第70話 賈郷(かごう)の交易拠点化
説明回になってしまいました
「此方がデキウス、大秦国の人です。去年の秋に大秦国の使節が都へ向かう際に賈郷へ立ち寄っています」
屋敷に入った淳于瓊は賈郷の内向きを担当する朱丹と外向きの交渉を担う李栄にデキウスを改めて紹介した。朱丹と李栄もデキウスのことは覚えていたようだ。まあ異相の男であるデキウスは一度見たらそうそう忘れたりはしないだろう。
「そして此方が笮融、揚州は丹陽郡の人です。これから笮融さんとともにデキウスの南方交易を手伝うことになりました。あとここには居ませんが交州交趾郡の太守である士燮さまにも協力していただけることになっています」
「南方交易、ですか?」
李栄と朱丹は突然の話に戸惑い顔を見合わせた。彼らが仕える賈彪は太学で名をあげた名士である。数多くの商人を抱えて利益を上げている地方豪族というわけではなく、どちらかというと清貧を売りにしてきただけに遠い話題に聞こえるのだろう。
「このデキウスは遥か西方の大秦国と印度、林邑から漢へと至る南方廻りの交易を計画しています。漢の文物を南方や西方に輸出し、逆に西方や南方の物産を漢に輸入するのです。そしてこの賈郷は豫州において陸路と水運の積み替えをおこなう拠点にと考えています。李さんと朱さんにも協力をお願いします」
「わ、我々が、商売に手を出すのですか?奇妙さま、大丈夫なのでしょうか」
李栄が(りえい)が動揺をみせる。抑商政策を採用してきた漢の時代における儒教は貴穀賤金が基本である。商人には税制や身分などでさまざまな制限が加えられており、それゆえ豪族たちは表には立たず裏で商人を抱えて関銭(通行料)や上納品などで利益をあげるのが一般的だ。
「デキウスは大秦国人ですからそもそも身分とか関係ないですし、賈郷でも賈子たちの中から何人か目端が利くものを選べば没問題でしょう。なにせ実用的な読み書き暗算が出来てなおかつ信用を置くことの出来る人材がこの郷には百人もいるのですからね。彼らを利用しない手は無い」
そもそもこれから次々と成人していく彼らの仕事をいったいどうするかというのは郷にとって重大な問題である。いかに古代において農業が基本であるとはいえ彼ら全てに農地を分け与えられるほど余裕がある訳ではないのだ。
これまで郷の誉れである賈彪が命を救い、引き取ってきた賈子たちを郷民たちは協力して育ててきた。それでもやはり自分たちの血を引いてない賈子たちに農地を分け与えることまでは同意が得られないだろう。断絶した家の土地や非常に痩せた土地ぐらいしか与えることは困難であり、それ以外には新規に土地を開墾するしかなく賈子たち全員を農民とすることは非現実的といわざるを得ない。彼らの為になにか仕事を探す必要があるのである。
「交易の拠点ともなれば荷の積み下ろしや保管にも人手が必要ですし、将来的には商隊の隊長などの仕事も任せることを考えています。偉節(賈彪)さまも理解してくださるでしょう」
「そこまで奇妙さまが考えておられるとは。ならば我々はそれを信じることにいたしましょう。それで先ほど我々の協力をと謂われましたが、具体的にはどのようなことをすればよろしいのでしょう?」
慎重な李栄が拍子抜けするほどあっさりと懸念を引っ込めた。それを見た淳于瓊は改めて己の賈郷での立場が大きく変わったのだと感じずにはいられなかった。
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「ええと、まずは船着場と荷を保管する倉をつくる必要があるのかな。印度や大秦国からの荷は多くても年に数度しか行き来できないと思われますが、揚州、交州との交易を盛んにしていきたいと考えていますので余裕をもって造っておきたいですね。朱さん、明日にでも笮融さんとデキウスと一緒に川辺に行って船着場を造る場所の下調べをお願いします」
「わかりました。船のことは私には判りかねますのでお二人にいろいろと教えていただくことに致しましょう」
船着場の設置について朱丹が大きく頷いて引き受けてくれた。さらに朱丹にはやってもらわねばならないことがあった。
「それから運搬用の牛馬の数を増やしたいです。洛陽の都と賈郷の間は荷車を使うことになりますのでそれを牽く牛馬が必要ですからね」
外洋航行用の交易船は交州で、長江から賈郷までの輸送に使う河川用の船は揚州でそれぞれ造ればよい。が、洛陽と賈郷の間は陸路だ。是非とも自前で牛馬の数は確保しておきたかった。
「ううむ、牛馬ですか。たしかに今年は麦が豊作で飼料を作る余裕があるとはいえ・・・」
牛馬を増やすことについては朱丹は口をにごした。渋る理由は家畜の飼料のいかにして確保するかという問題があるからだろう。麦や雑穀といった主食の作付けを減らしてまで飼料を作ることに抵抗があるのだ。農村社会では余剰生産力の分だけが牛馬を飼育するのが通常である。しかしその点については淳于瓊にある考えがあった。
「朱さん、懸念しているのは飼料のことついてだと思いますがそれについては提案があります。紫雲草と蕪を積極的に作付けてはどうでしょうか?紫雲草は夏場の飼料として使えることは確認できていますし、蕪は冬場の食料兼飼料として使えるので牛馬の数を増やすことが可能になるでしょう」
「紫雲草と・・・蕪ですか?」
淳于瓊の頭にあるのはいわゆる四圃制と呼ばれるものだ。イギリスに余剰生産力をもたらし農村から都市へ労働者の移動させ近代化のきっかけとなった生産方式として有名である。
「麦、紫雲草、麦、蕪、また最初に戻って麦、と順番に作付けをおこなっていくのです。そうすることで地力を落とさずかつ休耕地をつくらずに生産を続けることができる筈なのです。耕地を四つに分割しその年の作物をずらしておけば安定して食料と飼料を確保できるでしょう」
「なるほど。いや、そ、そんな都合のいいことが・・・しかし奇妙さまはこれまで幾度も・・・」
朱丹がぶつぶつ言いながらなにやら考え込みだしている。淳于瓊は朱丹の頭の中が整理されるまで放置することにして李栄のほうに向き直った。
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「李さん、南方交易を始めれば船は必ず汝南を通ることになります。汝南袁家に協力を求めておいたほうがよいと思うのですがどうでしょうか?」
「む、袁家ですか。たしかに味方につけられればこれ程心強いことはありませんな。しかし大物過ぎて協力を得るのは難しいかもしれません。たとえ偉節さま(賈彪)の名を出したとて彼らには通じぬのではないでしょうか?」
「もとより偉節さま(賈彪)の名を出すつもりはありませんよ。この前知り合った書家の師宜官から南陽さま(袁隗)に渡りをつけてもらおうと思っています」
「なるほど奇妙さまの歳に似合わぬ聡明さを聞けば南陽さまも必ずや興味を持たれることでしょう。」
将来性のある優秀な若者にはツバをつけて囲い込んでおきたい、というのがこの時代の有力者達の共通認識である。特に淳于瓊のような士大夫層の子弟は汝南袁家からすれば格好の食客候補といえるだろう。たとえ召抱えることが叶わなくとも顔をつないでおくに越したことはないというわけだ。
「袁家に仕えるつもりはサラサラ無いんですけどね。一方的な恩を施して貰うんじゃなくて対等な協力関係が理想かな」
「そ、そうは言われましても・・・」
有力豪族の汝南袁家に賈郷から与えられるものが無い。
「実は思い切って南方からの珍品宝物の類は汝南袁家と揚州周家に全部任せてしまおうと考えているんだがどうだろう?」
翡翠や瑪瑙の玉石、象牙や犀の角、大秦国のガラス玉に香木といった珍品宝物は宮中への賄賂や豪族間の贈答ぐらいにしか使い道がない。笮融や淳于瓊の人脈ではとてもではないが捌けるものではないのだ。ならいっそのこと袁家や周家に恩を売りつつ格安で卸せばそのへんの手間も省けて一石二鳥なのである。
李栄は目を見開いた。
「おお、それならば充分かもしれません。特に南方で産出する沈香や翡翠などはいま有力豪族の間で珍重されていますから非常に喜ばれると思います。で、ですがそれを手放してしまうと南方交易による利益が全くでなくなるのではないですか?」
李栄の疑問は当然だろう。中原の人間にしてみれば僻地の南蛮や大秦国から入手できるものなど富裕層向けの珍品や宝物ぐらいしか思いつかないからだ。商売のタネをみずから手放してどうするのかと。
しかし淳于瓊の視点はまったく異なる。
まず南方へ輸出する荷であるがこれは絹と中原の文物が中心となる。安息国との関係が悪化している大秦国では絹の値段が高騰している。同じ重さの金と取引されることすらある程だという。そして辺境の交州や南越地方では中原の文物への憧れが強く需要が高まっているため豪族や南蛮の部族との取引に使い出があるだろう。
「デキウスは漢から大秦国へ絹を持ち込むだけで莫大な利益が出せるし、交州の士燮さまは中原の文物を役立てることができるでしょう」
そして南方から輸入する荷であるがこれは希少な珍品宝物以外にはいまのところ需要がない。しかし南方の物産に対する潜在需要ならば必ずあると淳于瓊は確信していた。
「笮融さんと賈郷は珍品宝物以外の南方の物産を中原で売り捌いて利益を出すことになります」
「はぁ・・・そう上手くいくのでしょうか?」
李栄は半信半疑の様子だが実物を味わったことがないのだから仕方がない。
”海産物を干したものなら充分に商品になる。絶対的に淡水ものより旨いんだからな。果物だってドライフルーツにすればいける。それに砂糖だ!砂糖黍を見つけて栽培すればこの時代にはほとんど口にすることが出来ない甘味が手に入るんだ!”
なぜかやたら自信満々の淳于瓊を訝しげに見ていた李栄はやがて信じることに決めたのかはたまた諦めたのか、ひとつ溜め息をついて汝南袁家のNo2である袁隗についての説明を始めたのであった。
次は袁紹の叔父さんが登場です




