第76話 汝南(じょなん)へ
司隷洛陽 兗州陳留
\ /
\ /
豫州潁川
/ \
/ \
荊州南陽 豫州汝南
ざっくりこんな位置関係。賈郷は潁川南部ですので南陽や汝南に比較的近い場所にあります。
「奇妙、ちょっと荷物が多くないか?」
淳于瓊と波才が旅の荷造りをしているとデキウスが淳于瓊の行李をみて声をかけてきた。
「そうですか?ん〜と、着替えに蚊帳に提灯…」
「おいおい、蚊に刺されるぐらいがまんすりゃいいじゃねえか。提灯だって確かに便利だけど松明でも充分だろ?それにそのでっかい櫛はなんなんだ?」
笮融が突っ込みを入れてくる。笮融は賈郷に滞在しながらその便利道具の価値に気付いていないのだ。
「これは千歯こきという新しい農具の模型です。提灯とともに汝南袁家や揚州周家に譲ってしまう予定なのですよ」
千歯こきや提灯の存在は賈郷で秘匿しているわけでもないので、交易が始まって交流が盛んになれば誰かの目にとまり他の郷や城市で真似をされることになるのは時間の問題である。ならば今のうちに自ら情報公開して袁家や周家に恩を売ってしまえという判断なのだ。
「へー、手土産にするってことか。で、蚊帳もそうなのか」
有力豪族の本拠に行くのに手土産は多いに越したことはないが蚊帳は違う。
「蚊帳は自分用です。南方の蚊はでかいから極力刺されたくないので。それにたかが蚊とあなどるものではないですよ。五百年前に初めて西方世界を統べた覇王も印度で蚊が媒介する病によって倒れたのですから」
「ちょっとまて、奇妙。まさかその覇王とは’偉大なるアレクサンドロス’のことなのか?アレクサンドロスは暗殺されたのではなかったのか!」
デキウスが驚きの声をあげる。そういやこの時代のローマ人はアレクサンドロス暗殺説を信じてたんだったな、と淳于瓊は思い出した。
「たしか高熱が何度もぶり返しては襲いやがて衰弱して死に至ったんですよね。毒を盛られたと信じている人は多いですが、デキウスは印度にいたのだから同じ症状の病を知っているでしょう」
症状からしてアレクサンドロスの死因はマラリア、というのが現代では通説なのである。しかしギリシア、ローマには風土病であるマラリアは存在しないので暗殺説が広く信じられるようになってしまったのだ。
「ぬう。たしかに高熱で倒れるものがいたな。あの病は蚊によって媒介されていたというのか」
「ええ。特に私や紫雲(波才)のような子どもは注意しないといけないのですよ」
そういって淳于瓊は波才とともに荷造りを再開したのであった。
-----------------------
翌朝、洛陽の都から急ぎの手紙が賈郷に届けられた。差出人は皇后の父親にして城門校尉の竇武からであった。
慌てて中身を確認するとそこには現在の宮廷の情勢が書かれていた。
淳于瓊が宴で天子に示した策を採用した結果、鮮卑に従属して漢の北辺を脅かしていた烏桓と匈奴を抱き込むことに成功したと手紙には書かれてあった。天子は自らの外交がうまくいっていることで最近は非常に機嫌が良いそうだ。
あとは皇后に'天子を非難してばかりでした党人(清流派)どもを牢から出して、天子の威徳を見せ付けてやりましょう'と囁いてもらえば昨年(166年)12月から世を騒がせてきた党錮の禁も終結することになるだろうか。
どうやら全て計画通りことが運んでいるようだ。淳于瓊としては本当は賈彪の釈放が確認できるまで賈郷に残りたい。しかし上手くいっているという事は天子に策を授けた淳于瓊の正体が万が一にもばれることがないように南方へ行方をくらます必要性がより高まったという事でもある。
「都のほうは順調らしい。あとひと月もしないうちに朗報が賈郷に届くだろう。偉節(賈彪)さまによろしく伝えておいてくれ」
こうして李栄、朱丹、陳正、張機に見送られながら一行は出発したのであった。
---------------------------
賈郷を出て2日後には潁川郡から汝南郡に入り、その翌日には汝南袁家の本拠地である汝陽県に着いた。かつては袁紹と関わりたくないから、と汝南方面は意図して避けてきた淳于瓊もいよいよ汝南袁家に乗り込むのである。まあ、袁紹本人は洛陽にいて清流派と走り回っているみたいで不在なのではあるが。
「汝南は潁川と違って米の田んぼが多いですね」
街道の両脇に広がる田んぼを眺めながら波才がそう指摘した。たしかに同じ豫州でも最南端に位置して揚州に接する汝南では米作が盛んなようである。
「ああ。でも苗代をつかっている感じはないな。稲が随分とまばらに生えている、おわっと!」
馬に揺られながらキョロキョロしていた淳于瓊はバランスを崩して落馬しそうになった。
「大丈夫ですか。奇妙さま、荷物が多すぎなんですよ。半分寄越してください。俺ならまだまだ大丈夫です」
淳于瓊らが南陽に出かけている間に乗馬の練習をしていた波才は持ち前の運動神経のよさを発揮してあっさりと主人の淳于瓊よりも上手く馬に乗れるようになっていたのだ。今でも同じ量の荷物を背負っている筈なのに波才のほうが全然余裕があるのであった。馬術の腕前で従者と張り合うつもりなど無い淳于瓊は波才の言葉に素直に甘えさせてもらうことにした。
「あれは・・・」
波才に荷を多めに預けるために馬から降りた淳于瓊の目に嫌な光景が映った。街道から少し離れた田んぼの脇でまだ少年といってもいいくらいの若い奴婢が鞭で打たれていたのである。鞭を振るっているほうもまだ若い。
「ん?ありゃあの奴婢が何か下手をやらかしたんだな。おそらく袁家の奴婢だろう」
絶句する淳于瓊とは対照的に黄忠がこともなげに説明する。
「だとしても鞭で打たなくても」
しかし笮融はそんな淳于瓊の言葉を一刀両断にしてきた。
「なに甘いこと言ってんだ?地方の豪族じゃあんなの普通だぜ。そもそも余所の家の奴婢がどう扱われていようと奇妙に関係ない話だろ」
たしかに笮融の言うことはもっともで淳于瓊が他家の奴婢の扱いをどうこう言える立場にはない。頭では判るもののやはり人が鞭で打たれている光景は淳于瓊にとって衝撃的であった。もちろん賈郷にも奴婢は存在するのだがどちらかというと住み込みのお手伝いさんという感覚に近く鞭打って強制的に働かせる光景などは見られないのだ。
「笮融さんの言っていることは判ります。しかし紫雲(波才)も一つ違っていればああなっていたかもしれないと思うと」
「奇妙さま、もし奇妙さまに拾われていなければ俺はそのまま野垂れ死んでいたでしょう。それかどこぞの野盗にでも拾われて下っ端として使われていたか。今の俺の境遇は奇跡のようなものです。普通に考えれば彼らのように奴婢としてでも飢え死にの心配をしなくて済むだけでもマシな状況だといえるでしょう」
「たとえたまに鞭を貰うとしても・・・か」
重税と不作により戸籍を捨てざるを得なくなった流民たちを地方の豪族が奴婢として抱えて大規模農場を経営している現状がある。豪族が労働力として奴婢を抱えなければ世の中の流民たちの多くは行き場を失い野盗として糊口をしのぐか反乱をおこすしか生き残る道はなくなってしまうのだ。
結局のところ笮融や波才のほうがこの時代の感覚としてはまともなのだろう。淳于瓊のもやもやした思いは晴れぬまま、やがて一行は汝陽の汝南袁家の屋敷に到着したのであった。




