梅干の木
今は昔の物語。
小さなお殿様が治める小さな所領に、梅千代という少年がいた。
梅千代の父親は、お殿様に仕える侍大将だった。侍大将と言っても、昔と違って戦があるわけでもないので、日々お殿様を守る仕事をしていた。
しかし、梅千代は父親が侍大将であることを誇りに思っていたし、自分も将来父親のように侍になり、腰に刀を差すのが夢だった。父親もまた、跡継ぎということで梅千代をとても可愛がっていた。生まれた時の祝いにと、家の道向かいに一本の梅の木を植えた。
梅千代と梅の木はすくすくと育った。梅の木はあっという間に梅千代の背丈を追い越して毎年花を咲かせ実をつけるようになっていた。
梅千代が十ニ歳の春のこと。用事のために家を出た梅千代は、梅の木がいつもと違うことに気づいた。よく見ると、茜色の着物を着た小さな女の子が、梅の木に登ろうとしているではないか。さほど枝も太くはない梅は、たとえ子供の体重でも簡単に折れてしまうだろう。
それにこの梅は、梅千代にとっては大事な木だった。いくら道の側に植えられているとは言え、知らない子供に登られるのは大層腹が立った。だから梅千代は、女の子に向けて「こらっ!」と怒鳴った。
突然の大声に驚いたのだろう。女の子は足をすべらせ、「きゃっ」と小さな声をあげた。落ちまいとあわてて枝を掴むが、それはとても細くて女の子を支えられそうにない。
バキッという音と共に枝はへし折れ、女の子はそのまま地面に落ちてしまった。さほど高いところではなかったおかげで、女の子は「いたいいたい」と自分の尻をなでながらも立ち上がった。その手には、まだ折れた梅の枝を握っている。
女の子が落ちたことよりも梅の枝を折られたことに、梅千代はなお腹を立てた。
「その梅は、私の木だ。どうしてお前は勝手に私の木に登った!」
自分よりずっと年下の女の子にそう文句を言うと、女の子は小さな声で「ごめんなさい」と言った。しかし、梅千代は許さなかった。
「私はどうしてかと聞いている」と、もう一度問い詰めた。どうせ子供の気まぐれだろうと思った。それならそれで、もっとひどい言葉を言ってやろうと考えていた。
「梅の木には……梅干がなるって聞いたの」
しかし、女の子の答えは不思議なものだった。梅干のなる木だと思って、木に登ったと言い出したのだ。梅千代は、何て馬鹿な子供だろうと女の子を睨みつけた。梅干が梅の実から出来ることは梅千代でも知っている。しかし、そのまま漬物が木になることはない。きっと誰かにからかわれたことを本当だと信じてしまったに違いない。
梅千代は、ふと意地悪なことを思いついた。
「梅干のなる木がどこにあるか言ってみろ。いいや私に見せてみろ。そうすれば、この木に登ったことも、枝を折ったことも許してやろう」
女の子は、びっくりした顔で梅千代を見た。そのまま何も返事が出来ずに黙り込んだので「それ見たことか」と悪態をついて梅千代は去って行った。用事をすませて帰ってきた時には、もう女の子はいなくなっていた。折れた枝もどこにもなかった。
それから三日ほどが過ぎた。
「梅千代や」と母に呼ばれて玄関へと出向くと、そこにはあの女の子が立っていた。後ろに大きな風呂敷を持った無精ひげの男を連れていた。男は女の子の父親で、娘が梅の木を折ったことを詫びに来たという。母親が見ている手前、梅千代は前のように怒鳴ることはしなかったが、不機嫌な顔のまま突っ立っていた。
女の子の父親は、抱えていた風呂敷包みを差し出して「これは梅干のなる木でございます」と言った。娘が阿呆なら親も阿呆なのかと、梅千代は男を見上げた。男は澄ました顔で風呂敷包みを解く。
中から出てきたのは、見事な梅の木の──彫り物だった。鉢に本物の土が敷かれ、まるで盆栽のように梅の彫刻が枝を広げ花をつけている。元は白木のようだがそれが赤黒く染められていて、彫刻全体から梅干の匂いがする。
梅千代は気づいた。おそらくこの木には梅干を漬けた汁が塗ってあるに違いない、と。
何と子供だましのことをするのかと文句を言おうとしたが、母親が「まあまあ、何て素晴らしい梅でしょう」と嬉しそうにしたために、梅千代は何も言えなくなってしまった。
「この木は、良かったら庭にでも置いてください」と、またも男は妙なことを言い出す。本物の木ではあるまいし、こんな彫刻を外に置いたら雨でそのうち腐ってしまうではないか、と。
しかし、忌々しいこの偽の梅の木にはいい最後かもしれないと梅千代は思った。腐った姿を見て笑ってやろうと心に決めて「分かった」と答えた。
親子が帰った後、「こんなに素敵な梅の木、腐らせてしまうのは勿体無いわ。床の間に飾りましょう」と母親が言い出した。しかし梅千代は、持ってきた人がそうしろと言ったのだからと彫刻を庭に持って降りた。腐った姿がすぐ分かるようにと、梅千代の部屋の障子を開ければ見える場所に据える。
それから梅千代は、朝起きる度に梅の彫刻を見て暮らした。今日にも腐るか明日にも腐るかと見るが、さすがにそんなに早く腐りはしない。雨に打たれ風に吹かれ日にさらされ、少しずつその身の色を変えながら、梅の彫刻はそれでもなお梅千代の庭に咲き続けた。
不思議なことに、梅千代はそれをちっとも見飽きなかった。梅千代は母親からあの女の子の父が、町で一番の彫り物師であることを聞いた。なるほど道理で美しい梅だと思いはしたが、素直にそれを口にすることは出来ずに梅千代は、早く腐れと偽者の梅に悪態をついていた。
春が過ぎ、夏になり秋になった頃、ひとつの事件が起きた。
梅千代は、馬から落ちて足の骨を折ってしまった。足の骨がくっつくまで這って家の中で暮らさなければならない梅千代は、とてもつらく情けない思いをした。自由に外を歩き回ることも出来ず、立派な侍になる稽古も出来ない。
冬になってようやく骨がくっついた頃には片方の足はやせ細っていて、自分の足ではないようだった。
骨がくっついても、すぐに梅千代は歩けるようになったわけではない。歩こうと足をつくととても痛かった。ただ歩くことが、こんなに痛いものなのかと信じられなかった。もういやだと母に当り散らし父に叱られ、梅千代は布団をかぶってすっかりふさぎこんでしまった。
新年になっても、梅千代は暗い顔で部屋に閉じこもっていた。母に「おまえの梅の木がつぼみをつけたよ」と言われても、到底見に行く気にはなれなかった。見に行くためには歩かなければならない。痛い思いをしなければならない。それはもういやだったのだ。
そんなある日。
庭に向いた障子を開けると、いつもと景色が少し違っていた。庭に置いていた彫刻の梅の木が、ついに腐って枝を落としていたのである。
ついに待ちに待ったその日だというのに、梅千代は最初の頃の気持ちも忘れて嘆いた。お前まで私と同じように駄目になってしまうのかと。
しかし、不思議なものが梅千代の目に映る。
腐り落ちた彫刻の枝の中から、何かが見えていた。それが一体何なのかとよく目をこらし、まさかと思った。思ったら梅千代は部屋から這い出ていた。痛い足を引きずり庭へと降りて、梅の鉢へと近づいて座り込んだ。
梅千代は、おもむろにそのほとんど腐った彫刻を素手でむしり始めた。ぼろぼろと崩れてゆく美しかった偽の梅を全てむしりとると、梅千代は自分が考えたことが間違いではなかったことを知る。
梅の彫刻の中に隠されていたものは──本物の梅の枝だった。
ああと、梅千代は気づいた。ああ、この枝はあの時の枝だ。あの時女の子が折った枝だ、と。
彫り物師は、彫刻の中に折れた梅の枝を入れ、鉢に挿していた。そのために本物の土を敷いて、梅千代に庭に置けと言ったのだ。鉢に水をやるために。
不思議なことに、外側の木の部分は腐っても梅の枝は腐ってはいなかった。
梅千代は、むかし父の言った言葉を思い出した。
『梅千代や、梅は腐りにくい固い木で、寒くてもたくましく咲く。だからお前も梅のように強く育てと梅千代と名づけた』
梅千代は寒い中、庭に座り込んだまま梅の枝を見つめていた。その梅が生きていることは見れば分かった。枝の先に小さな、本当に小さなつぼみがひとつついていたからだ。
梅千代は庭にうずくまって泣いた。悲しかったのではない。悔しかったのだ。梅は折られてもなおこんなにも強く生きようとしているのに、足が折れた自分はどうしてこんなに弱いのかと。
胸の奥からわき上がる弱い自分を涙と一緒に流しきった後、梅千代は着物の袖で顔を拭う。
そして、立ち上がった。
梅千代は、歩いた。痛い足を引きずり、顔をゆがめながら歩いた。遠かった。あんなに近かった場所がとても遠かった。
梅千代はようやくそこにたどりつき、それに両手をついた。
見上げたのは、梅の木。梅千代のために植えられた、家の道向かいの梅の木だった。長い間こられなかったその木まで、ようやく梅千代はたどりつくことが出来たのだ。
梅千代の木は、あの枝とは比べ物にならないくらい、たくさんのつぼみをつけていた。
それから、梅千代は毎日歩くようになった。最初は梅の木まで。そこから少しずつ少しずつ遠くまで歩く。
一年歩き続け、梅千代の足はついに元通りになった。
それから更に一年後。
梅千代は、風呂敷包みを持って歩いていた。そして、小さな家の木戸を叩いた。「はあい、どちらさま」と女の子の声がして戸が開く。女の子は訪ねてきた梅千代の顔を見てびっくりしていた。あの梅の枝を折った女の子だった。
父親に用があると言うと、女の子は裏の作業場にいると答えた。梅千代は案内された小屋で、木屑をたくさん着物にくっつけた無精ひげの彫り物師と会うことが出来た。
「おや、大将のぼっちゃん。しばらくお目にかからない間に随分男前になられましたなぁ」とにやっと笑われて、梅千代は少し恥ずかしくなった。しかし、顔を上げてこう言った。
「梅干のなる木だが……」
すると、彫り物師は「ああいや、あれはまあ洒落のようなもので」と慌てて苦笑いで言い訳をしようとした。
しかし、梅千代はそれを最後まで聞かずにこう言った。
「その木に見事な梅干がなったので……持って来た」
そして梅千代は、風呂敷包みを差し出した。風呂敷を解くと、そこにはたくさんの梅干の入った鉢が出てくる。梅千代の母が去年漬けた梅だった。歩けるようになったこの足で、自分の木から梅千代自身で集めた梅だった。
ごくり、と女の子がつばを飲み込んだのが見えた。父親の方もごくりとつばを飲み込むまでは同じだったが、その後で愉快そうに笑い始めた。
「そうですか。梅干がなりましたか」
「ああ、良い梅干がなった」
梅千代は、男に鉢を渡しながら頷いた。
「それは良かったですなあ。うちの嫁は漬物が大好きでしてね、これを見たらさぞや喜ぶことでしょう」
「あたしも、あたしも梅干好き!」
梅干を見ながらぴょんぴょんと飛び上がって喜んだ女の子だったが、次にとても偉そうに胸を張ってこう言った。
「ほらね、お父さん。やっぱり梅干のなる木は本当にあるのよ!」
それを聞いた彫り物師と梅千代は、顔を見合わせた後、笑い合ったのだった。
『終』