第7話 潁川入り
淳于瓊は荀彧をひざの上であやしていた。
なんのことかと思われるかもしれないが、司隷から豫州潁川に入った一行は
定陵への通り道にある潁陰で荀子の裔に会うとかで立ち寄っているのだ。
賈郷のある定陵も潁陰と同じ潁川郡に属し、潁陰から定陵まではあと一日の距離であった。
「慈明とは内密の話があるゆえ、奇妙らは別室で待っておれ」
「では甥の阿若と引き合わせよう。子供同士よろしくやってくれ」
というやり取りが賈彪と荀爽(字を慈明)の間であり、
連れて来られたのが3歳になる荀彧だったのである。
さらに李栄、趙索、朱丹の三人も
「われらはこの家の家人達と打ち合わせがあるのでこの場はお任せする」
とかいって何処かへいってしまい、淳于瓊が一人で荀彧の面倒を見ているのであった。
”いずれは歴史上の人物と顔を合わせることもあるだろうとは思ってたけどさ、
まさかこんな形になるとはね”
そう思って淳于瓊は幼児の顔をあらためて覗き込んでみる。
だがそこにいるのはいたって普通の幼児であった。
将来曹操に仕えて’我が子房’とまで云われる大物とは想像できない。
”将来のことを考えると伝手はもっときたいよな。晩年はともかく魏で出世する勝ち組なわけだし。
とはいっても3歳児が相手じゃなんともしようがないよ。”
結局普通に子守をするしかない淳于瓊であった。
その右手には算盤をもっている。もちろん計算をするためではない。
ガラガラの代わりに使っているのだ。
”賈彪さんはやく打ち合わせ終わらせて帰ってきてくださーい。
”あっこいつ漏らしやがった。いや、判った。判ったから大声で泣くな”
”ほら、ガラガラだ。よし、興味をもったな?貸してやるから思い切り音を出して遊んでいいぞ”
はたから見る限り6歳児と3歳児の仲睦まじい光景がそこにあった。
一方そのころ~
「偉節、なぜこの時期に潁川に戻って来た?まさか怖気づいたんじゃないだろうな?」
「馬鹿いえ。あの子を潁川で預かることになってな。落ち着けばまた都へ戻る。
それにわしがおらんでも都には郭林宗がおるわい。」
「ならばよいが…。まったく今の濁流派の振る舞いは目に余る。
我ら清流派が実権を取り、政を正道に戻さねば。」
「ああ、民も困窮を極めておるしな。このままでは世が大きく乱れることになろう。」
「ならば…一日も早く朝廷で宦官どもの非を鳴らし、帝にや奴らから距離を置くよう進言奉るのだ。」
「焦るな、慈明。いま李河南尹(李膺)が司隷校尉になるべく手を尽くされておる。
司隷校尉として都の兵権を持って濁流派を一斉摘発し、その上で帝へ上奏するのだ。
おそらくその時は明年となろう。それまで軽挙妄動はならぬぞ」
「ううぬ、明年か…」
「わしも当面は潁川に腰を落ち着けるつもりじゃ。あの子の教育もあるしの」
「そういえば、あの子はいったい誰なんだ。偉節には子は居らんと思っておったが?」
「ああ、淳于の次男じゃ。淳于伯簡どのが涼州に赴任することのなったのでな。
わしが代わって潁川で教育することになったのだ。」
「奇特なことだな。あの凡庸な伯簡どのの弟であろう、見所があるとも思えんが」
「いまにわかる時がくる。」
賈彪ふと、奇妙ならばこの宦官排除計画に対してどのような考えを持つであろうか、と思った。
自分たちとはまるで違った切り口で物事を見ることのできる奇妙ならばもっと他のよい方法が見つけられるのではないか?
そんな想いが賈彪の脳裏をよぎったが、大きくかぶりをふって振り払った。
”奇妙を巻き込むわけにはいかん。あれはおそらくもっと大きな天命を背負っておる”
登場人物紹介
荀彧 字を文若 生年163年
言わずと知れた曹操の「我が子房」。潁川郡潁陰の人
荀爽 字を慈明 生年128年
荀彧の叔父。潁川で賈彪と名声を等しくする。
郭泰 字を林宗 生年128年
賈彪の友人。太学で賈彪と共に冠となる。太原の人。
李膺 字を元礼 生年110年
潁川郡襄城県の人。党錮の禁の主役。