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短編

鉄塔の少女

作者: 荻雅 康一

 ふんわりと、優しく包むような風が、鉄塔の上で踊った。

 冷たい雲が空には垂れ込め、星が輝く機会をなくしている。その雲の切れ間に、ふと見え隠れする満ちた月が、眼下の街並みを照らす。パラパラと落ちてくる粉雪は、白く月光に照らされ、雲の下に星が生まれ消え入るようであった。

「どうしようか」と、明るい少女の声が、静かな夜空の中に溶けて消える。

 鉄塔の上に一人、少女が腰掛けていた。彼女の見渡す街は、キラキラと輝き、空に消えた星が落ちているようであった。鉄塔の下を行く小さくなった車に気づいた。少女は、薄く表情を緩める。また風が吹き、少女の舞い踊る粉雪と同じ色をした髪を靡かせた。髪の間から覗く可愛らしい耳には、赤色のイヤホンが差し込まれていた。それと同時に、彼女の学生服の上に、羽織っている朱色の腕に白い線の入ったジャージも風に攫われそうになる。それを体を抱くように両手でジャージの肩を抑え防いだ。

「いや、やりたくないわけじゃないよ……。でも、ね」

 誰かに話しかけるように少女は言葉を紡いだ。カンカンと、鉄塔の柱に黒のローファーを当てて音を鳴らした。

「そんなのわかんないじゃない」

 そう言うと、ブラブラとさせていた足をすっと両腕で抱えた。持ち上げた際に、ちらりとスカートと黒のニーソックスとの間の太ももが覗いた。それは彼女の若さの象徴のようであった。地肌を雪降るこの空の下で晒したが、彼女は寒がる様子は見せなかった。それどころか顔は上気し、赤くなり、柔らかい年頃の少女が見せる笑顔になっていた。その笑みには、これから起きるだろうことへの期待と願いが込められているようであった。

 ふと、彼女は低い雲が覆っている空へと顔を上げた。雲の切れ間から明るく輝く満月が、地球へと光を降ろしているのを眺めた。時折、薄い雲が波のようにやってきては月光をぼやけさせた。そうして、幾時か過ぎたところで分厚い雲が月を完全に覆い尽くし、その光を閉じた。

「残念」とそう少女が呟いた。

 上に向けていた顔を、前方に広がる街へと向ける。鋭利な刃物のような目つきに変わり、先程までの少女然とした雰囲気が取り除かれた。静かに息を吸い、吐く。それを何回か行った後に、すう、と右手を街へと伸ばす。

「あそこは、学校。あそこはチナの家。あそこは、功一の家。あそこは、パフェの美味しい喫茶店。あそこは、うるさいおっさんの行きつけのパチンコ屋。あそこは……」

 ぽつぽつと力なく、その細い指で街をなぞるように場所の名前を挙げていく。口から漏れる言葉は、白くなって消えていく。それが終わると、鉄塔の上に立ち上がった。そうして上げている右手を一度、振るように払う。手首にある黒い金属製の鉄枷を思わす形のブレスレットに、緑色の細い線が毛細血管のように浮き出し、光を放ち始めた。


 薄いガラスが割れた音がした。

 その音がした瞬間、彼女を中心に球状の半透明なディスプレイのような物が展開された。そのディスプレイ群には、様々な文字が書きこまれており、いくつもの四角いディスプレイが、浮かんで球状の形になっている様子が伺えた。いくつかのディスプレイは、作動している様子で、データを高速で映し出していた。その中には、グラフもあった。その様子に彼女は驚くことはせず、どこか安堵した様子であった。

「さあ、やりますか」

 両腕を使い、彼女はそのディスプレイ群を操作した。彼女の指が触れると、ディスプレイはほとんど空気中に溶け込んでいたものはポップし、枠が薄い緑に光った。そしてディスプレイ内のデータに干渉できるようであった。四つめのディスプレイを操作した後、何かに話しかけるように少女は呟いた。

「INF。――ただいまより、データ三号の取得のため『アクション“丙”のβ(ベータ)』を施行する。許可を求む」

 数秒の沈黙の後、男性の柔らかい物腰の声が鉄塔の上に響いた。

『――ACK。『アクション“丙”のβ(ベータ)』使用許可』

 その声に、少女はすぐに反応し、三つほどディスプレイを操作した。すると、半透明なディスプレイから赤くなった【警告】と書かれた小さなディスプレイがポップした。そこに書かれていた文字は単純であった。[許可]と[取消]だけであった。【警告】の文字が明滅して、注意を向けさせた。彼女は、そのディスプレイ越しに、明るく光る街並みを眺める。息を軽く吐きだし、手を止めて、彼女の周りを公転するように回るディスプレイ群に異常がないかを確かめた。

「仕方ない。……頼むよ、被験者」

 小さく呟いた言葉は、誰にも届くことはない声援であった。

 静かに、彼女の指が[許可]の文字を叩いた。


 また、薄いガラスが割れた音がした。

 手首で光っていたブレスレットを彼女が触れたのだ。浮遊して展開していたディスプレイ群がなくなり、少女が一人で鉄塔の上に立っているだけになった。全身に風がぶつかる。まるで鉄塔に立つ彼女を押し倒そうとするような風であった。しかし、表情を一切変えず、少女はただ、街並みを名残惜しそうに眺めているだけだった。


 それは、突然だった。

 雲が割れた。ガラス細工を踏みつぶしたように、音を立てて、街の中心部から順序良く、静かな湖面に石を投げ入れ波紋が起きるように、雲が割れた。

 少女はその様子が確認できると、鉄塔の上から一歩、何もない空間へと踏み出した。確かにそこには何もなかった。しかし、彼女は地面の上を歩くようにしっかりとした足取りで、鉄塔にかかっているもう一方の足も先に出し、完全に宙に浮いた。危なかっしさは無く、そうであることが当然であるかのように浮かぶ彼女は、愛らしい大きな瞳に映し出される街の様子を睨みつける。

「――データ採取開始」

 ファンのような鈍く低い音が、彼女の周りに響く。先程まで現れていた半透明なディスプレイ群のようなディスプレイがほぼすべてが青白く光り現れ、彼女の周りを激しく飛び回る。高速で映し出されるデータは、とても常人では見きれないほどの速度と数であり、彼女もその様子には全く気にしていない様子であった。

 雲が割れた空には進展があった。

何か(ヽヽ)が降ってきたのだ。街の上空に突如現れ、街を飲み込むサイズであることが推測できるような何か(ヽヽ)が、天から落ちてきたのだ。実体は、肉眼では見ることはかなわない。しかし、上空にソレが現れたことは事実であった。割れた雲は、雪に交じるようにして地上へと落ちていく。違和感が、とてつもなく不快な違和感が、世界に現れたようなそんな感じで、ソレは現れた。

 だがしかし、ソレに気づくものは、人類では鉄塔の少女のみであり、街はそんなことも露とも知らず、平穏な生活(ヽヽ)をおくる。

 少女は、ソレを眺め、ただ祈るように街を見つめるだけであった。その間も、彼女の周りに展開したディスプレイたちは目まぐるしく動いている。一体何を計算し記録しているのか、そのようなことは、一切わからないものであった。ふと、彼女の大きな瞳の端に何かを捉えた。

 烏だ。

 そう思ったが、そのサイズは明らかに通常の烏より大きく、空に向かって一直線に弾丸のように進む正体を見た。人間だった。街の外れから中心部へと、飛ぶように進むのが見て取れた。その人間は、上空に現れた何か(ヽヽ)に気づいているらしく、凄まじい速度で、空を飛んでいた。そして、上空にあるソレと接触した瞬間だった。何か(ヽヽ)が砕けるのが、彼女には手に取るように分かった。不可思議なソレに対し、有効な攻撃を与え、見事に打ち下したのだ。それ自体は何を示したのか、何を意味するのか、そんなものは何一つ世間が知るような事にならず、それは終了を迎えたのだ。

 少女は、鉄塔の上で、雪のように白い頬の上に涙を流した。



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