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彼女達は嘘をつく  作者: 与那覇勇一
第一章
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第一章 2

 いつまでも黙りこくっているわけにはいかない。だいいち信号の前で仲良く自転車二台止まっていては通行の邪魔だ。ちょうど今も鈴を鳴らしながら横を自転車が通り過ぎていく。乗っている男子生徒はひどく迷惑そうな顔をしていた。俺は意を決して口を開く。

「ああ、そうだよ。悪いか」

 桜はちょっと間を開けたあとに意外そうな顔で答えた。

「すぐに認めるんだね」

「別に悪いことじゃないからな」

 そう言うと俺はペダルを再び漕ぎ始めた。桜も俺に並んで走りだす。

「それに一目惚れってわけじゃないぞ」

「翔ちゃん、楠木さんと接する機会あったの」

 不思議そうに尋ねた桜に説明してやる。俺はちょっと考えてから答えた。

「実際に話したことはないけれど廊下で見かけたりしたよ」

 桜が笑って指摘を入れる。

「そんなのほとんど一目惚れみたいなもんじゃん」

「一回以上見てるんだから一目惚れじゃない」

 俺の反論に桜はますます笑った。実はほんの一回だけ会話をしたことがあるのだが桜には黙っておいた。どうせ楠木さんが覚えていないような他愛のない会話だ。

 いつのまにか市街地を抜けてあたりは田んぼと畑だらけになった。のろのろと走っている農業用トラクターを一列になって追い越す。小学生がオナモミを投げ合って無邪気に遊んでいる。桜がその光景を見て懐かしそうに言った。

「そういえば小さいころオナモミを投げ合ってたね。私って運動音痴だから、たくさん服につけられて大変だったじゃない」

 突然の話題を一方では不思議に感じ、他方では呆れて答えた。

「随分昔のことを言うんだな」

 桜は俺の言葉に口では答えずに静かに笑っているだけだった。

 それから俺達は示し合わせているわけでもないのに、自然と無口になった。俺達の家と学校は自転車で二〇分ぐらいかかる。あんまり親しくない間柄だとだんまりすると気まずい長い時間だろう。でも俺達はそこまで仲が悪くなったわけじゃない。

 僅かだが俺の家のほうが学校に近い。というわけで俺の家の前で自転車を一旦止めた。

「じゃあね、翔ちゃん。楠木さんと付き合えたらいいね」

 そう告げて桜は俺と別れようとする。気が付くといつのまにか俺は桜の肩を掴んでいた。あいつは俺の手を振り払うことはしなかったが心底で驚いたような顔で尋ねる。

「何?」

 極めて恥ずかしいことだが俺は恋愛経験が全く無い。まだたった一度さえ女子と付き合ったことがないのだ。笑ってしまうだろう。

 そんな俺があのイケメン千種とまともに戦って勝ち目はない。悔しいが美男美女でお似合いのカップルだ。しかもあいつはもう楠木さんとだいぶ親しいのだ。俺はなお努力しなくてはならない。

 黙って自転車を漕いでいたうちになんとなく考えていたことだ。でもそれを打ち明けるのは幼馴染の間柄とはいえさすがに気恥ずかしかった。別れる直前になってほとんど無為意識的にやっと動けたのだ。自分でも恥ずかしい台詞だと思いながら桜に頼み込む。

「俺に女心ってやつを教えてくれよ。今のままじゃ付き合える未来が見えない」

 かなりの時間が立ったあとに桜は突如として笑い出した。ものすごい大笑いだった。いくら田舎とはいえ近所迷惑になりそうなくらいだ。あわてて口をふさぎ、静かにさせる。俺はますます恥ずかしくなりながら投げやりに言う。

「そんなに面白いかよ」

 桜は少しも悪びれることなく微笑んだままで答える。

「すっごい面白い」

 まあ当然の反応かもしれないと自分を納得させる。帰宅しようとすると後ろから声がした。 

「待って、断ったわけじゃないよ。だって私は翔ちゃんの幼馴染だもん」

 桜の笑みは先程の人を馬鹿にするものとはちょっと違っていた。だがそれが俺への思いやりに満ちたものではないことは確かだ。


 桜はベッドに座って足をばたつかせながら、ありがたい教えをご教示してくれた。

「最初に言っておくね。恋愛にマニュアルなんて存在しないんだよ、翔ちゃん」

 足の動きに合わせて制服のスカートが揺れる。

「うるせー分かってるよ。馬鹿」

 俺がすぐに口答えするとあいつはにんまりと恐ろしい笑みを見せる。

「ふーん、私に対してそんな口の聞き方していいんだあ」

 桜の言葉に俺は言い返すことが出来ない。あいつはその様子を見て本当に嬉しそうに付け加えた。

「自分の立場がよくわかっているじゃない。ちゃんと私の言うことを聞くのよ、翔ちゃん」

 俺は力なく頷くしかない。もとより背筋を伸ばして正座をさせられているのだ。俺の威厳は地に落ちた。桜は満足そうに言葉を続けた。

「でもマニュアルはないけれどコツみたいなものならあるわね」

 なおもにたにたと俺を見つめている桜に頼む。

「じゃあさ、その恋愛のコツっていうのをちゃっちゃと教えてくれよ」

 いきなり桜が俺の鼻を人差し指でつついた。

「何すんだよ」

 という正当な抗議をガン無視して桜は言い放つ。

「そんなんだから翔ちゃんは駄目なの。ただでさえ冴えないんだから、人一倍努力しなきゃいけないのに。サボっちゃ駄目だよ」

 内心少し傷つきながら反論を試みる。

「さらっと酷えこと言うなあ。余計なお世話だよ」

 間髪をいれずにあいつが平然と答える。

「だって事実でしょ」

 口答えする機会すら与えずにあいつは俺の欠点をあげつらっていく。

「こんな風に口が聞ける女子は私ぐらい。好きな女の子と話すと途端に弱気になって、気の利いたことの一つも言えない。挙動不審になって意味不明瞭なことを口走る始末。傍から見ていると完全に危ない奴。しかもお洒落なんてまるで興味が無い。たまに見かけると本当にダサい格好をしててこっちがいたたまれなくなってくるよ」

 ぐさりぐさりと言葉が刺さっていく。俺への罵詈雑言を言い終えたあいつの顔はどこまでも真顔だった。楠木さんが太陽ならこいつはさしずめ暗い自分では光を発せない月か。

 いや月は少しかっこ良すぎる。桜にはもったいない。そうだ、こいつには冥王星あたりが似合っている。太陽系の果て、惑星という称号を剥奪された哀れな冥王星。

「何、ニヤついてるのよ。気持ちが悪い」

 桜=冥王星説を考えているうちに自然と笑みがこぼれていたようだ。慌ててその場を取り繕う。

「すまん、すまん。いやただの思い出し笑いだよ」

「ふーん、とにかく気持ちが悪いわね」

 棘のある言葉を吐いた後で、桜はベッドに寝転んだ。黒いソックスを履いた足を思い切り伸ばし、リラックスしているあいつに尋ねる。

「それで結局どうしたらいいんだ」

 桜は頭に手を回し、寝そべったままで答える。

「そうね、まずは楠木さんのことを知るのが一番重要だわ。孫氏も敵を知り己を知れば百戦危うからずと言っているし」

 そういえばこいつ妙に小難しい言葉を引用する癖があったなと思いつつ答える。 

「なるほどじゃあ楠木さんのことを観察し続ければいいんだな」

 呆れた顔で桜が指摘する。

「馬鹿じゃないのそんなのストーカーじゃない」

 顔はムカつくが言っていることはもっともだ。俺は押し黙る。桜が何も分かっていない幼子に教え諭すように言葉を続ける。

「楠木さんの情報収集は私がやってあげるわ。同性だからやりやすいでしょう」

「ほんとうに? ありがとう」

 桜の親切さに自然と頭がさがる。

「楠木さんのことになると文字通り頭が上がらないのね」

 桜が皮肉を言いながら笑った。顔が熱くなるのを感じる、桜から見たらきっと真っ赤になっているだろう。言い返す言葉もない。気を取り直して桜に尋ねる。

「それで俺は何をしたらいいんだ。まさか待機っていうわけでもないだろう」

 すると桜は顎に手をあてながら答えた。

「そうね。翔ちゃんは自分のスキルを上げることにとりあえず専念しましょう」

「で、具体的に何をするんだよ」

「まずは私のことを楠木さんだと思って接してみなさい」

「はあ?」

 唐突な言葉に間抜けな声が漏れる。桜はそんな俺にかまわずに説明を続ける。

「イメージトレーニングよ」

 俺は思わず苦笑してしまった。

「お前と楠木さんじゃ違いすぎて無理だよ」

「四の五の言わないの!」

 怒った桜が起き上がって俺の肩を叩く。慌てて無理矢理にでも想像しようとする。桜が楠木さん。楠木さんは桜。ここにいるのは楠木さん。などという言葉を目をつむりながら何回もブツブツと呟く。傍から見ているとこれこそ完全に危ない人だ。

 目を見開くとそこにいたのはなんと楠木さん! ではなくただの桜だった。

「無理だよ」

 心の底から出た小さな俺のつぶやきに対して桜は不満そうだ。

「あっ、そう。案外根性ないのね」

 根性で何でも解決するわけ無いだろう。いまどき巨人の星じゃないんだぞ。などと心のなかで毒づくが、桜が怖いので口にだすのはやめておく。桜はそんな俺の気持ちに気づかずに喋り続ける。

「じゃあ楠木さんがっていうのはなしで、女子一般を相手にするみたいに私に接してみてよ。私達が幼なじみっていうのは忘れるの」

 そう言われるとそれはそれで困る。俺が女子から話しかけられることなどそんなにない。自分から女子に話しかけることに至っては事務連絡ぐらいだ。

「早くしなさいよ」

 桜がそんな俺を見て苛立ったように急かす。やむを得ずおずおずと喋り出す。

「いい天気ですねえ」

 窓の外を見るという動作も加えた俺の苦心の回答は桜に一蹴される。

「零点。馬鹿じゃないの。不自然すぎるわよ」

 自分でも下手すぎると思っていたので言い返すことが出来ない。雲一つない快晴を見ながら俺の心はどんよりとなった。桜はそんな俺の様子を見て調子に乗ったように言葉を続ける。

「実践演習をするにはまだまだレベルが足りないみたいね」

「レベルってなんだよ」

 心底疑問に思いながら質問すると桜は即答する。

「恋愛レベルよ」

 沈黙が流れる。桜が怪訝な顔をする。一方の俺はというと笑いをこらえるのに必死だった。笑っちゃ駄目だ。そう思うほど笑いたくなるのが人間ってものだ。やがて抑えきれずに大笑いしてしまう。こうなったらもうやけだ。呆気にとられる桜に笑いながらなんとか突っ込む。

「なんだよ、恋愛レベルって馬鹿じゃねえか」

 怒るかと思ったが予想に反して桜はため息をついた。思わぬ反応に違和感を感じて尋ねる。

「どうしたんだよ、体調でも悪いのか」

 蔑んだ目で桜が俺につきつけるように言う。

「人のアドバイスを素直に聞けないから、彼女いない歴=年齢っていう悲しい公式を打ち崩せないんじゃないの」

 今度は俺が思わずため息を漏らした。

「それを言うのは反則だろうが」

 桜は俺の言葉を無視してさらに嫌味を言う。

「例えば翔ちゃんって言葉遣いが荒いよね。今みたいに」

 事実を指摘された俺は言い返せずに押し黙るしかない。

「不良みたいでいまどき流行んないよ。やっぱり現代の乙女が求めるのは爽やか君でしょう」

 聞き慣れない言葉に思わず首をひねる。

「爽やか君? なんだよそれはガリガリ君のパクリ商品か」

「まあ簡単に言うと明るくてお洒落で女子に優しい男の子かな。その名の通り一言で言えば爽やか」

 桜の説明に俺は心底呆れた。

「気色わりーな。ぜって友だちになりたくねえ」

 素直な感想を漏らすと桜は近づいて俺の口に人差し指をあてがった。

「文句ばっかり言わないの。さっきも言ったようにまず恋愛どうこうの前に人の意見を聞きなさい」

 俺は桜の気迫に負けて何も言い返せない。そこで階段を登る音が聞こえ、しばらくすると扉がノックされた。


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