第80話 周家の二人
淳于瓊たちは寿春で馬から船に乗り換え淮水を下っていくことにした。淮水を下ること三日、船は淮水と長江の合流地点へと至った。ここから東へ下れば笮融の出身である丹陽郡である。そして西へ上ると揚州周家の本拠地でもある廬江郡の舒となる。
「すげえ、まるで海に出たみたいだ・・・」
淮水と長江の合流する場所は前後左右一面の水、水、水であった。初めて見る長江の風景に呆然とする淳于瓊。
「ほお、奇妙は海を見たことがあるのか?」
淳于瓊のつぶやきにデキウスが反応した。前世での海の記憶から思わず口走ってしまったが洛陽生まれの淳于瓊に海を見た記憶が有る筈もない。苦笑しながら淳于瓊は首を振った。
「いや。話に聞いたことがあるだけですよ。長江は黄河と比べて水量がまるで違うのですね。これって川の流れがあまり感じないけどちゃんと下流へ流れているんだよな?」
「ああ。あまりに流れが緩やかだから湖みたいに見えるがちゃんと海に向かって流れているぞ。ここから少し下れば丹陽だな」
故郷の丹陽郡と目と鼻の先まで帰ってきたからか笮融の声が弾んでいる。しかし丹陽郡へ直行することは出来ない。一行はまず揚州で最大の豪族である周家へと赴かねばならなかった。
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廬江郡舒の揚州周家に赴いた淳于瓊ら一行の相手として出てきたのは現役の三公(太尉)周景の息子の周忠と甥の周異である。周忠は三十歳前後、周異は二十五歳前後といったところだろう。彼らは少し前まで都住まいだったのだが洛陽の情勢が不穏となったために故郷へと戻されていたのであった。この辺り汝南袁家と事情は同じである。そう、彼らもこの時代の志ある若者として当然のように清流派寄りの思想に染まっていたりするのだ。それゆえ一族の若者が暴走しないようにと都から離れた故郷へと帰郷させられているのだった。
「奇妙よ、賈彪どののことはさぞ心配であろう。せめて牢での扱いぐらいは父上からも気を配ってもらうようにお願いしようぞ」
そういって周忠は淳于瓊を労ってくれた。
6月に入って鮮卑に従っていた匈奴、烏丸を漢に服属させることに成功し鮮卑が関中から撤退したとの朗報は揚州へも伝わってきている。かつて外戚の梁冀を誅してまで政治の実権を掌握したにも関わらずやること為すこと裏目に出てばかりでろくな治績をあげてこれなかった天子にとっては久々の功績である。天子を批判してばかりの清流派を牢から出して見せ付けてやるには充分なネタだ。しかし党錮の禁終結の報は未だ都から届いておらず淳于瓊はヤキモキする日々を送っているのであった。
「有難うございます。しかし党錮のことで揚州周家にご迷惑をお掛けするようなことは本意では御座いませんので無理はなさらないでください」
"情報が揚州へ届くまでどうしても時間差は生じる。でもそろそろ一報が届いてもいいんだけど。まさか竇武さんが下手をうったとかないよなあ?"
不安はあるものの少なくとも現時点では都から知らせが届くのを待つしかなく、周忠の申し出もありがたくも遠慮させていただくしかない状況なのである。しかし郷里に戻されて活動を封じられた周忠としては憤懣やるかたないようすを隠さなかった。
「ふん、なにが無理なものか。本来ならば父上は三公の職を投げ打ってでも天子をお諌めすべきなのだ!李膺どのとも知らぬ仲ではないのだからな。それなのに党錮の禍を傍観するばかりか我らには郷里にもどって大人しくしておれなどと、我が父ながら全くもって不甲斐ないことである!」
清流派の大ボスである汝南の陳蕃や党錮の禁のきっかけになった潁川の李膺はもともと周景によって引き上げられた過去がある。揚州周家は汝南袁家以上に清流派に近いのだ。周忠の義憤は分からんでもないが淳于瓊らにしてみればわざわざ周家へ政治談議をしに来たわけではない。
「都では城門校尉(竇武)さまがご尽力くださっており間もなく党錮の禁は解除される見込みであると伺っております。今はそれを信じてお任せするしかありませぬ」
淳于瓊としては周忠を宥めようとしただけなのだがその発言が周忠をさらに興奮させてしまった。
「党錮の禁が解除されるだと!それはまことか?城門校尉どのにそのような力があるのか?ええい、まどろっこしい!父上に揚州から出てはならぬと厳命されていなければ今すぐにでも洛陽へ駆けつけて確かめてやったのに!」
「嘉謀(周忠)、子ども相手に熱くなりすぎだぞ、少し落ち着け。城門校尉の竇武どのといえば竇皇后の実父ではないか。義理の父の言葉なら天子も耳を傾けてもおかしくないだろう。奇妙、城門校尉どのが確かにそう申されたのか?」
周忠の勢いに引き気味の淳于瓊を見かねて周異がフォローに入ってくれた。熱い周忠にクールな周異となかなかいい従兄弟であった。まったく汝南のトラブルメーカー従兄弟にも少しは見習ってもらいたいものである。
「は、はい。それゆえ今は城門校尉(竇武)さまにお任せして我らは我らにできることを為すべきであるかと」
「そうですぞ。周景さまもお二方に南方交易の件は任せると仰せでした。どうかよしなに・・・」
淳于瓊の言葉に笮融が乗っかった。しかし周忠と周異は納得がいかない様子であった。
「ふざけるな!天下の一大事だというのに我らには商売の話にでもかまけていろというのか?」
「そ、そいうわけでは・・・」
とかく商売というものが低く見なされる時代である。彼らとしては袁紹のように家に逆らってでも都に残り党事に奔走したかったのだ。揚州に戻ったことにたいして内心忸怩たるものがあるのだろう。そんな彼らを前に笮融は返答に窮してしまっていた。
"いや笮融さん、あんた周家との交渉は任せてくれって見得をきってたじゃん。なに簡単にまごついてんだよ!"
埒が明きそうにないので仕方なく淳于瓊が二人の説得を始めざるを得なかった。
「お二方の忠信は疑うべくもございません。なれど大切なことを見落としておられるようです」
「見落としていること?」
淳于瓊の挑発的な言葉に周異が眉をひそめる。子どもがなにを生意気なことを、といった感じであろうか。
「はい。城門校尉さまの働きにより此度の党錮の禍が収まったとて宦官の専横はなお続くということです。それに対処するにはお二方のような高き志を持つ人物には是非とも家中を掌握して貰わねば困るのです。いまお二方が太尉(周景)さまの命に背いて勘気を蒙るようなことになり周家が小人物に率いられてしまうようなことになればそれは揚州の、いや天下の損失となってしまうことでしょう」
だから今は焦らず揚州周家の後継者としての立場を確立して家中を掌握するべきである、ということだ。どうやら周異は淳于瓊の謂わんとすることを正しく理解してくれたようであった。
「だから今は南方交易に協力して叔父上(周景)の期待に応えて見せろということか?」
「いいえ、期待以上の働きをお願いします」
淳于瓊はさらに上乗せするべきであると提案した。
「私どもは寿春から淮水を下って舒までやってまいりました。しかし淮水には舟の見通しの悪い場所や舟の通行が困難な沼沢地が多くさらに船頭の言うことには流れ自体がしょっちゅう変わってしまうのだとか」
「そりゃ淮水は湿地帯を流れる川だからな。雨が降れば流れも変わるもんさ」
そう言って周忠が肩をすくめた。
「それでは淮水を水運として利用する上で不都合があります。流れが変わって違う場所に着きました、では話になりません。ここはしっかりと治水を行い水路としての整備をするべきでありましょう。それに水賊をはびこらせぬように水軍(警備隊)を配備してはいかがでしょうか?」
淳于瓊の大胆な提案に周忠が驚く。とはいえ南方交易に関わる話には違いないし彼らが揚州から出るわけでもないので決して周景の命に背くことにはならない筈だ。
「ちょ、ちょっと待て。それはいくらなんでも周家だけで出来る規模の話ではないぞ。そもそも治水も水軍も官がやるべきことであろうに」
たしかにその通りである。しかし後漢は伝統的に地方豪族の力が強く相対的に官の力が弱い。それゆえ中央集権的な大規模公共工事の類は実施できずにほったらかされているのが現状なのである。
「周家が九江郡や廬江郡の豪族を取りまとめれば不可能ではありますまい」
「それが目的か!」
周忠と周異が揃って叫んだ。
周辺の豪族を周家が取りまとめて淮水の治水事業と水軍の配備を行うことになれば周家の揚州における地位は頭ひとつどころかふたつもみっつも飛び出ることになるだろう。そうなれば周忠と周異の名声が上がるとともに家中での立場も当然大きく強化されることになる。商売の手伝いなどといっていた二人もすっかり水運事業に乗り気になろうというものである。
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こうして揚州周家が淮水の治水事業を手掛けることが決まると淳于瓊も周忠らと寿春と舒の間を何度も行き来することになった。そして淳于瓊は寿春を訪れるたびに寿春劉家へ手紙が届いていないか確認するのであった。
そして延熹七年(167年)六月の終わり、ついに待望の知らせが寿春劉家に届けられた。都で党錮の禁が解除され賈彪も無事に牢から釈放されたのである。
周異が周瑜の父親です。まだ周瑜は生まれていませんが




