第78話 汝南袁家(じょなんえんけ)の後継者2
予告より遅れてしまいましたm(_ _)m
携帯からの投稿です
「兄上、ただいま戻りました。客人が来ているとのことですが・・・」
汝南袁家での奴婢の扱いに苦言を呈した直後に奴婢へ鞭を与えていた張本人があわられ、しかもそれが袁術その人だというのである。さすがの淳于瓊も冷や汗だらだらである。
"マジかよ、やばいっての。史実でも三国志演義でも袁術は器が小さい人物で伝わってるんだぞ。こんなところで恨みを買ったりしたら・・・"
焦る淳于瓊にお構いなしに袁基が袁術を紹介する。
「公路、この子どもが叔父上(袁隗)の手紙に書かれていた淳于瓊どのだ。少し話をしてみたが叔父上の言うとおり見た目からは想像も付かぬ知恵者だぞ。仲良くするといい」
ふん、と袁術は胡散臭そうに淳于瓊を一瞥する。第二次反抗期の真っ最中なのかもしれないが初対面の子ども相手にその態度はどうなんだ、と淳于瓊は心の中で毒づいた。もちろん直接文句を口に出すわけにはいかないが。
「どうせ賈彪どのが牢に入れられて袁家に泣き付いてきたんだろう」
「いいえ。南陽さま(袁隗)にも説明いたしましたが党錮のことで汝南袁家にお力添えをお願いするつもりはありませぬ。あくまでこのデキウスの南方交易へのご助力に対してお礼を申し上げるために参ったのです」
師の賈彪にあらぬ噂をたてられぬようその点はしっかりと否定しておかなければならない。
「公路よ、どうやら本当に違うみたいだよ。しかしたしかに叔父上からの手紙にも党錮のことについては手を貸さなくてよいって書いてあったけど本当にいいのかい?我が袁家は今でこそ清流派と距離を置いているけどもともとは儒の家柄だ。表立ってではなくとも賈彪どのひとりぐらいなら手を回せないこともないんだよ」
淳于瓊は目を丸くした。
「お心遣いは有難く存じます。なれど党錮の件に関しては従兄の袁紹どのが何顒どのと奔走していると聞いております。汝南袁家としてはこれ以上の深入りは避けるべきでしょう」
「あんな袁家のはみ出し者などとっとと捕縛されて牢に入れられてしまえばいいんだ」
袁術が憮然として吐き捨てる。袁術と袁紹の確執はどうやら既に始まっているようだ。
「公路、口を慎め!すまないね。弟は本初(袁紹)と馬が合わないみたいなんだ」
袁基が弟の袁術をたしなめた。いつものことらしく袁基の苦労がしのばれる。
「歳も同じでともに評判のお二人ですからそういうところは仕方がないのではないでしょうか」
「そう言って貰えるとたすかるよ」
兄の袁基がフォローに入っているにも関わらず不貞腐れた態度を崩さない袁術に呆れながら淳于瓊は荷物から小瓶を取り出した。
「お近づきの印にといってはなんですが…膠飴という賈郷の新しい名産品です。非常に甘露ですのでお試しください」
胡散臭げに小瓶を眺めていた袁術であったが、ひと舐めしてその表情が激変する。
「なんだこれは!?蜂蜜のようで蜂蜜ではない。しかし甘さは蜂蜜にも劣らんではないか?賈郷で手に入るのか?」
予想以上の食いつきに淳于瓊は若干引きつりつつ答える。
「お、お気に召されたようでなによりです。今後、汝南袁家と交流が盛んになれば幾らでもお譲りできると思いますよ」
「その言葉まことだな?うむ、兄上、こいつ等に便宜をしっかり図ってやってくれよ」
現金な袁術の言葉に袁基は苦笑いしながら頷いた。
「公路に言われなくてもそのつもりだよ。叔父上からも言われていることだ。それから奴婢のことも善処しよう。農繁期なんかはなかなか難しいんだけどね」
「それについては多少お力になれることがあるかもしれません」
淳于瓊は今度は千歯こきの模型を荷物から取り出し、あらかじめ用意していた一束の稲穂で実演してみせた。それを見た袁基の表情が驚愕で歪む。さらに淳于瓊が無償で模型を譲ることを申し出ると袁基は天を仰いて大きく溜め息をついた。
「まったく、叔父上には文句を言わねばなりませんね。なにが'歳に見合わぬ知恵者'だ。大人を含めても淳于瓊どのほどの知恵者は見たことがありませんよ。これからよろしくお願いします」
袁基はそう言って淳于瓊に頭を下げた。こうして不安であった汝南袁家訪問は成功裡に終えることができたのであった。
「奇妙さま、あれでよかったのですか?」
汝南袁家を辞したあと、波才が質問してきた。
「なにがだ?」
「膠飴ですよ!それも一瓶まるまる!」
波才は袁術に随分と呆れたようで、その袁術に膠飴を譲ったことに納得がいかないらしい。
さらに笮融も波才に同調した。
「そうだな。袁基どのならともかくあの弟の方に渡しても意味があるとは思えねえぞ」
名家に弱い笮融にまで散々な評価を受ける袁術であった。
「うーん、こういう話があります。かつて東方にいた大志を抱いた油売りの逸話なんですが、彼は出入りの名家の当主が色事に目がないことを知ると美女をあてがったんだそうです。やがてその当主は自堕落さに歯止めが掛からなくなり家を維持することが出来なくなりました。そして油売りはその機会を逃さず名家を乗っ取ることに成功したんだそうです」
もちろんその油売りとは美濃のマムシこと斎藤道三のことである。一方で彼は娘婿の織田信長には最新式の武具を贈ったりしているのだ。
「今の袁術どのは膠飴を贈られて浮かれる程度の人物でしかありません。ひょっとしたら今際の際に'蜂蜜舐めたい'とか言い残すような間抜けになるかもしれないけどそれは自業自得だというものです。せいぜい膠飴でも譲って機嫌を取っておきますよ」
「そこまで考えていたのか。まあ、汝南袁家は袁基どのと協力していけば問題なさそうだったしな」
「袁基どのか…」
袁術は立場の弱い者に対して居丈高な態度を隠そうともしないし、都に残っている袁紹は袁紹で清流派の過激派に染まりつつある。一方で袁基は淳于瓊のような子どもに対してでも丁寧な態度で接してくるし党錮の禍にも家を上手く保ちつつ対処しようとするバランス感覚を持ち合わせていた。ノーマークだった袁基の優秀さに淳于瓊の内心は複雑である。
"袁基さんが次期当主なら歴史は違った展開になりそうなのにな・・・。しかし結局は汝南袁家の家督は袁術が継ぐことになる。で、袁術と折り合いの悪かった袁紹は独立して冀州牧の韓馥から冀州を騙し取って河北を制するんだよな"
黄巾の乱まであと17年、董卓の暴政まで22年と考えると現在二十歳すぎでしかない袁基は充分に活躍できる世代にあたるのだが、淳于瓊の記憶する三国志知識に袁基の名前は存在しなかった。
"残念ながら袁基さんは流行り病かなにかで表舞台から退場してしまうのかねえ"
平均寿命が三十に満たないこの時代は早逝する者も少なくないので淳于瓊はそう判断したが史実では袁基の名前はしっかりと残っていたりする。袁紹が反等卓連合軍の盟主となったことに対するみせしめとして都に残っていた汝南袁家の一族郎党が処刑される、その中に袁基の名前が残っているのである。




