第77話 汝南袁家(じょなんえんけ)の後継者1
長くなったので2話分割です。
明日か明後日に次話投稿です
後漢を代表する豪族である汝南袁家の屋敷はさすがであった。かつて訪れた宦官の張譲の屋敷に壮麗さでは劣るもの規模は此方の方がでかい。
南陽太守の袁隗から既に連絡が来ていたのか一行はスムーズに屋敷の中へと招き入れられた。当主の袁逢が司隷京兆尹、その弟の袁隗が荊州南陽郡太守を拝命している状況で、汝南袁家の本拠地を預かっているのは次期当主の袁基である。袁基とは現在22歳で、現当主の袁逢の嫡男、すなわち袁術の兄にあたる人物だ。
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「潁川淳于家の次男、淳于瓊と申します。こちらが揚州丹陽郡の笮融です。それから私の従者の波才と護衛の黄忠です。我々はこの大秦国人であるデキウスの交易を成功させるべく奔走しておりましたが、このたび汝南袁家にもご助力いただける運びとなりまことに感謝の言葉もございません。汝南袁家のご威光があれば必ずや南方交易は多大な利益を上げること間違いありませぬ」
お礼を述べるのにコスト(お金)はかからない。淳于瓊らは深々と袁基に頭を下げた。幼い淳于瓊の大人びた挨拶に袁基が目を瞠る。
「叔父上(袁隗)の手紙には淳于瓊どのはその年齢からは想像もつかぬほどの知恵者だから気をつけるようにって書いてあったけどなるほど大したものだ。私が袁逢の長子、袁基です。弟にも逢わせるつもりなんだけど今ちょうど屋敷から出払っていてね。戻ってきたら紹介をさせてもうよ。」
袁基がにこやかにありがた迷惑なことを言ってくる。トラブルメイカーの袁術になど逢いたくないのだがこの状況で断わるのはあまりにも不自然だし失礼だ。淳于瓊は頭をさげて礼を述べさっさと本題に入って話をそらすことにした。
「南陽(袁隗)さまには過分なご評価を頂き恐縮です。それで南方交易の件ですが・・・」
「ああ、叔父上から南方交易は袁家にも利がある事業だからしっかりと協力するようにいわれていますのでなんでも言ってください。それについては私からもひとつ提案があるのですよ」
「それはどのような?」
南方の珍品宝物の類は袁家や揚州の周家に任せることは袁隗から聞いている筈だ。それでは満足できないということなのだろうか?袁基のにこやかな表情の裏にどんな計算が隠されているのか、淳于瓊はまたなにか無理難題を言われるのではないかと身構えざるを得なかった。
「うん、実は最近 揚州と都の間の物流がかなり増えてきていてね」
淳于瓊は眉間にしわを寄せた。漢から南北朝時代にかけて中国南部は著しい発展をしめし物流もそれに伴い増加している。そして洛陽の都と揚州の間の物流は豫州の潁川や汝南を通って運ばれるのだ。どうやら袁基はそこに目をつけたらしい。
「それで今回君たちが整備しようとしている水運を利用出来ないかと思ってね。具体的には揚州の寿春から潁川までなんだけど」
そういうことか、と淳于瓊は合点がいった。
潁川から汝南、そして揚州への街道は道も悪いし野盗も出没する。それに長江へそそぐ支流が数多く存在しており少し雨が降れば川が増水して足止めを食ってしまうこともも少なくない。しかし水運を利用すればそれらの問題点が解消されるのだ。
その水運のメリットを海のものとも山のものともつかない南方交易の荷などに限定せず大々的に揚州と潁川の間の物流に活かせばいいじゃないかというのが袁基の案だ。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\黄河
司隷・長安---司隷・洛陽
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豫州・潁川
/ \
/ \
荊州・南陽 豫州・汝南
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揚州・寿春
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\長江
"たしかに船で荷を運べるとなればかなりの需要があるだろう。そうなると袁家が主体として寿春と潁川の間の物流を担うということになるな。そうなれば水運の拠点が置かれる地はいいとしてもこれまで街道沿いで潤ってきた地は物流を袁家に取られて困窮することになるんだが?いや、逆だな。それこそが目的か!物流を袁家の手中に収めて汝南での影響力を磐石のものするだけでなく揚州への影響力も拡大しようということか!えなかなかえげつないことを考えるもんだな!袁隗さんが考えた構想なんだろうか?"
あの袁隗ならばそれくらいの事はやりそうな気がする。淳于瓊は確かめてみることにした。
「非常によいお考えかと思います。しかしそうなれば物流から外されることになる汝南のほかの豪族との軋轢が予想されますが大丈夫でしょうか?お父上(袁逢)や南陽(袁隗)さまのご意見も伺ったほうが宜しいのではないでしょうか?」
「凄いな、その年でそんな所まで考えが回るのか!勿論多少の軋轢はあるだろうけどかまわないよ。それぐらいの裁量は私に一任されているから心配は無用だね。もともと勝手に街道に関所を設けて関銭を稼いでいるような連中にはよい薬だろう。それに水運の方が利便性が高ければ物流が集まるのは当然のことであってわざわざ不便な陸路にこだわって袁家に反対したところで世の支持は得られないよ」
この構想は当主の袁逢やNo2の袁隗からの指示ではないかとカマをかけてみたのだが袁基はあっさりと首を振って否定した。どうやら目の前の袁基自身が考えたもので、しかも彼は弱冠ながら汝南袁家の中でそれなりの立場を築いているらしい。
"船の荷の扱い量が飛躍的に増えるだけに水運の始点(終点)となる賈郷にとってのメリットはでかいんだよな。年に数回の南方交易の船だけでは維持が大変だけどその問題も解消される。しかもそれによって引き起こされるであろう軋轢も汝南袁家が引き受けてくれるんだからいいことづくめだな。表面的には、ね"
しかし少し深く考えてみると南方交易が汝南袁家が取り仕切る揚州物流のおまけになってしまうということであり、南方交易における袁家の意向が無視できないほど大きくなってしまうことは火を見るより明らかなのだ。袁隗からの資金の申し出を受けた際も同様の懸念があったがこれについては揚州周家からも資金を出してもらいバランスをとることで袁家の影響を抑えようという方針となったのである。淳于瓊は袁基の提案についても同じ手をつかうことにする。
「大変けっこうなことであると存じます。ならば船の確保はぜひ揚州周家に依頼いたしましょう。馬については涼州人、船について揚州人の右に出る者はなし、といいますゆえ」
淳于瓊の逆提案に袁基の眉がピクリと反応した。
「ほう、周家にですか」
「はい。ちょうどここに居る笮融は周家とつながりがありますので交渉は上手くいきましょう」
やや硬くなった袁基の表情に気付かぬふりをしつつ淳于瓊はそう続けた。船を周家に手配させることで巻き込み、袁家だけで物流を独占するのを避けることができる筈であった。
「・・・いいでしょう。周家が引き受けてくれるのなら此方の手間も省けるというものです。周家との交渉はそちらにお任せしますよ」
やや間はあったがにこやかな表情を崩すことなく袁基は淳于瓊の提案を認めた。あるいは揚州への影響力拡大をにらんで周家と協力関係を強化するメリットに思い当たったのかもしれない。ともかく揚州周家を巻き込むことで最大の懸念点はとりあえず無くなったことになる。
しかし淳于瓊にはもうひとつこの話を受ける上で念を押しておかねばならない点があった。物流を任せる人に関する点である。その点について淳于瓊は袁基に質問をぶつけてみた。
「この袁家が抱える者たちでは不安があるというのかい?部曲(武人の食客)や奴婢を多く抱えているからね。心配はいらないと思うけど」
袁基が不思議そうに答えた。まあ普通はそうなるだろう。汝南袁家のような大豪族は山ほど人を抱えているのだ。しかし人が大勢居ればいいというものではない。淳于瓊は先ほどの屋敷の外で見たような鞭で打たれて働かせているような奴婢に荷を任せたくはなかった。
「先ほどこの家の奴婢と思われる者が鞭で打たれておりました。普段からそのような扱いを受けている奴婢に荷を任せることに不安があります」
要は奴婢の扱いが悪い、との汝南袁家批判である。冷や汗をかきながら淳于瓊はそう指摘した。
「ふむ。働きが悪ければ鞭を与えてでも働かせるのは仕方がないのじゃないかな?我々もただ飯を喰らわせるために奴婢を養っているわけじゃない・・・おお、公路。いま帰ったのか?」
と、ここで一人の少年が部屋に入ってきた。公路、とは袁基の弟、袁術の字だ。覚悟を決めて袁術に目を向けた淳于瓊はその姿を見て凍りついてしまった。
「兄上、ただいま戻りました。客人が来ているとのことですが・・・」
そういいながら部屋に入ってきたのは少年こそは先ほど奴婢に鞭を与えていた若い男に他ならなかったのである。




