要があるの。その魔眼を使いこなせるようになったら戦闘でも役に立つ。いいことじゃない」
「ジェリダ様……」
ルベルは聖母でも見るかのような尊敬に満ちた瞳をジェリダに送る。と。
「ごほんっ! あのねぇ、俺がいるの忘れて熱い視線交わすのやめてくれます?」
しらっとした目でブレイブはジェリダとルベルを見る。
「なっ! 熱い視線を交わすなど!」
「何を馬鹿なこと言ってんだか。ルベル、行こう。もうこいつには用は無くなったんだし、帰るよ」
顔を赤くして慌てるルベルとは反対に冷たい表情でジェリダはブレイブを蔑むと、立ち上がってさっさと出口の方へと歩いて行く。慌ててルベルもその後を追う。
「不憫だねぇ」
ルベルを見てブレイブはそう呟いてルベルを哀だという目で見送る。二人が出て行くと、すぐに他の誰かが入って来た。そして、入るなり驚きの声を上げた。
「何だこれは―――!! ちょっとブレイブさん! むりや……貸し切りにはさせて貰いましたけどね、結界を破ってあまつさえ床に大穴開けるなんて何したんだ! これはきっちりあんたに弁償してもらうからな!」
大声でブレイブに迫ったのはこの闘技場の管理人だった。だが、ブレイブは自分がやったんじゃないと言おうとしてはたと気が付いた。
「はあぁ? 何で俺が…………ああ!」
そう、ジェリダは外に人が集まってきているのを聴いていたのだ。流石に結界が破れた音や床を突き破った轟音で周りにいた人々は驚いたのだろう。だが、Aランクのブレイブが中にいるということで誰も入ることが出来なかった。下手に入って巻き添えで誰も痛い目は見たくない。
そこにジェリダたちがさっさと帰ることで中での出来事は落ち着いたのだろうと判断し、管理人は中に入り、そしてこんな大きな破壊はブレイブしかいないと思わせたのだ。そもそも、まだ十三、十五歳の子供にこんな芸当できるはずないという先入観も手助けをして、完全にブレイブが弁償する流れになっていた。
「嵌めやがったなあのクソガキ――――――――――――!!!!!!」
ブレイブの悔し気な咆哮が闘技場の中に空しく響いた。
次は3月26日21時更新です。