「愛してる」が聞こえない女の子
それは、ごく普通に見える若い恋人同士の会話。
「ねぇねぇ」
彼は付き合いだしたばかりの彼女に囁いた。
「なぁに?」
彼女は彼氏の言葉を嬉しそうに待つ。
「『 』」
しかし、彼女には彼の声が聞こえない。
「なんて言ったの聞こえないよ?」
彼氏はもう一度、彼女への想いを込めて繰り返した。
「だから、『 』」
「……なんて、言ってるの……?」
やはり彼女には、ある言葉が聞こえない。
「……好きとおんなじ意味だけどそれよりもっと大きいこと」
彼氏は少し苛立ちながらも……
『あいしてる』
……と紙に書いて彼女に見せる。
「……なんて、書いてあるの? ……読めない」
彼女は寂しくそう呟いた。
これは――――、
「愛」を感じられない女の子。
「好き」は感じられる女の子。
――そんな女の子と、そんな女の子を好きになった男の子の物語。
やがて、二人は同棲を始めた。
「ねえ今日は久しぶりにエッチしようよ」
にこにこと笑って大好きな彼を誘う女の子。
でも、彼はあまり乗り気じゃなさそうで……。
「仕事で疲れてるの?」
心配になる彼女。
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「これ貴方が好きそうだと思って買ったのよ」
可愛いでしょ、と再び笑顔に戻る女の子。
「お前最近凄く可愛くなったよ。そのコスプレも凄くエロ可愛くて興奮するよ」
でもな……と口籠る彼。
「じゃどうしたのよ」
怒ったようにそう言う彼女。
「あのさ、最近お前とエッチしても『 』を感じないんだよ」
「……感じないの? どう言うこと? 私のこと好きじゃなくなったの?」
「ちがうよ。ちゃんと好きだよ。『 』よ」
「好きならいいけど……。でも好きだよの後、本当に何て言ったの?」
「えっ、いや、だから、『 』よって言ったんだけど……」
「…………そうなんだ」
彼女は寂しそうに呟いた。
でも、寂しそうなのは彼も同じだった。
それでもやがて、二人は結婚した。
「ただいま」
「おかえりなさい。食事にする? それとも、ここで私を襲っちゃう?」
彼氏から旦那さんになった彼を迎える奥さん。
「いや、俺は……」
「じゃあ、私が襲っちゃおうか?」
「ごめん、先に飯が食いたい……」
「わかった。ご飯が先で私が後ね」
と少し拗ねる奥さん。
「今日はハンバーグに山盛りポテトサラダかぁ……」
「貴方、ハンバーグもポテトサラダも好きでしょ?」
「いや、でも、この時間に帰宅してハンバーグとポテトサラダは……」
「そんなの帰宅時間に合わせて夕飯の献立なんて変えられないじゃない」
「そうだけど……」
「最近、私の食事に文句つけてばっかりだよね。いつもちゃんと作ってるのに」
「いや、それは認めるけど」
「……私のこと好きじゃないの?」
「そんなわけないじゃん。好きだよ。『 』よ」
「何言ってるの? いつも何言ってるか聞こえないし、分からない!」
「だから、『 』って言ってるんだよ」
半分怒りながら、怒鳴り気味で言う旦那さん。
そんな旦那さんに、奥さんは悲しそうに答えた。
「……あのね、付き合い始めた頃からその言葉だけが聞こえない。なんて言ってるのかわからない」
この時、旦那さんはようやくある事に気づいた。
そしてそれを確かめるために、付き合いだし時に一度したように
紙に『愛してる』と書いて奥さんに見せた。
「これ、読める?」
「何か書いてあるの? 白紙じゃない」
「………。」
旦那さんは確信した。
彼女には『愛してる』が聞こえない、見えないのだと。
「これはね、好きと同じ意味だけど、それよりもっともっと大きなものだよ」
旦那さんの説明を、奥さんは寂しそうに聞いていた。
結婚生活も三年目を迎えた。
「今日もソファーで寝るの?」
お風呂からでた旦那さんが奥さんにたずねる。
「私まだ排卵期じゃないのよ。寝るときぐらい独りにさせて」
「別に子作りだけがエッチの目的じゃないだろ」
「あなたを傷つけるつもりないけど、あなたと一緒に寝ると気が休まらないのよ」
その言葉に、普段は温厚な旦那さんも言葉を荒げた。
「そんなに独りがいいなら、じゃあ何で結婚なんかしたんだよ」
「あなたが好きだからでしょ。好きじゃなかったら一緒の家で暮らしたりしないわよ」
「それって、俺のこと『 』っていえるのか?」
「ごめん、相変わらず何言ってるか分かんないんだけど」
「俺のこと『 』のかって聞いてんだよ」
「ごめんなさい。本当に何言ってるか分かんないの」
こんなやり取りは、実は今夜だけのことではなかった。
「好きだけじゃ、夫婦って言えないだろ」
旦那さんが、寂しそうに呟くと……、
「どうして? 好き以上にいったい何があるっていうの」
奥さんは、ただそうやって答えるだけだった。
結婚生活六年目
「病院の検査の結果どうだったの?」
健康診断の再検査から帰宅した旦那さんを奥さんが迎える。
「あぁ……。大丈夫、大したことはなかった」
「よかった。もしあなたが癌とかだったら、私これからどうしたらいいか本当に分からないから……」
「そんなことで泣くなよ。本当に大丈夫なんだから」
「それより、今夜も頑張ろうか」
旦那さんは奥さんを気遣う様に少しおどけてみせた。
「そうね。あっちの検査は順調におたまじゃくしが増えてきてるみたいだもんね。私の中にいっぱい注いで、早く赤ちゃんをプレゼントして」
実は二人は、まだ子供に恵まれず不妊治療を続けていたのだ。
「……あぁ、そうだね」
旦那さんは、いつもと同じ様に、優しく奥さんに微笑みかけた。
数日後
奥さんは病院の霊安室にいた。
「どうして交通事故なんかに自ら巻き込まれちゃうのよ。あなたが命をかける必要なんてなかったのに」
旦那さんは、横断歩道でトラックに轢かれそうになった子供をかばって亡くなったのだ。
そして、その病院で旦那さんの主治医だと名乗る医者にある事実を知らされる。
「そんな、余命一年だったなんて。だって先日の病院の精密検査では異常なく大丈夫だったって……」
医者は、旦那さんに個人的に頼まれたという手紙を奥さんに渡した。
自分にもしものことがあったら、奥さんに渡してほしいと頼まれた手紙だった。
「これ、まさか遺書なの!?」
『君がこの手紙を読んでいるということは
僕は既にこの世に居ないんだね
あの時の検査の結果、僕の余命が一年しかないと分かったことを
君に黙っていたことをまず謝るよ
でもね、君にどうしても伝えたいこと
いや、君にどうしても届けたいものがあったんだ
それはね、今君が感じている心の中にぽっかりと空いた穴なんだ
僕はね、どうして君が僕を愛せないのか
いや、どうして君は愛を感じることができないのか
ずっと悩んできた
君の不遇な生い立ちも知っているし
僕と付き合う前に君が悲しい経験を沢山してきたことも知っている
だからこそ僕はこの七年間
それを埋め合わせるために一生懸命に君を愛してきた
でも君は少しも僕の愛を判ってくれない
いや僕の愛に気付くことができなかったんだよね
それで考えたんだ
僕は確かに君を愛してきた自信がある
きっと僕の愛は君に届いていると確信している
それでも僕の愛に気が付かないなら
君の中にある僕の愛を奪ってしまえば
きっと君は失った僕の愛に気が付くだろうと…
だから僕は、余命一年と宣告され
どうやってその計画を実行するかいつも考えていたんだ
そして、今君がこの手紙を読んでいるということは
僕の計画は見事に成功したわけなんだね。
どうだい? 今、君の心の中にぽっかりと空いた穴を感じるかい
それが愛だよ 君の失った愛なんだよ
その穴は、これから君が独りで生活をするようになったら
もっともっと大きく もっともっと深くなるだろう
でも悲しむことは無いよ
その穴が大きければ大きい程 君の愛は大きくなる
その穴が深ければ深い程 君の愛は深くなる
君はこれから、そのことに少しずつ気が付いていくんだ
そうすれば君は今まで聞き取ることができなかった愛の言葉を
今まで感じることの出来なかった人々の愛の営みを
きっと感じることができる
そしてこれからは、その穴を自分の愛で埋めるように生きてごらん
そうすれば君は、たくさんの人を愛することができるし
そうすれば君は、たくさんの人から愛されるようになる
これが僕が君に届けたかった最後のプレゼントだよ
君の愛した僕より』
「そんなの酷いじゃない。そんな愛なんていらない。私はあなたがいればそれで……」
手紙を読み終えた奥さんは、そう言ってただ泣き叫ぶだけだった。
そして、更に二十年後……。
街のとあるホールで、連弾デュオのピアノコンサートが開かれた。
『聴こえるあなた。あなたが残してくれたのは愛だけじゃないのよ。
この演奏はあなたの子供たち(双子)が奏でているのよ。
そして見えるかしら、彼と彼女の演奏がこんなにも大勢の人達に祝福されているのを。
これが、あなたが命を懸けて私に届けてくれたものです。
そして、私も命のある限り、あの子たちにあなたの愛を伝え続けてゆきます』
完
小説家デュオとしての二作目です。
Twitterを通して合作された若い男女の物語から、
夫婦の絆を通して本当の『愛』とは何かを描きたいと思い
二人で綴った短編作品です。