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淳于瓊☆伝  作者: けるべろす
南方篇
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第81話 袁家(えんけ)と周家(しゅうけ)

 六月の終わり、淳于瓊(じゅんうけい)賈郷(かごう)から寿春(じゅしゅん)に届いた手紙で党錮の禁の終結を知った。手紙によると牢から出された賈彪(かひょう)は体調も問題なく七月の中ごろには賈郷(かごう)へ戻って来れるだろうと書かれてあった。


 "とにかく無事そうでよかった。しかしこうなると出来れば一度は賈郷(かごう)に戻って賈彪(かひょう)さまに会っておくべきだろうな。賈郷(かごう)の物流拠点化や医者の張機(ちょうき)さんを賈郷(かごう)にスカウトしたことをきちんと説明しないと・・・デキウスや笮融(さくゆう)さんには七月いっぱい寿春(じゅしゅん)(じょ)で待っててもらえばいいか。とりあえず急いで周家(しゅうけ)屋敷へ戻って相談しよう"


 揚州(ようしゅう)九江郡(きゅうこうぐん)寿春(じゅしゅん)から豫州(よしゅう)潁川(えいせん)まで馬で七日の距離である。淳于瓊(じゅんうけい)波才(はさい)と護衛の黄忠(こうちゅう)だけで賈郷(かごう)へ戻り、その間デキウスと笮融(さくゆう)に南方交易の準備を進めてもらっておけばちょうどいい筈であった。


------------------


 揚州(ようしゅう)の州都である寿春(じゅしゅん)には揚州(ようしゅう)の主だった豪族が自前の屋敷を構えている。揚州(ようしゅう)廬江(ろこう)郡の(じょ)を本拠地とする周家(しゅうけ)も当然ながら寿春(じゅしゅん)に自前の屋敷を構えていたりする。淳于瓊(じゅんうけい)らも寿春(じゅしゅん)滞在時にはそこで寝泊りしているのであった。寿春(じゅしゅん)劉家(りゅうけ)で手紙を受け取った淳于瓊(じゅんうけい)は急いで周家(しゅうけ)の屋敷へ戻った。


 「ああ、いまから探しにいこうと思ったところだったんだよ。その様子だと奇妙も既に知っているみたいだね」


 周家(しゅうけ)の屋敷に戻るとちょうど周異(しゅうい)淳于瓊(じゅんうけい)を探しに出掛けようとしていたところであった。どうやら淳于瓊(じゅんうけい)と行き違いで周家(しゅうけ)にも党錮の禁終結のニュースが届いていたらしい。


 「はい。周異(しゅうい)さんの様子ですと周家屋敷(こちら)にも連絡が届いたみたいですね」


 「昔からの友人が揚州(ようしゅう)に到着してね、党錮が終わったことを教えてくれたよ。嘉謀(かぼう)周忠(しゅうちゅう))はもうすっかり興奮しちゃってね。私だけ奇妙にもすぐに教えてあげようと思って抜けてきたんだ」


 このひと月弱の間行動を共にしてきて周異(しゅうい)淳于瓊(じゅんうけい)周家(しゅうけ)の為に必ず味方につけておくべき相手だと認識したようでいろいろと親切にしてくれていた。激情家の周忠(しゅうちゅう)のほうは護衛の黄忠(こうちゅう)の武にすっかり惚れ込んでしまい周家(しゅうけ)に仕えないかと勧誘を始める始末であった。なかなかの好条件であったが黄忠(こうちゅう)は護衛の任を途中で投げ出すのは義にもとるからといって断わり、その義理堅さに周忠(しゅうちゅう)はさらに評価を上げたのである。ちなみに笮融(さくゆう)は相変わらず揚州(ようしゅう)周家(しゅうけ)の子分扱いのままであった。


 「お心遣いありがとうございます。友人というのは都の方ですか?」


 周忠(しゅうちゅう)周異(しゅうい)は党錮の禁で都の情勢が不穏になるまでは洛陽(らくよう)に住んでいたのだ。


 「都に居たときからの友人だね。彼は今、汝南(じょなん)に帰郷しているよ」


 "汝南(じょなん)?まさか・・・"


 淳于瓊(じゅんうけい)の予想は当たった。周異(しゅうい)に連れて行かれた部屋には周忠(しゅうちゅう)の他に汝南(じょなん)袁家(えんけ)当主の袁逢(えんほう)が嫡男である袁基(えんき)が居たのである。


 「袁基(えんき)さん、いったいどうして周家屋敷(ここ)に?」


 「何故って、そりゃ潁水(えいすい)寿春(じゅしゅん)潁川(えいせん)の間を流れる川)の水運について打ち合わせをする為だよ。舟は揚州(ようしゅう)周家(しゅうけ)に頼れって奇妙が言い出したんじゃないか。まあ三日前に汝南(じょなん)にも党錮が終わったことが伝わってさ、これはすぐにも周忠(しゅうちゅう)さんたちに伝えなきゃいけないって思ってそのついでなんだけどね。そうそう、賈彪(かひょう)どのも無事に釈放されたそうじゃないか、無事でよかったな」


 「はい、ありがとうございます。私も先ほど寿春(じゅしゅん)劉家(りゅうけ)に届いていた手紙で知りました。袁基(えんき)さんのほうだって関中から北狄(ほくてき)が撤退したそうで司隷(しれい)京兆尹(けいちょういん)さま(袁逢(えんほう))も愁眉を開かれていることでしょう」 


 汝南(じょなん)袁家(えんけ)当主の袁逢(えんほう)司隷(しれい)京兆尹(けいちょういん)として旧都長安の太守を拝命して関中へ赴いている。もし長安や前漢の宗室の陵墓が荒らされたりすれば間違いなく袁逢(えんほう)の首が飛んでいたであろう。息子の袁基(えんき)としても不安でなかった筈は無いが先月の鮮卑(せんぴ)族撤退によりその心配は無くなったのだ。相変わらず子どもらしからぬ気の回しように袁基(えんき)が苦笑する。


 "それにしても袁基(えんき)さんと周忠(しゅうちゅう)さんたちが友達だったとはね。考えてみれば超上流階級(ハイソ)の御曹司同士つながりがあって当然なんだよな。それで舟を周家(しゅうけ)に任せるように提案したときにあっさりと受け入れたんだな。旧知の仲ならやりやすいってことだったのか"

  

 袁基(えんき)にしろ周忠(しゅうちゅう)にしろ後継者としての立場を家中で固めるのに南方交易と水運整備はちょうどよい案件なのだろう。彼らが協力的であるのは非常にありがたいことであった。賈彪(かひょう)に会うために七月の中ごろにいちど賈郷(かごう)へ戻りたいという淳于瓊(じゅんうけい)の要望も師を心配する弟子ならば当然のこととして周忠(しゅうちゅう)がわざわざ舟を用意してくれる運びになった。


 「潁水(えいすい)用に考えている舟を用意しよう。それで賈郷(かごう)までの通行を確認がてら戻ってくればいい」


 寿春(じゅしゅん)潁川(えいせん)の間を流れる潁水(えいすい)淮水(わいすい)や長江よりも狭く流れが速い。その分小回りのきく舟を選ぶ必要がありちょうどその舟の選定が煮詰まりつつある時期であったのだ。こうして淳于瓊(じゅんうけい)は舟の試運転を兼ねていったん賈郷(かごう)へ戻ることが決まった。もちろんこの後、祝いの宴が夜中まで続いたことは言うまでもないことである。


-----------------


 ちょうどその頃、涼州漢陽郡(りょうしゅうかんようぐん)()では〜


 「文和(賈詡(かく))さんどうしたんだい、難しい顔をして?」


 涼州(りょうしゅう)漢陽郡(かんようぐん)()県県令の淳于沢(じゅんうたく)賈詡(かく)に声を掛けた。


 「いえ、なんでもありません。少し考え事をしていました」


 「内も外も事態は好転しているのに文和さんにはなにか心配事があるのかな?」


 淳于沢(じゅんうたく)が首をひねる。確かに淳于沢(じゅんうたく)の言う通り内にあっては党錮の禁が終結し、外にあっては鮮卑(せんぴ)族が北方へ逃げ帰るなど朗報が続いている。東羌(とうきょう)族からの侵寇を受けていた漢陽(かんよう)郡も樊稠(はんちゅう)麴義(きくぎ)らの活躍で被害を最小限に押さえ込めている。


 「・・・そうですね。あまりに上手くことが運びすぎているような気がして・・・少し考えすぎなのでしょう」


 賈詡(かく)は苦笑して疑念を振り払うように首を振った。そうは言いつつも賈詡(かく)には何か引っかかるものを感じていたのであった。


 "このひと月の間に匈奴(きょうど)烏丸(うがん)が漢に降ったかと思うと鮮卑(せんぴ)が関中から忽然と北方に姿を消した。すると今度は天子が清流派を釈放してその功績を突きつけて自慢したのだとか。あまりにもうまくことが運びすぎている。誰かが大きな絵を描いたとしか思えぬ。いったい都でなにが起きているのだ?考えられるのは’誰かが天子に知恵をつけた’ということだが、しかしそうなるといったい誰が?"


 なにしろ天子は清流派はもちろん重臣たちの忠言にも耳を傾けようとしていなかったのだ。そして宦官にはわざわざ清流派を釈放するような策を講じるメリットが無い。巷間では外戚の竇武(とうぶ)が天子を動かしたという噂で持ちきりであるが賈詡(かく)はそれを信じてはいなかった。関中の扶風(ふふう)郡出身の竇武(とうぶ)の評判を賈詡(かく)は幾度か耳にしたことがあったのである。


 "私が長安に遊学していた時に聞いた竇武(とうぶ)どのの評判はとてもそんな大それた策を講じる方ではなかった。せいぜい正面から天子に直言するくらいであろう。それで説得できるぐらいなら苦労はしない。竇武(とうぶ)どのではない、いや’誰かが竇武(とうぶ)どのに知恵をつけた’ということなら?”


 それならば筋が通る。そこで賈詡(かく)が想起するのは李膺(りよう)が語ったという’私が無事に獄から出ることができたのは賈彪(かひょう)どのの謀り事のおかげ’という噂。


 "賈彪(かひょう)どのといえば淳于沢(じゅんうたく)どのの弟の師ではないか。まさかな・・・"


 のちに神算鬼謀を謳われることになる稀代の謀将は限られた情報の中でも限りなく真実へと近づいていたのであった。

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